212日目 瀬戸内海に響け祈り歌(6)
いつの間にか展望台にはジイちゃんと菊ちゃんも来ていた。
これで全員が集合したことになる。
となればここからどう行動するのかという話になってくるわけで。
方針を決めるのは年長者の役目、と言わんばかりにジイちゃんが口を開いた。
「さて、さっさと市街地まで行ってラーメンを食うかのう」
「待てい。まずは観光するに決まっているだろう」
そしていきなり対立した。
今この場にいる年長者は二人だ。
ジイちゃんとトシちゃんによる熾烈な主導権争いが勃発する。
「ワシは広島の街並みも尾道の風景も見飽きたのじゃ」
さばさばとした口調で言うジイちゃんに対し、
「今日の主役は我々では無いだろう。もう少し周りの人間を考えることが出来んのか?」
さり気なく僕らの方に視線を向けながら反論するトシちゃん。
うん、これはあれだな。
完全に僕ら三人の孫組の存在が議論の勝敗を決める材料になっている。
民主主義的なリベートの様相を呈してきた議論の場で二人のバトルは白熱していった。
「トシちゃんは分かっておらんのう」
ジイちゃんは困ったような表情を作りながら言う。
「ワシらのようなジジイに若者の気持ちなど察することは出来んのじゃ。それが出来るという自惚れは、むしろ若者にとっては邪魔なだけじゃよ。お節介というやつじゃな。
こういう時は素直にやりたい事を主張した方が良いのじゃ。子供達とて老人を労わりたいと考えるもの。ならば彼らに対し、ワシらがどう労わって欲しいのか伝えることが肝要じゃろう。下手な考え休むに似たり、じゃ」
「物は言いようだな。貴様は単に自分の我がままを押し付けているだけじゃないか」
「それは穿った物の見方じゃよ」
「どうだかな」
徐々に雰囲気が険悪になっていく。
どうしてこの二人は尾道にまで来て喧嘩を始めるのだろう?
花ちゃんが二人に聞こえないように「だりーよー」と呟くのが聞こえた。
そんな流れとは一切関係なくトシちゃんとジイちゃんの決闘は続く。
「気持ちが分かるはずが無いと最初から決め付けるのはどうなんだ? 貴様はそれを言い訳にして子供の気持ちを慮ることを放棄してるだけじゃないのか? だからお前は実の息子からも疎まれるんだ」
「むむぅ!? アヤツのことまで持ち出すのは反則じゃろう!」
「何が反則だ。純然たる事実じゃないか」
ふふんと鼻で笑うトシちゃん。
ジイちゃんは眉間に皺を寄せながら絶叫した。
「じゃあこちらとて手段は選ばんぞい! トシちゃんが今でもマリアの写真を大事にしまっておることをバラしてやるのじゃ!」
「!? なぜそれを知っている!」
「ふぉっふぉっふぉ、ワシは何でも知っておるんじゃ……!」
何故か二人の形成が逆転していた。
……マリアって誰だろう?
