213日目 瀬戸内海に響け祈り歌(7)
「……当たり前だ。だれがこんな下らないことで本気で怒るものか」
トシちゃんは怒気を引っ込めながら言う。そしてプイッと横を向き、
「お前の魂胆など最初から分かっていた」
視線を逸らされながら言われても説得力が無かった。
「ふぉっふぉっふぉ。では続きを始めようかのう」
「それで結局どうするの?」
問いかけた僕にジイちゃんはあっさりとした表情で、
「選挙じゃ」
「なんの?」
「……はて?」
のんきに首を傾げる。そして一点の曇りも無い瞳で言った。
「ただの遊びじゃからのう。理由なんてなんだっていいじゃろう。まずはどこか座れる所でゆっくりと話し合ってじゃな、それから具体的な方針を前向きに検討するのじゃ」
そこにトシちゃんが割り込んでくる。
「ひどくインチキ臭い言い回しだな」
「ふぉっふぉっふぉっ」
笑って答えるジイちゃんだったが、やはり僕は見抜いていた。
(つまりジイちゃんの目的は――)
ラーメンを食べる事だ。
どこか座れるラーメン屋に行ければそれでいいのである。
「どうでもいいけどよー、さっさと決めようぜー」
花ちゃんがうんざりとした声で言う。
「早くドクニーにあたしの真必殺技を見せたいしさー」
なんでやねん、と心の中でツッコミんでから僕はやんわりと否定した。
「見せなくていいよ」
「えー? でもさー、せっかく新しい必殺技を開発したんだぜ?」
渋るような態度をみせる花ちゃん。
しかしできれば避けたい僕としては適当に理屈をつけるだけだった。
「どうせなら剣の事が分かる人が相手の方がいいと思うよ」
しかし納得できないのだろう。
花ちゃんは斜め上を見つめて何かを考え始める。
そうして思いついただろう説明を語り出した。
「なぁなぁ、技ってさ、誰かに当てるために作るだろ?」
「そうだね」
「だから当てたいじゃん」
その顔は獲物を前にした猫を想起させた。
実にストレートで分かりやすい意見だ。
「僕は当たりたく無いんだよ」
「あたしは当てたいんだ。なぁ、いいだろ? ドクニー!」
花ちゃんは瞳をキラキラさせながら言ってくる。
もう少し違うシチュエーションならドラマチックな展開なのに。
だけど僕の未来に待っているのはドエムチックな暴力行為でしか無かった。
ふっ……と笑いながら思う。
(何故なんだ!?)
どうして僕は寝巻きのまま観光地に連れてこられ、ジイちゃんのラーメン道に巻き込まれ、そして花ちゃんの必殺技の実験台にされようとしているんだろうか?
考えてみても分からなかった。これはもうあれである、原因が僕に無いのだ。全ての原因は外部にあり、そしてそれに巻き込まれているだけなのである。
考えてみればいつもいつもそうだった気がする。僕は吹きすさぶ風の中に立つカカシなのだ。勝手な都合で立たされそして自然の猛威に立ち向かうことを強要されている。
僕を吹き飛ばそうとするのは横暴なジイちゃんだったり、冷徹な冷蔵子さんだったり、獰猛な花ちゃんだったりと色々だ。果たしてこのままで良いのだろうかと思った。
そうだ、僕には吹き飛ばされない為の鉄ゲタが必要なのだ。鉄ゲタは重力の塊だった。重力は大地に根をはり、やがてそこから大地と一体化する。地球と一つになる。
もちろんそんなわけが無いけど気分は大事だった。鉄ゲタを通じて僕は一つの思想に近付くのだ。それは忍耐であり、重荷を抱えることであり、自らの足で支えることだった。
――誰かを助けたいと思っても。
不意に頭の中に響くセリフがあった。
それは青い瞳をした友人であり、流れるような金色の髪をした彼女の言葉だった。
『困っている人に手を差し伸べたくても、まずは自分の足で立っていないと出来ないの』
あるいは僕らは似た者同士かもしれない。
ふとそんな事を思った。
「なあ!」
耳元で爆竹のような音がした。
