186日目 言葉は祈り、祈りは希望
「ん? なにをそんなに怖い顔をしているんだい?」
自らが仕掛けた計略をおくびにも出さず、遮那は悠然とした態度で言う。
そっちの魂胆は分かっている……! また僕を罠にはめるつもりだなチクショウめ!
「ぐうう、抜け抜けと! まずは見事と言っておこうか!」
「は?」
女顔の親戚は短く呟くと、間の抜けた表情を僕に返した。
猫のように大きな目をパチクリする。そうした後、再び薄桜色の唇を開いた。
「? まあ、兄さんが愉しそうでなによりだよ」
余裕からだろうか? 遮那は頬を緩ませて笑みを作ってみせた。
おのれ誤魔化しやがって……! お前の考えは全部お見通しだ!
昔やったように、また他人を使って僕を攻撃する気だろう!
不良漫画の悪役のように! ヤンキー漫画でピキピキしてる奴のように!
「なんや、そいつらが嬢ちゃんのメンバーかいな?」
大阪さんが遮那に問いかける。
どうでもいいけど大阪さんは遮那を女だと勘違いしているらしい。
今日も今日とて女物の服を着こなす変人の親戚。その背後に二人の男の姿が見えた。
「やあ。初めましてこんにちわ、皆様方」
遮那の後ろにいる男達の内、スラッとした黒髪の男の方が初めに挨拶してきた。
白シャツに黒系のPコート、そこにベージュ色のチノパン合わせた服装。
オシャレを狙ったものだろう、顔には黒縁眼鏡がかけられている。
そんなスタイリッシュ清潔男は、目元に涼しげな笑みを浮かべながら言った。
「俺様の名前は佐々木ロミオと申します。以後お見知りおきを。もちろん本当の名前ではありませんが、貴様らごときに本名を名乗るつもりもありません」
実に爽やかな声でそう言い放った。
「き、貴様らごとき……っすか?」
思わず呟く。たじろぐように言葉を紡ぎだした僕。
そんな僕に向かって佐々木ナニガシは笑顔で告げる。
「喋り方がウザイですね。今度、語尾に『っす』ってつけたらぶち殺しますよ? 低脳なサルくん」
「低脳なサル!?」
初対面の人から低脳って言われたのは初めてだ。どう反応していいか分からない。
しかし佐々木ロミオはいたって平然とした様子だ。ゆるりと僕らの顔を見渡したあと、
「あれ? 皆さん、そんなに硬くならないで下さい。もっとフレンドリーに行きましょうよ」
弁舌も軽やかに提案してくる。そして続けざまにこう言った。
「そうだ! これからは俺様のことをロミオ様、もしくはカッコよくて優しい佐々木様、って呼んで下さって結構ですよ! もちろん最後に『様』を付けないヤツはぶち殺しますが」
言葉の最後に、にぱっ、と笑う。爽やかに無礼な佐々木ロミオを前にして、僕らはただ口元を引き攣らせるしかなかった。なんだこの人……。
「相変わらず貴公は妙なことにこだわるのだな」
遮那の後ろにいるもう一人の男。その男がどこか棘のあるセリフを放つ。顔の彫りは深く、髪は薄い金髪で瞳は灰色だった。無造作に伸びた総髪が風になびいている。
「いちいち人からの呼ばれ方を気にするのは愚かだ。名は仮初。どう呼ばれるかなど些事に過ぎない」
白色人種の血が流れているだろうその男は、見事にお坊さんのような格好をしていた。
西欧風の顔付きなだけ似合っていない。見た目は日本文化を勘違いした外人みたいだ。
「名前はいつかは忘れ、そして失う物……。過ぎ行くことにこだわらず、大いなる流れだけを感じたいものだ」
そこで言葉を切ると、金髪坊さんは僕ら一同の顔を見渡した。
全員の顔を確認したあと。風鈴の響きのように、硬く無機質な声で続ける。
「拙者は余人からは田中スカイウォーカーと呼ばれておる。しかしそう呼ばれる理由は……分からぬ。修行中の身ゆえ」
「いや修行とか関係あらへんがな。普通に訊けば分かるやろ」
沈黙の野と化した公園。
大阪さんのツッコミは冴え渡る青空に虚しく響いた。
「名前には意味はある、かな」
「あの袈裟懸けちょっと欲しい……!」
苛立った声を出す風の王、そして田中スカイウォーカーの服に興味津々の先輩。
先輩、変な物を欲しがらないで下さい。
「諸行無常の精神かしら。詫び寂びね」
冷蔵子さんは何やら変な感銘を抱いているようだ。
謎の修行僧に対し、うんうんと頷いてみせている。
「なあ坊主、なんで坊さんがストリート・バトルをやっとるんや? しかも金髪やであいつ。色々おかしいやろ」
そんなの知らないですよ。
非難轟々、悲喜こもごも。そんな僕らの会話を一切合財無視しながら、田中スカイウォーカーは叫んだ。
「貴兄らの言いたい事は分かっておる! だがしかしそれが拙者に授けられた定め、選ばれし運命なのだ!」
