28日目 時には甲殻が似合うダンゴ虫のように
「ダンゴ虫のように生きたい……」
机に突っ伏したまま、先輩が消え入るような声でそう言った。
酷く気落ちした様子の先輩に、僕は戸惑いながらも声をかけた。
「足をいっぱい、生やしたいんですか……?」
「いやそっち方じゃなくてさー」
ガバッと起き上がりつつ反論する先輩。
先輩のおでこには机に突っ伏した痕が付いているが、僕は黙っておく事にした。
「ダンゴ虫のように、殻に閉じこもりたいんだよ~」
へなへなと机に倒れながら先輩が言う。
よほどヘコむ事があったらしい。
僕は気落ちする先輩の為に話題を変える事にした。
「先輩、知ってます? 『変身』って小説」
「『変身』?」
「朝起きたら自分の体が虫になってた、って話なんですよ」
「ああ……。私もダンゴ虫になりたい……」
あれ? 話題変わってなかった。
自分の話術の無さに愕然としながらも、僕は適当に話を続けた。
「殻に閉じこもるなら、他にも色々あるじゃないですか。貝とか」
「それじゃ転がれないじゃん」
「転がる気なの!? 意外とアクティブなんですね!?」
殻に閉じこもった後も動く気満々の先輩に、僕は驚愕した。
そんな僕に対し、先輩はニヤリと笑いながら言った。
「おう。超転がるぜ~。自分にこもりながら超転がるぜ~」
「無駄に前向きですね。もうちょっと後ろ向きにならないように努力しましょうよ」
諭すような意見を言う僕に、先輩はチッチッと指を振るった。
「どうやらダンゴ虫の良さに気付いて無いみたいね。少年」
「いや、気付きたいとは思いませんけど……」
「試してみよー!」
「ええー……」
何やらやる気満々の先輩に、僕は嫌な予感が鳴りっ放しだった。
「さあ、ダンゴ虫の気持ちになるんだ! ほら転がってごらん?」
「いや、転がってごらんって……」
「転がればきっと分る! ダンゴ虫の気持ちが!」
一体何が先輩をそこまでさせるのだろうか。
ダンゴ虫に取り付かれたかのような先輩は、止まる事を知らない。
いきなり床に手を付いたかと思うと、そのまま前転を繰り返した。
危うくパンツが見えそうになって、僕は慌てて目を逸らした。
連続前転を終えた先輩は、ふらふらと頭を振りながら立ち上がった。
「うっわ、凄い目が回る」
「ダンゴ虫の気持ちですねー」
「世界が回ってみえるよ……。地面がぐにゃぐにゃに……」
「ダンゴ虫の世界ですねー」
適当に相槌を打つ僕の方に、ふらふらの先輩がゆらゆらと近付いて来る。
そしてついに僕の所まで辿り着くと、ガシッと肩を掴んできた。
あれ? 何かヤバくないか僕?
「じゃあ、次は君の番ね」
「え~。僕やらないですよ」
笑顔で断る僕。その僕の肩が、メキリと音を上げる。
先輩の、リンゴを素手で握りつぶす右手が、僕の肩を掴んでいる。
痛い。なにこの痛さ。肩ってリンゴのように砕けるものなのかな? 笑顔のまま蒼白になる僕。
そんな僕に向かって、先輩は満面の笑みを浮かべて言った。
「レッツゴーいえい!」
「レッツゴーいえい! いえい!」
先輩の謎のゴーサインに対し、僕も謎のゴーサインを返す。
肩を砕かれるよりは、ダンゴ虫のように転がった方がマシだ。
そう決断すると僕は床に手を付いた。
猛然と前転をする……が、途中でバランスを崩した。
斜めに曲がりながらも前転を繰り返す。
しかしとうとう、体が変な向きになって大の字に転がってしまった。
ああ、世界が回る……。目が回って上手く動けない。
そんな時だった。
部屋のドアが開き、冷蔵子さんが入ってきた。
最悪な事に、僕が倒れた位置はドアの真横だった。
あ、冷蔵子さんのパンツ見えた。
回る世界の中、僕がそんな事を考えていると。
足元に僕を発見した冷蔵子さんと目が合った。
「あなた、何をしているの?」
氷のように冷たい目だった。
僕は何をしているんだろう?
バカみたいに前転してましたと言うべきか。
あるいは冷蔵子さんのパンツを見てました、てへっ。だろうか。
……ダンゴ虫になりたい。