まあ昔の芸能人か何かだろうと想像する。
同じ疑問を抱いたのだろう、菊ちゃんがトシちゃんにそっと問いかけた。
「お爺さま、マリアって言うのは……」
そのセリフにジイちゃんが横から口を挟む。
「興味があるかのう? マリアというのは」
「止めろぉ!」
唐突にトシちゃんが叫んだ。
その声の大きさが掻き消してしまったように周囲から音が消える。
居心地の悪い空気を払拭するためだろう、トシちゃんは弱々しい仕草で口を開いた。
「……第一、彼女の想い出に関して言えば貴様も同類だろうが……!」
「ふぉっふぉっふぉ。諸刃の剣じゃのう!」
ジイちゃんはどこかヤケクソ気味に笑いながら、
「じゃがワシは一人で死ぬよりは道連れを増やす男なのじゃ」
「貴様というヤツは……!」
「さあ勝負を再会しようかのう。ただしお互いに不必要な話題を持ち出すのは禁止にした方が良いと思うのじゃが?」
「まあ、そうだろうな」
ギリギリと音がする。
いや、そんな気がしただけだ。気迫で空気が軋む音など聞こえるわけが無い。
だけど何故だろう? 気のせいだけで済ますのはひどく躊躇われた。
それはトシちゃんのこめかみに青筋が立ち始めていたからかもしれないし、もしかしたら菊ちゃんと花ちゃんが徐々に安全圏へと距離を取り始めていたからかもしれない。
「お前は……」
やたら疲れた表情でトシちゃんは言葉を続けた。
「自分のことしか考えて無いのは相変わらずだな。少しは他人の気持ちを考えてみたらどうだ?」
「他人の気持ち?」
ジイちゃんは心外そうに驚いてみせたあと、あっさりと言ってのけた。
「無論わかっておるとも。それが分からねばワシの剣は筋を描けぬからのう。分かった上で我を通しておるのじゃ」
「それで良いと思っているのか?」
「ワシの選んだ道が子供達を導くと信じるのみじゃ」
微妙に立派な事を言っているけど、それで主導権争いを始めて僕らに迷惑をかけるなら本末転倒じゃないか? なんて事を思ったけど黙っていた。
「それにのう、景色なんて見て何が面白いんじゃ? 坊も別に興味ないじゃろ?」
「え? この状況で僕に話を振ってくるの? マジで?」
思わずマジで、なんて言ってしまうくらいには僕は困った。
トシちゃんの索敵レーダーの照準がゆっくりとこちらに向けられる。
「お嬢ちゃん達も早くラーメン食いたいじゃろ?」
今度は花ちゃんと菊ちゃんに話しを向けるジイちゃん。
トシちゃんとジイちゃんのどちらが正しいか、決めるのは僕らなのだ。
「え、ええっと……、それじゃあ公平に多数決しましょうよ! ね!? お姉ちゃん!」
「おっ!? おう!」
向けられる眼光に怯えながら叫ぶ二人。
声が裏返っているのも仕方の無いことだろう。
「ふむ……多数決か。それもそうだな」
孫からの提案に素直に頷くトシちゃん。しかし、
「待つのじゃ!」
そこでジイちゃんが待ったをかけた。
「今この場には二つの勢力があるのう? それはトシちゃんとその孫、そしてワシとその孫じゃ。二つの家、二つのグループじゃ」
なんだなんだ? と注目する僕らの前でジイちゃんは神妙な顔をする。
「ところがトシちゃんの孫は二人、ワシの孫は一人じゃ。これでは最初からワシらのグループが不利になっておる。そこで提案したいのじゃが、多数決にあたって一票の格差を是正する方法を認めてもらいたいのじゃ」
「何を言い出すんだお前は」
呆れた顔を浮かべながらトシちゃんは告げた。
「滅茶苦茶だな。五人やそこらで一票の格差も無いだろう」
「滅茶苦茶では無い! 断じて無いのじゃ!」
ジイちゃんは声を荒げる。
まるでここが勝負だと言わんばかりだ。
(あ、ここで何か仕掛ける気だ)
そんな事を傍観者の立場で思う。
血が繋がっているせいなのかジイちゃんの思惑が何となく理解できていた。
「一票の格差は実に現実的な問題なのじゃ! 実際に政治の世界で問題になっておることじゃしのう」
そこでジイちゃんは急にきょとんとした顔になった。
「まさかトシちゃん、お主本気でワシと喧嘩してるつもりじゃないんじゃろうな?」
「なにぃ?」
「ワシはただ孫達に多数決とは何かを学ばせたいと思ったまで。まあ堅苦しくならぬように、下らない意見の対立を演出して見せたがのう」
「ぐぬ……!?」
ああこれは嘘だな、と僕は見抜いていた。
家族だからこそ分かることがある。あれは演出では無い。ジイちゃんは本気だった。
しかしジイちゃんはそんな事を微塵も表情に出さずに会話を続ける。
「まさかとは思うがトシちゃん、お主ワシが本気でラーメンを食いたいだけじゃと思っておったのか?」
「そんなわけが無いだろう」
口八丁とはよく言ったもので、ジイちゃんはあれよあれよと言う間にトシちゃんを丸め込んでいった。