200日目 キカセロ・コイバナ
へぇ~、賢者くんって回転寿司も食べるんだ。
変な事に驚いていると、周りの女子達が一斉に声を上げ始めた。
「スペシャル海鮮王子様ぁ! 回転寿司は庶民の味方ですぅ!」
「全然おかしくありません! むしろ親しみが湧きます!」
「どんなあだ名でも海鮮王子くんの素敵さは失われないし!」
「そ、そういう事じゃなくてだね……っていうかもうその呼び方が定着し始めている!? 何故だい!?」
海鮮王子くんこと賢者くんは悲痛な声を上げた。
今回の勝負は僕の勝ちかな? 額の汗を拭いつつ賢者くんから視線を外す。すると、
「……ハリーハリーハリーハリー!」
再び妖怪と目が合ってしまった。
くっ、一難去ってまた一難とはこの事だ!
「はいはい好きなアレね!? 答えればいいんでしょ!?」
僕はヤケクソ気味に叫ぶ。
学校妖怪・ゴンさんはこくこくと頷く。僕はすかさず言った。
「好きなネタはあぶりサーモンです!」
「ソンナ・コトハ・キイテナイ」
「なんでカタコトなの!?」
じ、人格の崩壊が凄まじい!
人は見た目で判断しちゃいけないって思うけど、やはり心は外見に反映されるのだ。
妖怪のような見た目になった級友は心まで物の怪と化していた。
「ハヤク・コタエロ。セイシュン・キカセロ」
「な、なんか答えた瞬間に魂を持っていかれそうな気がする!?」
あるいは記憶を奪われそうな予感がする。それだけの妖気がゴンさんの巨大な瞳から発せられていた。圧力に押されて僕はよろめいた。
「くぅ……長ソバくん! 今こそ君の助けが必要なんだ!」
追いつめられた狼のような目をしながら僕は言った。
生にしがみ付こうとする野生。ぬめった光を放つ双眸を親友へと向ける。
「この大物妖怪をうち倒すために! そして日本の夜明けを迎えるために! 共に……戦ってくれ!」
「ふーん」
「いや、ふーんじゃなくて」
期待に反して長ソバくんの反応は淡白だった。
きょとんとした顔で僕を見返して、そのままのほほんと口を開く。
「っていったって、大物妖怪って一体誰のことだぜ?」
チッ!
どうやら長ソバくんには妖魔の姿が見えないらしい。
「それでさ、結局お前の好きな人って誰?」
「そ、そんなの関係無いよ! 今は日本の未来が……!」
「大いに関係あるぜ!」
爽やかな笑顔で親指を立ててサムズアップ。
そんな長ソバくんが憎くて憎くてたまらなかった。そうこうしている内に、
「そうだね、はっきりと聞かせて欲しいね。君の好きな人の名前は?」
ここぞとばかりに乗っかってくる賢者くんと、
「キカセロ・コイバナ。スキナヒト・イエ」
相変わらずプレッシャーを飛ばしてくる謎の生物……いや、クラスメイトのゴンさん。
僕には味方なんて一人も居ないのか!?
(しょせんこの世は弱肉強食。死ぬ時は一人――そういう事なのか?)
いよいよ追い詰められ、四方八方から攻め立てられ、僕はとめどなく焦っていた。
狼狽した。憐れなくらいに活路を求めていた。一縷の望みに縋り付こうとした。
そして視線を彷徨わせた先に――冷蔵子さんがいた。
考えてみればそれは当たり前のことで、彼女は僕の隣に立っていたのだ。
これまでのやり取りの間にも冷蔵子さんはずっとそこにいた。
ふと目と目が合う。
特に理由も無く、流れるままに僕は冷蔵子さんの瞳を見つめた。
冷蔵子さんは僕の目を覗き込むようにして視線をぶつけてくる。
ブルーの瞳から飛ばされた彼女の意識が眼球の裏側にまで侵入してきたような気がした。
僕の決意。あるいは彼女の幸せ。それ以外の何か。
そんなものが視線に乗せられ、お互いの間を行き来する。そんな空想を描いた。
そして確信する。きっと僕達はすれ違っているんだ。
こんなにも近くにいるのに。これだけの期間を共に過ごしてきたのに。
僕と冷蔵子さんの間でアイコンタクトが成功した試しは無い。
きっと学校妖怪ゴンさんに怯えるこの気持ちも伝わってないはずだ。
四方を囲む敵から自国の歌が聞こえてきた時の将軍の気持ちに浸っていると、冷蔵子さんが不意に僕から視線を外した。
果たした彼女は僕からどんな気持ちを汲み取ったのだろう? などと考えている間にも、冷蔵子さんは部屋の中心を向いて高らかに声を上げた。
「さっきから何の騒ぎなのかしら?」
一瞬にして教室の温度が下がる。
誰かがごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた。
それも仕方無いだろう、聞き慣れた僕ですら背筋を正してしまいそうな声音だ。
冷蔵子さんの醸し出す雰囲気は余人とは隔絶した何かがあった。
れ、冷さん? と呟く賢者くん。
冷蔵子さんは声の主にヒヤリとした視線を返すと、すぐさま目線を元に戻して言う。
「今は何の為に話し合いをしているのよ。他にもっと大事な話があったと思っているのだけれど? 議論が本筋から離れているんじゃないかしら」
あれ? これはもしかして……僕を守ってくれているのだろうか?
