192日目 賢王モテモテ・スパニッシュ・スペシャルなんとか王子様
「ぜぇ~ったいにオカシイじゃない!」
ゴンさんが荒ぶっている。
クラスの女子の取りまとめ役である彼女は普段なら割とさっぱりした性格だ。
しかし今は激昂しているのだろう。
眉間に皺を寄せ、ボブカットの髪を揺らしながら熱弁している。
「なぁんで古典の授業でスクワットなのよ! 男子もそう思うでしょ!?」
鋭く睨まれ僕らは一斉に視線を逸らした。
はっきり言えばゴンさんが怖かったのだ。ここは適当に同調しておくべきだろう。
そんな事を考えていると、スポーツマンの伊達くんがおずおずと答えた。
「だ、だいたい何かにつけて運動させようとしやがるんだ。教師達は全員筋肉バカなのか?」
「健康のためなら死んでも良いって感じだよなぁ」
「昼休憩にも変なスポーツさせるもんねー。あたし正直、アレ嫌だー」
次々に上がる糾弾の声。小さな火種が大きな炎になろうとしている。
そんな時、僕達の嘆願を伝えに職員室に向かった賢者くんが帰ってきた。
真紅の古典教師の元から無事帰還した賢者くんにゴンさんが素早く尋ねる。
「おっ、どうなった賢者くん? 真紅のババアはスクワット止めるって言った?」
「ごめん、ダメだったよ」
賢者くんは苦笑いで否定した。それに対し、
「なんだとー!?」
「マジかー!」
みんなが一斉に悲鳴を上げる。
苦々しい顔を作りながら、それぞれが溜息のように呟いた。
「賢者王子でもダメだったか……」
「賢王モテモテ様でもダメとなると、もはや打つ手無しだよね」
「賢王モテモテ!? またオレに変なあだ名が付いてる!?」
賢者くんが叫んでいる。何やらショックだったようだ。
まあ賢者王子っていうあだ名も嫌がってたしね。
クラスどころか学年単位でハーレム状態の彼は、確か最初は北の王子様と呼ばれていた。続いてハーレム王子、その後には世界が嫉妬する王子様だったか。
最近は賢者王子という呼び方に落ち着いていた。ハーレムを築きながら誰にも手を出さないことで賢者と讃えられたのだ。そして今では賢王モテモテ様である。
「ちょっと男子、ハニカミ様に変なあだ名を付けないでよ!」
「そうよそうよ!」
女子の一部が抗議の声を上げた。恐らく賢者王子のハーレム団の一員だろう。
どうやら彼女達は独自のあだ名を賢者くんにつけているらしい。
「いや、オレはハニカミ様って呼び方もあんまり好きじゃ……」
「ハニカミ・スペクトル・スペシャルフォース様にひれ伏しなさいよダメメンが!」
「さらに付け足されているのかい!?」
賢者くんが悲痛な声を上げる。
僕が彼に出来ることは少ない。出来るのは追い討ちをかけることくらいだった。
「そういう時は全部合体させるんだ。ええと、なんだっけ? 賢王モテモテ・スパニッシュ・スペシャルなんとか王子様?」
「それはオレの望む解決方法じゃない! しかも途中からうろ覚えかい!?」
「長すぎて憶えられないんだ。みんなの為にももっとクイックな感じにしてくれない? モテ王様とかさ」
「き、君ってやつは……!」
ビシビシと視線で牽制しあう。実のところ僕と賢者くんは軽く敵対していた。
フレンドリーな関係とは言い辛かったりするのだ。
「とにかくさぁ、いくらなんでも横暴過ぎるのよ。許せないってーの。止めさせる方法は無いの? ほら、あんたらも真面目に考えなさいよ」
苛立たしげな様子で吐き捨てるゴンさん。そのままドカッと乱暴な音を立てて自分の机の上に座った。
それはさすがに礼儀が悪すぎるんじゃなかろうか? なんて思いながらゴンさんを見ているとバッチリ目が合ってしまった。
「ほらほら、意見を言うー!」
「え? 僕?」
「そうだよユーだよ! あの真っ赤なババアから青春小僧と呼ばれて恥ずかしいだろー!? 悔しくないのかー! 青春しろよー!」
どうしろって言うんだ。僕は青春を恥じれば良いのかエンジョイすればいいのか。
ゴンさんの意図が全く見えない。が、分かっている事もあった。
古典スクワット地獄に対する建設的な意見ならある。なので僕は彼女を見据えて、
「発想の転換が必要だと思うんだ」