一体何が分かったんだ? と僕は疑問に思ったものの怖くて言い出せなかった。
多分ほかの皆も同じだろう。ぽかんと口を開けたまま、金髪坊さんの言葉を待つ。
「空と海の間にたゆたう間、あるいはそれよりも短い刻。拙者は田中スカイウォーカーという名を受け入れ、そして全うしてみせよう。田中スカイウォーカーという名の示す存在。拙者はそれを模索し続ける一介の修行者なのだ」
なるほど――分からない。
宇宙の神秘を説いて聞かされた時のような気分だ。
佐々木ロミオ、そして田中スカイウォーカー。二人とも何かを超越している。
そんな超越者達を自慢するように、遮那がドヤ顔で言ってきた。
「どうだい兄さん、ボクのチーム『紅天姫』のメンバーは。凄いと思うかい?」
「え? ええっと……そうだね」
凄くヤバそうです。
「あは! 知床兄弟と張り合えるのは彼らくらいしかいないからね」
遮那は嬉しそうな顔で言った。わりと本気で優越感を抱いているらしい。と、
「これはこれは……俺様としたことが、サルの仔に目を奪われて気が付かないとは」
佐々木ロミオが、ほう、っと感嘆の溜息を吐く。
何に気が付いたって言うんだ? 彼の視線の先を辿ると先輩達の姿があった。
「良いものですね。花のように美しい女性を前にするというのは。さてはて、睡蓮に瑠璃雛菊、そして秋桜と言ったところでしょうか」
先輩、冷蔵子さん、風の王を順番に眺めながら呟く。どうやら三人を花に例えているらしい。慇懃で無礼な男はにぱっと笑う。先輩達に視線を送りながら、
「これも何かのご縁です。どうです? これから一緒に軽く食事でも取りませんか?」
爽やかな笑顔で言い切った。彼の言った一緒という言葉の中には、恐らく僕と大阪さん、そして知床兄弟は数の内に入っていないだろう。そんな気がする。
「それはダメだよ。分かってるかい? これからエフ・スリー・バトルを始めるんだから」
咎めるように遮那が言う。どうやらチーム紅天姫の主導権は遮那が握っているらしい。アプローチを止められた佐々木ロミオは、困ったような笑みを浮かべた。
「しかしですね、遮那ちゃん。出会いが運命だとするなら、それ相応の対応を取るのが俺様達の義務なのです」
僕に対して取った態度もそれ相応の対応だったのだろうか?
そんな疑問は置き去りのまま佐々木ロミオの言葉は続く。
「俺様があなたのチームに加わるのが運命だったようにね。ノブレス・オブリージュの精神ですよ。高貴な者同士には運命があり、運命に対しては責が問われますから」
「運命は」
金髪の坊さん、田中スカイウォーカーが口を差し挟むようにして言う。
「大河のようなものだ。拙者達は水の一滴に過ぎず、そこに高貴も卑賤も無い。確たる名前すら無いのだ。佐々木よ、こだわるでない」
おお、いきなり説法が始まったみたいだ。これが世に聞く辻説法というやつだろうか?
身内から戒められた佐々木ロミオは、しかしさほど気にした様子も無いようだった。
「あはは、申し訳ない。今度からはこだわらないように気をつけるよ田中くん。そうだね、だいたい百年後くらいから」
全く守る気が無さそうな約束をさらりと口にする。
そんな佐々木ロミオに対し、田中スカイウォーカーは無言で頷いた。
「その意気やよし」
「いや全く良く無いですよ!? なに認めちゃってるんですか!? ダメですよそれ!」
思わずツッコミを入れる僕。佐々木ロミオは満面の笑顔のままこちらを向くと、
「サルが人様に声をかけても良いと思ってるのかな? それこそダメだよ」
「あれ!? もの凄く酷いことを言われてる!?」
理解が追いつかない。もしかしてさっきから僕の存在を全否定してない? この人。
初めて会うタイプの人間だった。英語風に言うとニュー・タイプだ。だから何ってわけでも無いけどさ。
「少年はサルじゃない!」
先輩が空気を切り裂くような声で叫んだ。
もしかして先輩は……僕の代わりに怒ってくれているんだろうか?
大阪さんが、田中スカイウォーカーが、そして佐々木ロミオが先輩に注目する。
周囲の視線を集めながら。その無言の圧力に飽和されてなお、先輩の態度は崩れない。
いつだって、どんな時だって。先輩は堂々としている。
嘘も偽りも無く。心は、透き通った水のように真っ直ぐに伝わってくる。
憧れと尊敬を胸に秘めながら。
僕はただ先輩の言葉を待った。その声が僕まで届くのを待ち望んでいた。
「少年は……サルじゃなくてリチャードだい!」
いやそれも違うと思います、先輩。
迷い無く振り切られたそのセリフは、僕が希望していた物とは大分違っていた。