22日目 あの日に帰りたい
「ねえ、覚えてる?」
一面に青空を映す窓ガラス。
それを背景にして、先輩は僕に言った。
あまりにも鮮烈な青色が目の前一杯に広がり、
まるで海の中にいるような錯覚を覚える。
「2人でプラネタリウムに行った時の事。」
先輩の顔は、逆光になって見えない。
どんな表情をしているんだろうか?
気にならないと言えば嘘になる。
分らないならそれでも良い。そんな風にも思う。
「いや、行って無いですよ? プラネタリウム? 何のことですか」
「えっ?」
ゴォォォォォ…………。
直線状に白い筋を残しながら、飛行機が上空を飛んで行く。
静かな陽光が窓から差している。
先輩はどんな表情をしているのだろうか? 空が青すぎて見えない。
「あれ? 一緒に行ったよね?」
「え~? 何時ですか?」
なおも聞いてくる先輩に、僕は胡乱な目つきで答えた。
プラネタリウム自体に行った記憶が無い。
誰かと勘違いしてるんじゃないのか? この人。
半ばそんな事を考えながら、先輩の返事を待つ。
先輩は、自分に何の疑いも持たない真っ直ぐな瞳で答えてきた。
「10年くらい前。」
「10……年ですか。年……」
予想外に過去の事だった。
2・3日前の話かと思ってた……。
10年。う~ん、どうかなぁ。
記憶には全然無いけど、僕が忘れてる可能性もかなり高い。
忘れてました、てへ。とか、ちょっと言い辛いなぁ。
先輩に対して悪すぎる。僕が何だか薄情みたいじゃないか。
それにしても、10年も前からこの人と知り合ってたのか?
完全にこの学園に入ってからだと思ってたわー。
窓から見える遥かな稜線。
青く透けた大気を孕み、鳥が羽ばたいていく。
ダメだ、現実逃避してみたけど全然思い出せない。
こうなったら探り探りいこう。
「あ~、えっと。僕達2人だけで行ったんですっけ?」
しどろもどろ聞く僕。
嫌な汗が流れる。
まるで溺れるように記憶を手繰る。
先輩、握力、ゴリラ……あ、ラーメン! ……いやこれは違う。
「え~? 忘れちゃったの?」
非難がましい視線を送ってくる先輩。
そうだよなぁ、知り合った事を忘れてたら薄情だよなぁ。
僕の背中を流れる嫌な汗は、濁流となりつつあった。
思い出せ、思い出すんだ僕。やれば出来るはずだ、右脳の辺りに意識を集中させろ!
瞬間。
ふっ……と浮かんでは消えて行った映像があった。
麦わら帽子を被った少女。眉毛を描かれた犬。
何だ、何だこの記憶は――!?
何かを思い出せそうだった。
いける、僕がそう感じた瞬間だった。
眼前に甦るように、幼き日の幻影が見えた。
「星と星を繋いでも、天秤とかサソリとかに見えねーよ!」
厳粛なプラネタリウム。その静寂を破るように、気勢を上げるバカがいる。
僕だ。幼き僕は星座に対して物申していた。
「大人の言葉に騙されるな! 星座なんて、星と星を繋げただけのデッチ上げだ!」
僕は、まるでクーデターを始めた青年将校のように熱弁していた。
当然周りの友達からは非難轟々である。何言ってんだこいつ、という状況である。
そんな中、見ず知らずの少女が熱い瞳で僕を見ていた。あ、これが先輩か?
「わ、私は大人になんて騙されない!」
バカな子なんだろう。
そして幼きバカな僕と、麦藁帽子を被ったバカな娘は共に走り出した。
後ろから先生の絶叫する声が聞こえる。
しかし、ハイテンションな僕らは笑いながら駆け抜けた。
その後の事ははっきりしない。
ただ、どこからかヨークシャーテリアの犬を見つけた。
弱々しい見た目が可哀想だという理由で、マジックで眉毛を描いた。
僕らは大はしゃぎだった……。
そこまで思い出して、僕は先輩に向き直った。
海のように深く澄んだ先輩の目。
それを真っ直ぐに見つめながら、僕は言う。
「ごめん。ちょっと思い出せないや」
そして、うっかり思い出してしまった黒歴史を
再び封印する事を胸に誓った。
海の底に沈めるように、深い空を見つめながら。