驚き思考の海から浮上している途中で、それが僕への呼びかけだったと気付く。
何の事は無い、声の主は花ちゃんだった。
「さっきからあたしの話し聞いてないだろ! それで、どっちなんだ!?」
「どっち? 当然断るよ。なんで君の必殺技を食らわないといけないのさ」
「その話じゃねえだろっ!」
「えっ?」
どうやら状況は僕が考えていたよりも進行していたらしい。
何やら新たな展開があり、それを完全に無視してしまっていたようだ。
「絶対に後で無刀刃を食らわしてやるからなっ!」
噛み付きそうなほど口を開けて吼える花ちゃん。
仕方なく宥めている所に菊ちゃんが近付いてきて説明してくれた。
「お爺様達の話し合いが終わったんです。それで、これから観光するかそれとも食事に行くかで多数決を取る事になりまして」
「ああそうなんだ」
納得しつつジイちゃんに視線を向けてみると、そこには不機嫌そうな顔があった。
うやむやの内にラーメン屋に行くという目論見が外れたのが原因だろう。
ちなみに多数決に参加できるのは子供だけでジイちゃん達に権利は無いらしい。
そして公平性の観点から何故か僕に二票分の権利が与えられたという。
「向こうは二人じゃしの」
とジイちゃんは面白くも無さそうに語った。
僕からすれば十分にインチキだったけどジイちゃんには不満が残るようだ。
「これでは勝負が決まらんのう」
ぼやきつつも密かにアイコンタクトを送ってくるジイちゃん。
僕は他の人に気付かれないように小さく首肯を返した。
つまり……勝負を決めるような手段を見つけろということだ。
それは花ちゃんか菊ちゃんのどちらかを味方につけろという事だろう。
――だが、そんな事にはならないはずだ。
ふと視線を感じて視線を向ける。トシちゃんの冷えた眼差しが目に映った。
見抜かれている。そしてその事はジイちゃんも把握しているだろう。関係が無い。
これはお互いの戦略に気付きながら、それでも戦いを止めない――冷たい戦争だった。
このまま行けば僕の二票と菊ちゃん、花ちゃんの二票で同票となる。
決着が着かない時には条件を変えて再び多数決を行うのか、それとも……。
ジイちゃんとトシちゃんが真正面から雌雄を決するのか、だ。
恐らくは二人共その瞬間のことを暗黙の内に認め合っていた。
「じゃあまずは観光したい人に手を挙げてもらおうか」
導火線に火を点けるように。あるいは時限爆弾のスイッチを入れるかのような声音でトシちゃんが宣言した。
頭上には青空が広がっている。何も知らない二人の姉妹が手を上げた。これが大人気ない死闘の始まりになるかもしれないと気付いているのは僕だけだった。
しかしそうはならないだろう。僕は僕自身が隠し持っていた運命のトリガーを、まるで愛を囁く時のようにゆっくりと引き抜いた。
「はへっ!?」
驚愕しすぎて声を歪めるジイちゃん。
自分の見ているものが信じられないという表情を浮かべた後、僕の方を向いて叫んだ。
「どうしてそこで坊まで手を挙げるんじゃ!? どうしてワシを裏切ったんじゃ!?」
手を上げていたのは菊ちゃん、花ちゃん、そして僕。
つまり全員だった。
「裏切った?」
ははん、と鼻で笑う。
おかしかった。どうしてジイちゃんは僕が味方だと錯覚していたんだろう?
「僕は最初からジイちゃんの味方じゃなかったのさ」
「な……なんじゃと!?」
今も信じられないという表情を僕に向けてくるジイちゃんに、噛んで含めるようして言ってやった。
「こっちは寝巻き姿で観光地を歩くはめになってるんだよ!? ここに連れて来られてからずっと復讐の機会を窺っていたんだ! ザマーミロ!」
「ぐっ!? オノレぇ!! ワシとしたことが見誤ったわ!」
力の限り悔しがるジイちゃん。
トシちゃんは何やら感心するような視線を僕に向けていた。