206日目 すれ違う午後
いくら長ソバくんだって一度振られた相手からラブレターをもらえば疑問に思うだろう。いや誰だってそうだ。
振られた相手からラブレターを送られるという現象の意味が分からない。明らかに何かが矛盾している。
何故かと言うと、ラブレターは恋愛感情を伝える物であるはずだからだ。振ったという事は愛情なんて無いと言うことに他ならない。
こうしていちいち論理的に考えるのがバカらしくなるほどおかしな話だ。いくら長ソバくんが愛の戦士とは言え、論理的な矛盾に対して猜疑心を抱かなければ嘘だろう。
「ちょっと待ってよ、いくら長ソバくんだって騙されないよ。だって君は一度長ソバくんを振ったんでしょ? 振った後にラブレターを送ってどうすんのさ。書いてある内容が嘘だってことがバレバレじゃん」
その指摘に、しかし目の前の彼女は声の無い笑い顔で応じるだけだった。
自らを風の王と名乗る少女。あるいは僕の部下的存在。
屈託の無い笑顔から最も縁遠いだろう彼女は、長年の習慣で馴染んでいるだろう婉曲に歪めた笑みの中で唇を開く。
「果たしてそう、かな? そうならないかもしれない、よ。場合によっては嘘だと気付かれない、かもね」
「そんなワケが無いでゴワス」
あまりの突飛で常識離れした理論を展開する風の王に対し僕は思わず力士語になりながらツッコミを入れていた。
というか、なんで力士語になってるんだ僕は? 意味が分からない。頭が動転しているんだろうか? 正しくはそんなワケが無いでゴザル、だろう。
いやよく考えればそれも違う! さっきから何を考えているんだ僕は!?
自分自身への懐疑は尽き無かった。しかし今はもっと大事なことがあるはずだ。そう心に言い聞かせて僅かに冷静さを取り戻す。状況を整理してみることにした。
「長ソバくんにしてみればさ、見知らぬ相手からいきなりラブレターが送られて来て、あれやこれやと考えている内に突然送り主である君が現れたわけだ。そして何故か唐突に振らた」
吟味するように言葉を並べてみる。聞かせる人に対してというよりむしろ自分自身に説明する為のセリフだ。そんな僕の言葉を風の王は黙って聞いている。つまり、と僕は続けた。
「一種のミステリーだよ。長ソバくんは一方的に好意を寄せられ、そして一方的に心変わりされて、告白したわけでも無いのに振られた状況にあるんだ。そしてその後、さらにラブレターを送られたわけだ。これはもう立派な怪奇現象の域だよ。学校の怪談だよ」
「そうだね」
こちらからの指摘を何一つ否定せずに風の王はやんわりと頷いた。
そんな態度も理解できず、僕は瞳を鋭く細めつつ言った。
「もしも僕が長ソバくんの立場だったらと考えると、君の行動の意図が全く理解できない。だからラブレターに書かれた内容なんて二度と信じないし、君の言葉を聞こうともしないだろうね」
「かも、ね」
やはり風の王は感情の薄い色で微笑んでいる。かもね、じゃ無いだろ!?
「じゃあ何で長ソバくんはまた君に騙されるのさ!? 君の顔も知らずにただラブレターを受け取ってた段階じゃないんだよ!? 顔をバッチリみて、さらにガッツリ振られた後にどうして長ソバくんがまた君から騙されるような状況に陥るの!? 長ソバくんには学習能力が無かったのか!? さっぱり分からないよ!」
勢い込んで叫ぶ。原因と結果が繋がらないじゃないか! 対する風の王は、
「さあ、ね」
簡潔にそれだけ告げると、こちらをはぐらかすように肩を竦めてみせた。
――理由はあるはずだ。
たとえ一見して不可能な事のように思えても必ず種や仕掛けが存在する。その仕掛けを探るようにして風の王の顔を見つめていると、彼女はまるでクイズの答えを披露する時みたいな表情になった。何かを面白がるような顔を僕に向けながら唐突に口を開く。
「確かにね。あの長ソバって人も警戒、してたよ? 一度振った後にラブレターを送った直後は特に、ね。クスクス、我ながら無茶かな、って思ってさ。でも君との約束もあるし、だからね、頑張らないといけないだろう?」
「勝手に長ソバくんに会ったり、勝手に振ったりしなければ無茶する必要なかったんじゃないかなあ? 偽ラブレターを送るっていうドッキリなんだから」
そう指摘する。しかしいとも容易くそれはそれ、これはこれと棚上げされた。
「もう一度会って、こう言ってみたの。女心は変わりやすい、って」
何も言えず立ち尽くす僕。その言葉がなんだっていうんだ?