おお!? 視線だけで意思の疎通が出来るワールドサッカークラスまで来たかも!
「まあ……そうだわね」
不承不承といった感じでゴンさんが呟く。どうやら妖怪化も収まったみたいだ。議題に戻るためだろう、今度は長ソバくんに向かってキツイ視線を送る。
「それで何? アンタの言う建設的な意見ってのは。さっきから愛だの好きだの叫んでるけど何の意味があるのよ? アンタのわけの分からない主張に付き合っている暇は無いし、第一生意気なのよ。……無駄に髪を伸ばしてるところが!」
「髪の長さは話に関係ないぜ!?」
「男のくせにアタシより長いのが気に食わないのよ!」
ジロリとした視線を長ソバくんに返す。その流れで「はんっ」と吐き捨てるように言った後、胸の前で腕を組んで言葉を続ける。
「アンタの世迷い事を聞いてる暇は無いのよ! こちとら何の為に教室の中で大声を張り上げてると思ってるのよ! それもこれも……!」
ゴンさんはそこで急に言葉を止めた。
しばらく視線を宙に彷徨わせた後、
「……何の為だっけ?」
どうやら当初の目的を忘れていたようだ。ようやく思い出したのだろう、急にハッとした表情になって、
「そうそう! あの真紅ババアを抹殺する方法の話でしょうが!」
手近にあった机を親の仇の如くバシバシ叩く。何の罪も無い机が可哀想だった。
これはあれだ、勢いで誤魔化そうとしているんだ。
そんなゴンさんの姿を見つめながらミヨッチと真田さんがひそひそと話し合っていた。
「抹殺するって初耳だよぉ」
「ゴンはまだ冷静さを失っているな」
「そんな危ないこと誰も言ってないよね? サナちゃん」
「ああ。まだ頭に血が上っているみたいだ……ゾウ。ゴンは……ゾウ」
「わざわざ無理矢理に語尾にゾウを付けるなぁ! アンタなにが言いたいのよ!?」
くわっ、と目を見開いたゴンさんは、真田さんに向かってマシンガンのように矢継ぎ早に言葉を続けた。
「真田ァ! さっきから何で絡んでくるのよ!? いい加減にしないと本気でやるわよ! やるっていうの!?」
「くっくっく……」
「なに含み笑いしてんのよ!?」
「さ、サナちゃん、そろそろ止めようよ? ゴンちゃん本気で怒ってるよ」
おろおろと喧嘩を仲裁しようとするミヨッチ。
その言葉を聞いているのかいないのか、真田さんは薄っすらと笑みを浮かべていた。
(本気でやっても構わないって感じだな)
真田さんはたまに何を考えているのか分からない。
今まさに一瞬即発の空気が流れていた。
(こんな事をしている場合なのか!?)
唐突にそんな事を思った。
(僕達は力を合わせて真紅先生と戦わなきゃいけないはずなんだ。なのに何で内側で闘争を繰り広げているんだ……!? これが人の性だと言うのか!)
このままではダメなんだ。誰かがこの流れを断ち切らなきゃいけない。胸を衝き動かす熱い思いが僕の全身を駆け巡っていた。
その時、愛の戦士が再び動いた。