190日目 大空へ羽ばたけ! 僕らの絆!
僕らのリズム。見えない絆。それはいつしか狂ってしまった。
……風の王のせいで。
「ガッカリだねー」
「ガッカリですねー」
「そこの二人! どうして私のせいになるのかな!」
「落ち着きなさいよ。どうどう」
僕ら四人の間に目に見えない不協和音が鳴り響く。
……風の王のせいで。 何故か怒りに震える彼女を冷蔵子さんが宥めている。
「まともに相手にしなくてもいいのよ。あの人達はふざけているだけなんだから」
「でも……でも!」
納得がいかないのだろう。風の王はキッと僕を睨んできた。
「ワタシは! キミと一緒に闘うって決めたのに!」
悲痛な声で言う。
「どうしてルールを教えてくれなかったの、かな!? シノビーズの伝統なんて初耳なんだけど!?」
「それは……」
そのルールはたった今出来たからさ。
しかしそう説明すると本当にキレちゃうかもしれないしなぁ。ふむ……。
「どうして、か。確かに怒るのももっともかもしれない。でも――」
「でも何なの、かな」
鋭い瞳を向けて来る風の王に、僕は透明な眼差しで応えた。
「何も言わなくても分かってくれると思ったんだ。君なら」
「事前に話してくれなきゃ分からない、かな!」
そりゃあそうだ。仮に一を聞いて十を知ることが出来る人物だとしても、一すら聞いてない状態では何も答えられない。確率は零である。
……なんて言ってしまえばオシマイだ。だからすみやかに別の理屈を打ち立てる必要があった。それは状況を変えるための試練だ。しかし一つだけ問題がある。
積み重ねの無い言葉には重みが無いのだ。適当な理由を並び立てても説得力が無い。しかし今から理屈を積み重ねている暇なんてのも無い。ならば……誤魔化すしかない。
足りない物を補うために。僕はやたら真剣な顔で言った。
「戦場は常に変わっていくものなんだ」
眼光。それは相手の反論を封じる効果を持つ。
「だからこそ変化には柔軟に応じる必要がある。ルールを教えてもらって無いから分からないじゃ、戦場では生き残れないんだ」
風の王を視線で捻じ伏せるように見つめながら、僕はジイちゃんの顔を思い浮かべていた。大事なのはまず自分を信じることだ、とジイちゃんは言っていた。
――坊、確かに世の中には出来る事と出来ん事がある。
あれはいつの事だっただろう? 記憶の海の中から甦る思い出。遥かな過去、色褪せた世界の中で祖父の姿が再現されていく。
しかしじゃ、と呟いてからジイちゃんは続ける。
「自分でそれを定めてしまってはならん。自分自身の限界を勝手に決めてしまってはいかんのじゃ」
世の中に絶望し、僕はただ泣きじゃくっていた。
話しかけてきた祖父の目は優しかったように思う。
「でもさ、ジイちゃん。もうどうしようも無いんだ……」
「諦めるな坊。時間は巻き戻せんかもしれんが、それでも抗う術はあるのじゃ」
「そんなこと言ったって、何一つやってないんだもん。あああ、僕は一体何をやっていたんだ!?」
まだ幼かった頃の僕は悲鳴を上げていた。
夏休みの宿題を全くやらないままタイム・リミットを迎えようとしていたのだ。
「ジイちゃん、休みは今日までなんだ! 一日で何とかするのは物理的に考えて不可能だよ! 諦めない気持ちだけでどうにか出来る段階じゃないんだ!」
「ふむ、確かにそれは無理じゃのう」
軽く認めると、そういう時はじゃなと前置きしてから祖父は提案してきた。
「発想を転換するのじゃ。宿題を出さねばならん、という前提を覆すのじゃ。諦めないとはそういう事じゃよ」
「それは本末転倒って言わない!? ジイちゃん!!」
ガンジーも助走をつけて殴りかかってきそうな意見だった。その前提は崩しちゃいけないんじゃない!? しかし祖父は怯まない。含蓄に富んだ声で言う。
「フォッフォッフォ。ワシもよく使った手じゃが、相手を騙すのじゃ。諦めずに最後の最後まで、騙し通せる所までのう。最後まで先生を騙せれば坊の勝ちじゃよ」
無茶苦茶だった。
「一日やそこら誤魔化してどうなるのさ!? 宿題が出せなきゃ意味が無いんだよ!?」