「それだけ、かな」
はぁ? 呆気に取られる僕。そんな僕の前で風の王はフフッと笑う。
どうやら今ので彼女からの説明は締め括られたようだった。
「それだけ? それだけの説明で長ソバくんは何もかも納得したの?」
「そう、だよ」
しばし頭の中で事の経緯を反芻した後、
「そうかぁ……」
僕は目蓋を閉じて思いを馳せた。
信じることは難しく、それだけに尊い。でもね、長ソバくん……。
「女心は変わりやすいって言葉だけで何もかも納得するなよッ!?」
ここには居ない友人に向かって心の限りに叫ぶ。
このまま行くと長ソバくんは将来きっと大変なことになるに違い無い。
具体的に言うと悪い女に騙されたり結婚詐欺に遭ってしまう予感がする。
早くしっかりしたお嫁さんにお婿にもらってもらわないとマズイだろう。
しっかりした人を考えた時に僕が真っ先に思いついたのはゴンさんだった。
こう考えてみると長ソバくんとゴンさんはお似合いの二人なのかなぁ。
いや――ここはきちんと言い直した方がいいだろう。
ゴンさんには他に幸せになれる相手がいっぱい居るかもしれないけど、長ソバくんの相手はゴンさんしか居ないのかもしれない!
もしも……もしもの話だ!
ゴンさんは否定してたけど、真田さんの言うとおりにゴンさんが長ソバくんに恋をしていたとしたら!?
だとしたら……僕のやっていることは果てしなぁぁぁくマズイのではなかろうか!?
もしかして、もしかして長ソバくんの人生が滅茶苦茶になりかけている……!?
いや仮にゴンさんがそうじゃないとしても大問題だ!
どこかに長ソバくんの事が好き人が居るかもしれないじゃないか!
でも僕のせいで長ソバくんは風の王に騙されている! 現在進行形で!
そのために誰かの恋心を踏みにじっている可能性があるじゃないか!
「僕は間違っていた!」
目が覚めたかのように宣言する。
僕はまるで勢い付いた軍勢の、その足元で響く蹄鉄の轟きのように言葉を吐き出した。
「ドッキリ作戦は今すぐ中止だ! いやそれだけじゃダメだ! もっとアグレッシブな行動で今までの作戦を否定しなきゃ!」
真意が伝わったとは思えない。何故ならそれは方針説明では無くただの決意表明の言葉だったからだ。だけど風の王は気にした風も無く、
「突然だね。ま、いいけど、ね」
そんなセリフを口にした。
彼女の顔には不思議な感触の笑みが浮かんでいた。
さて、やるべき事は多い。
長ソバくんドッキリに終止符を打ち、何もかもを無かったことにする。
その為にどうすればいいのか? 一度振られた身でありながら再び風の王への愛に立ち上がった長ソバくん。彼を諦めさせるにはどんな手を使えばいいのだろうか。
それは困難を極めるだろう。しかし弱音は吐けない。完全に僕自身の身から出た錆だからだ。
風の王と一緒になんとか裏山から下りて学園に着いた。その頃には午後の授業が既に始まっていて、僕は忍者のように気配を消して教室に入った。
だけどあっさりと存在がバレた。
むしろ成功するとは欠片も考えてなかったんで別にいい。やがて化学の講義は終り、授業と授業の合間の短い休憩時間がやってくる。
「バカね」
冷蔵子さんが僕に向かって投げかけた言葉は短過ぎるものだったけど、何故か過不足なく的確に胸をえぐってくる。
「学園の外まで逃げるなんて。いつもいつも大袈裟なのよ貴方は」
冷蔵子さんは胸の前で腕を組みながら僕の前に立っていた。
僕は自分の席に着いたままで、座った姿勢のまま肩を竦めてみせた。
「大した事じゃないさ」
「授業に遅れて、こっそり教室に入ろうとして、それに気付いた化学の老先生が不審者の侵入だと勘違いして、今までに聞いた事も無いような悲鳴を上げて卒倒してもかしら?」
「まあね」
そんなのは些細な問題さ。
窓から吹き抜ける風が穏やかな午後の空気を運んだ。
少し気だるい気分で冷蔵子さんを見上げながら、なんとは無しに思う。
そういえば前の時間、珍しいことに彼女とアイコンタクトが成功したっけ――。
(付き合いも長くなってきたし、それなりにお互いの気心も知れてきたのかもしれないな)
そんな事をボンヤリと考えた。
世界を狙える黄金のツートップだって最初から仲が良かったわけじゃ無いだろう。
色々な苦難を乗り越え、必殺シュートの応酬なんかを繰り広げながら友情を育むのだ。
僕と冷蔵子さんの間にもそういうナニガシかの成長があったのだろうかと感じる。
「何を考えているのかしら?」
「うん?」
こちらを見下ろす彼女。
僕は反対に見上げるようにして視線を返した。そして告げる。
「いや、僕らも成長しているんだなって。きっと日々の関係の積み重ねが輝きを持ち始めているのさ。そう感じるんだ」
「そうかしら?」
短く呟く冷蔵子さん。そんな彼女はどこかしか嬉しそうに見えた。
この時の僕らの気持ちが全く見当外れの方向にすれ違っていただなんて、その時の僕が気付くはずも無かった。