恥じること無く堂々とした態度で言ってのけた。
「おー? なんかまともな感じじゃん青春くん。それでそれで?」
「うん、僕が思うに……ちょっと待ってゴンさん」
「え? なに?」
「聞き逃せないことがあった気がするんだ。さっき僕のことを青春くんって呼ばなかった?」
「呼んだわよ?」
「それは止めてくれない?」
不思議そうな目を向けるゴンさんにかなりマジな態度で迫る。
なんだよ青春くんって。なんかヤだよ妙にヤだよ。
なんでそんなあだ名を付けられなきゃいけないんだ? あだ名を呼ばれるたびに「ハーイ! 青春でーす!」と笑顔で答えなきゃいけない感じじゃないか。
それはイヤだ。全身全霊をかけて否定しよう。
決意と共に口を開きかけた時、まるで僕の邪魔をするかのようにして脇から声が響いた。
「冷静になるんだ、青春☆迎春ボーイくん」
「僕はいつだって冷静……って青春☆迎春ボーイってなんだよッ!? 変な単語が増えてる!?」
グリリ、と声の主の方に首を回す。視線の先には優雅に微笑む賢者くんの姿があった。
顔を引き攣らせながら見つめていると、彼は気にした風もなく口を開いた。
「そう言えば君は長いあだ名が嫌いなようだったね。もっとストレートなあだ名の方がいいかい? 例えばそう、迎春くんとか」
「それはもはや原型を留めて無い!? いや、別に青春って言葉を残して欲しいわけじゃ無いけどもッ!」
依然として青葉のように清々しい笑みを浮かべる賢者くんと視線をぶつけ合う。
実際のところ僕と賢者くんは反目し合っていた。
「青春くんでも迎春くんでもどっちでもいいでしょ?」
「良く無いよゴンさん! 僕は断固として抗議する!」
「あだ名の抗議なら後でいくらでもすればいいわよ。今はそれよりも大事なことがあるわよね? 真紅ババアのスクワット思想を変えなければいけないのよ、アタシ達は!」
力強く宣言しながらゴンさんは立ち上がる。
その拍子に机が倒れた。派手な音を立てて盛大に中身を撒き散らす。
騒音が過ぎ去れば後に残るのは痛いほどの静寂だった。
飛び散った教科書やノートをしみじみと眺めたあと、ゴンさんはポツリと呟いた。
「オノレぇ~、真紅の古典教師め! これは新たな犠牲だわね!」
「え? ああ、うん」
いやそれは君の起こした犠牲だよ、とは言い出せないまま時間は動き出す。なんだか色々な事を後回しにしたくなってきた。だけどとりあえず意見だけは言っておこう。
「……つまり今回の件を好機と捉えると良いと思うんだ」
「好機ぃ?」
怪しむような目でこちらを見るゴンさんに対し、僕は自信満々に頷く。
「そう。これはチャンスなんだ。この学園を変えるための」
「学園を変える、ですって?」
学園を変える、その一言を聞いたゴンさんは神妙な顔付きになった。
「具体的には?」
「これは試練なんだ」
真顔で訊き返してくる彼女にこちらも真剣な表情で答える。
ぐいっ、と顔を寄せてくるゴンさん。その瞳を正面から見据えながら僕は言葉を続けた。
「そう、これは鉄ゲタレースのために与えられた試練さ! スクワットで足腰を鍛えれば僕らは鉄のゲタを履いて走ることが出来る! そうすれば……」
「ハイ次のいけーん! 誰かないー?」
あれー? なんで最後まで聞いてくれないんだろう?
ゴンさんはもはや僕には見向きもせず、他の生徒に向かって新たな意見を求めていた。
「俺に考えがあるぜ?」
誰もが意見を出せない中、意気揚々と声を上げる人物が存在した。
男のくせに長髪、そしてソバカスがトレードマークの長ソバくんだ。スクワット地獄から無事に帰還を果たした彼はキリリとした表情をゴンさんに向ける。が、
「ほらほらー、こっちは意見募集中だわよー?」
「いやだからゴンさん!? 俺に考えがあるんだぜ!?」
「ほらもっと真剣に考えるー」
「ゴンさん!? ゴンさーーーん!?」
ゴンさんは見向きもしない。二人の間に何があったんだろう?
何かがあったことは確実だけどそれを詮索するのは野暮なことだった。
しかし何もしないでは居られない。
長ソバくんの友として僕は何をすべきだろう?