そう叫んで憤ってみせるが、ジイちゃんはケロリとした表情で、
「ならば話しは簡単じゃ。宿題をやればいいのじゃよ。それが出来んから坊は苦しんでおるんじゃろう?」
「ぐぬぬ……!」
確かにその通りだ。
「でもさ、無理だよ。騙し通せっこ無いよ!」
「坊よ、最初から結果を決めてはいかん。常識に囚われて道を狭めてはならん。ワシはそれを剣を通じて知った」
あくまで否定を繰り返す僕に対し、やはり祖父の目は優しかった。
「太刀筋は無限じゃ。限りあるこの世で無限を求めようとすれば、ありとあらゆる可能性を否定してはいかん。無限とは夢幻。通すべき太刀筋は相手の心の中にあったのじゃ。坊、自分でどうしようも無い時はじゃな、相手の心理を突くのじゃ」
僕はもう泣いてはいなかった
そうだ、やるべき事は宿題では無い。逃げの一手では勝利は掴めない。
だから発想を変える必要があった。
僕は宿題を終えることが出来ない。ならばどうする? 決まっている。
逆に先生を問い詰めてやるのだ。
自由研究を研究しない自由について語ってもらおうじゃないか……!
自由という概念に対して戦いを挑もう。宿題をしない自由は無いのだろうか?
決意を固める僕を前にして、ジイちゃんはさらなる助言をくれた。
「天然自然を相手にしても同じことじゃよ。剣で岩は斬れん。ならばどうするか? 岩の切れ目を探せばいいのじゃ。活路が自分の中に無い時、それは相手の中にこそある」
僕はそのアドバイスを実行した。
確か三週間くらいは宿題の提出を誤魔化せたと思う。今では良い思い出だ。
「それは屁理屈、かな……!」
響き渡る声が僕を現実へと立ち戻らせた。
風の王の表情は控え目に言っても怒りに満ちている。
それはちょうど、宿題の提出を誤魔化し始めてから二週間目あたりの担任の先生と同じ表情だった。在りし日を懐かしく思う僕の前で彼女は続ける。
「戦場の変化に応じるためにこそ……事前のやり取りが必要だと思うナ。連携ってそういう事、かな」
切り裂くような声。もちろんその声が切り裂く対象は僕の体だ。
烈火のごとく燃え盛る風の王の怒気を前にし、僕はたじろぐ事無く言った。
「じゃあ突然現れた警官隊を前にして君はどうした? 何か出来たのかな?」
その言葉に風の王が、ピクリ、と反応する。おっ? これは……。
目の前の少女の心の切れ目を確認しつつ。僕は勢いよく言葉の太刀を振り抜いた。
「僕は通報されるなんて予想してなかった。君だってそうだろう? 事前に教えられないことなんて山ほどあるよ。そのたびに君は文句を言うの? 連携が取れないって」
あ、動揺してる。素直な娘だなぁ。ただの屁理屈なのに。
しかし情けはかけない。僕は畳み掛けるようにして続ける。
「だからこう思うんだ――、」
それまでの真剣な表情を緩め、柔らかく微笑みながら言葉にする。
「本当の連携って言うのは言葉にしなくても伝わらなくちゃいけない、って」
風の王は押し黙り、そのまま俯いた。
僕はゆっくりと歩み寄る。そして彼女に向けて両手を伸ばした。
伸ばした手が肩に触れる。
触れた瞬間、風の王はビクッと体を震わせた。僕は気にせず彼女の肩を掴む。手のひらから伝わる彼女の体温はどこかか弱く、僕はなんだか庇護欲を感じながら呟いた。
「君とならそういう関係が築けると思ってる。ダメかな?」
風の王は何も語らない。今も顔を伏せたままの彼女に言葉が届くよう、僕はただ祈った。
「少年、少年。シノビーズの団結は良いんだけど……」
「なんですか先輩? 風の王の説得に手応えを感じている所なんですが」
「時間がもう無いじゃん?」
「!?」
風の王の肩から手を離す。バッと視線を向けると突撃態勢を取った警官隊の姿が見えた。
足りない。何が足りないかと言えば時間が足りないのだ。
視線の先にある警官達の顔は、僕が夏休みの宿題の提出を誤魔化し始めてから三週間目の担任の顔にそっくりだった。今からトークショーとかやってられない雰囲気である。
「へいへーい? 少年、あと三秒で決めるんだ! さあこれからどうする!?」
先輩が急かして来る。実際そろそろヤバイだろう。ど、どうしよう……!?
