189日目 頭上には青く透き通った宇宙の半球が広がっている。
僕の取れる行動は限られている。
この場に残るか、逃げるか。
それとも警官相手にトークショーを開いてみるかだ。
頭に三つの選択を思い浮かべる。さてどれを選ぼうか?
(僕が選ぶべき選択支は……そう、トークショーだ!)
僕は即座にその選択支を選んだ。
逃げれば冷蔵子さんを見殺しにし、残れば警官と楽しい職務質問&説教部屋行きだ。
どちらも選べない。ならば取るべき行動は決まっている。
つまりはトークショー。武力によらない平和的な解決方法である。
「何をブツブツ言ってるの、かな!」
風の王が焦った声で言う。が、僕はその言葉を無視して計算を続けた。
警官と言えど人の子である。同じ人間なのだ。笑いもすれば泣きもするだろう。
ならば対話による緊張関係の緩和も期待できるはずだ。
うん、やはりトークショーしかない。これっきゃないよ。
「ふふふ。少年、色々と考えているようだね?」
先輩が面白がるような声で尋ねてくる。
どうやらこんな状況ですら楽しんでいるらしい。
なんて凄い人なんだ……。
あの執念の塊のような飛天さまでさえ警官相手で半泣きになったのに。
負けたくない。何となく張り合うような気持ちで余裕感を出してみる。
「ええ。なんと、このピンチを乗り切るための新たな方法を見つけました。第三の選択支ですよ。さすが僕ですね」
「ほほう? 第三の選択支ね……!」
先輩はギラリと瞳を光らせた。
「逃げるのか、それともこの場に残るのか。少年、君はそれ以外の方法を見つけたと言うのかな? それなら大した事だけど勝算はどれくらいなの? お姉さんに話してみな? ほれほれ」
「勝算ですか?」
考えたことも無かった。果たして僕のトークショーが成功する確率はどのくらいだろう? ……う~ん。いや、最初から失敗を考えてどうするんだ!
「勝つか負けるかじゃなく勝たねばならない。その意気込みでやりますよ」
力強く宣言する。そうだ。きっと僕はそういう覚悟を決めているはずなんだ。
胸の内でそう結論付けていると、先輩がさらに踏み込んできた。
「つまり賭けになるという事だね? 少年」
くっ、何だか今日の先輩はやけに厳しいぞ!?
何か怒っているのだろうか? いやこれは……ただ楽しんでいるだけか!?
「ぐぬぬ、可能性に賭けるのはダメだっていうんですか!? 先輩」
「それが勝算のある賭けなら良いんだけどね」
何の気負いも無くそう言うと、先輩はそのまま語り続けた。
「勝算が無ければただの現実逃避じゃん? 見せかけの希望に縋ってちゃダメだよ?」
「だって……だって走るのが苦手とか言うんですよ!? その時点で逃げれないじゃないですか! もう賭けに出るしか無いんですよ!」
「だから行くならいけば良いじゃない! 私はもう覚悟が出来ているかしら!」
走るのが苦手な女こと冷蔵子さんが絶叫を上げる。慌てて視線を向けると、彼女は不敵な笑みを浮かべていた。これは……ドヤ顔!? なんで自慢げな表情なんだ!?
「彼女には覚悟が出来ているようだね。少年、君に覚悟は出来ているのかな?」
先輩がゆったりとした口調で告げた。辺りには喧騒が響いている。警官隊から逃げ惑う少年ギャング団達の足音をバック・コーラスにしながら、僕と先輩は対峙していた。
腕組みしながら微笑む先輩。しかしそれはただの笑顔では無かった。醒めているというわけでは無い。笑顔だけど心の中では笑っていない、という事でも無い。
まるで試すような。かと思えば無邪気なイタズラなような。それともこちらを包み込むような。先輩の目には、得体の知れない深さがあった。僕はそれを見つめながら、
(――周りの音が消えて行く?)
心の中に静寂が満ちていった。まるで閉じた世界で先輩と二人だけになったような感覚。それでいて視界だけはどこまでも広がっていった。
頭上には青く透き通った宇宙の半球が広がっている。汚れの無い色は冷たく、世界の果てから風が吹き下ろした。それは見えない青さを伴って僕らを通り過ぎていく。
肩まで伸びた先輩の髪が静かにそよいだ。そんな光景に、僕はどことなく切なさを覚える。音は相変わらず遠ざかっていく。どこまでも遠ざかっていく。
(青くて、静かで……。まるでここは、)
海の底みたいだ、と僕は思った。吹き寄せる風は波だ。
どうしてそんな考えが頭に浮かんだのか理解できないまま、静かに口を開いた。
「先輩……正直に言えば、僕に覚悟と呼べるほどのものはありません」
それが本音だった。揺らめく大気。心は洗い流され、己を着飾る為の言葉は失せた。
漂白された心のまま続ける。
「でも、何もせずに諦めるつもりもありません……!」
果たして僕の返事は先輩を満足させるものだったのだろうか?
分かっているのは、先輩の瞳が深く澄んだ輝きに満ちていることだけだった。
「うん、諦めない事は良きこと哉」
僕を真っ直ぐに見つめながら。先輩は腕組みしたまま口元を緩めた。そして、
「シノビーズたる者、心は常に忍者だからね!」
この世界にただ一つの笑顔を向けてくれる。僕は思わずその顔に見惚れた。
認めてくれたのは嬉しい。素直に嬉しい。だけど、
「先輩、一つ訊いてもいいでしょうか?」
「ん? なーに?」
綺麗な笑顔を浮かべる先輩。僕はストレートに尋ねた。
「諦めない心と忍者って何か関係あるんですか?」
「むむっ!?」
ガビーン、と体をのけ反らせる先輩。
僕の疑問に呼応するかのように残りの二人も声を上げる。
「そもそも何で忍者にこだわるのよ?」
「どうでもいいから早く逃げるべき、かな」
冷たく告げる冷蔵子さん。相変わらず極寒な瞳だ。そして風の王にいたっては顔すら向けずに言う。ずっと警官の動きだけを注視しているようだ。僕はポツリと呟いた。
「逃げたいのは山々なんだけどね……」
「私は逃げないかしら」
語尾に『キリッ』と言う音がつきそうな勢いで冷蔵子さんが言う。
「…………」
「何よ? 何か言いたい事でもあるの?」
「いや、別に……」
言えばまた面倒臭い怒り方をするだろうし。
押し黙る僕の代わりに風の王が口を開いた。
「怖く無いの、かな? 警察から説教を受けるのは結構しんどいよ」
心配そうに尋ねる風の王。
それに対して冷蔵子さんは相変わらず自信満々の表情のまま、
「いいから私を置いて早く逃げるのよ。本当に気にしなくてもいいから」
なんてことを爽やかに告げる。これはあれか?
「ここは俺が守る! お前は先に行け!」的なシーンなのか?
戦場の絆が試されようとしている。
そんな時、先輩が突然天を貫くような大声を発した。
「ピンチはチャンス! 今こそ私たちの心を一つにする時だよ! シノビーズ、ファイトぉ~~~!」
言葉尻を大きく伸ばしながら、先輩はそのまま短く叫ぶ。
「ニン!」
山ですら震え出しそうな掛け声。
その呼び声に応えるようにして僕も叫んだ。
「ジャー!」
掛け声と共にお互いの手を打ち合わせる。
打ち合わせた手のひらをくっつけたまま、僕と先輩は風の王の方を見た。
シノビーズ最後のメンバーである彼女の参加を待ったのだ。
僕ら二人の視線を受けた風の王はきょとんとした表情を浮かべる。
先輩と僕は黙って見つめた。風の王はハテナ顔で動きを止めている。
まだまだ見つめた。風の王はこちらを見たまま頬に一筋の汗を流す。
さらにさらに見つめた。どうしようも無く見つめた。
ついに視線に耐えかねたのか、風の王はしどろもどろに叫んだ。
「な、なんなのかな!? その目は何!?」
「ちぇ、連携は不発だねー」
「チーム伝統の円陣が失敗とは。僕ら全体のチームワークが心配ですねー」
「なんでワタシのせいでチームワークが崩壊したみたいになってるのかな!? そんな伝統のこと何も教えてもらってないんだけど!?」
無論教えられるはずが無い。何故ならシノビーズ伝統の円陣は今この瞬間に完成したからだ。
あまりにも無茶な要求をする僕と先輩に対し、冷蔵子さんが「だから何であなた達は忍者にこだわるのよ? バカなのかしら?」と静かに呟くのが聞こえた。