「かくなる上は!」
「きゃあ!?」
僕は素早く冷蔵子さんに近寄ると、無理矢理その体を抱き上げた。
いわゆるお姫様だっこの格好だ。
冷蔵子さんが走れないというなら、僕が抱えて走れば万事解決のはず。
「三十六計逃げるにしかず! ダッシュ力はピンチを救うと信じて!」
「あれだけ言っておいて結局逃げるだけなの、かな!?」
「力技だね少年。もう時間が無いから逃げるよー? 風の如く疾く! てい!」
先輩が駆ける。後に続いて僕と風の王も地面を蹴った。
状況が状況だからか、冷蔵子さんは僕に抱き上げられながら妙に大人しかった。そして、
「ねえ」
「ぐわっ!? 今しゃべるのは止めて! 息が耳にかかってムズムズするからっ!」
走る僕の耳元で何事かを囁き出した。
制止の声を守る気は無いのか、冷蔵子さんはさらに唇を僕の耳元に寄せる。
「もしもあれが私だったとしても、貴方は――」
「アレって何!? アレじゃ分からないよ説明してよ!!」
「あら? おかしいわね。本当の連携は言葉にしなくても伝わるんでしょう?」
「伝わるわけないよ! エスパーじゃないんだから!」
「それはどういう事かな!?」
隣を走る風の王がギョッとした表情を浮かべる。
さっきワタシに向かって言ったセリフは何だったの、かな!?
そんな風に彼女が僕に文句を言う前に、拡声器から飛び出した警官の怒りの声が響いた。
『そこの少年! 直ちに少女を解放しなさい! 繰り返す、直ちに少女を解放しなさい!』
「げっ!? なんか変な犯罪と勘違いされてる!?」
「キャー助けてー。私達は脅されているんだよー」
「先輩!? なぜそこで吐かなくていい嘘を吐くんですか!? ああッ!? 警官達の目の色が変わってる!?」
「ふふふ。少年、さっきのは流言飛語の術だよ? 相手を撹乱する効果があるのだ!」
「あるのだ、じゃないですよ!! ぐぬおおおおお!!」
走る、走る、走る。
脳裏を過ぎる逡巡とは裏腹に、僕の身体は無意識に先輩の後を追ってリズムを刻み始めていたのだった。
『止まりなさい! 止まりなさー……』
光も音も、風も景色も置き去りにしていく。……警官達の上げる制止の声もだ。唯一聞こえるのは先輩の靴音だけだった。
僕はその音にタイミングを合わせるようにして地面を蹴り付ける。風の王もやがて僕らにリズムを合わせてきた。僕らはさながらフーガを奏でるように走っていく。
「後できっちり説明してもらう、かな!」
「あ、後でね……!」
さまざまな不協和音を抱えつつも、シノビーズ(プラス一名)は大空に羽ばたいていく。やがて警官隊を完全に撒くまで。僕達は確かに絆で結ばれていたのだった。
これにて僕達の絆編終了です! 長かった……。