184日目 ザ・エネミー
「兄ちゃんは皆から応援を受けたはずたい! 心の熱を受け取ったはずたい! それならもっと熱くなるとよ!」
知床弟は一心に語り続けている。
自分の兄に向かい、拳を握り締め、胸の内に決意を滲ませながら。
胸の中の想いは熱に変わり、心の熱は見えない放射となって周りへと伝わっていく。
そんな奇跡を信じているかのような目だった。
やがて奇跡のような瞬間が訪れる。
知床兄の、そのライダー・ゴーグルに隠された瞳に炎が灯ったように見えた。
「……そうか。そうかもな」
知床兄は想いを噛み締めるようにして言った。
「お前がそう言うのなら、そうかもしれん」
心の中に生まれた決意を抱きしめて。
知床兄は、一度だけ黒パーカー集団を振り返った。
真っ青な空の下、パーカーを被り続ける少年ギャング団。
まるでヒーローに対するかのような熱い視線を、今も知床兄に向かって送っている。
彼らとの会話を反芻しているのだろうか?
ライダー・ゴーグルで顔を覆った男は再びこちらを向くと、ゆっくりと口を開いた。
「勝利と敗北がどこで分かれるか、今までの俺には掴めなかった。何が勝ちでどこからが負けなんだ? いつだって俺は分からないまま闘ってきた。だが、俺が負けるはずが無いと言った連中がいる。俺が勝利してきたと信じる人間が居る。ならば俺は今まで勝ってきたし、これからも勝つという事だ。そういう事だろう?」
決然と言い放つ知床兄。
その視線の先には風の王達と談笑している先輩の姿があった。
先輩に……勝つ気なのか?
苦笑する。そんな事が出来るはずが無い。たとえ誰であろうと。
ゴゥン、ゴゥンと耳鳴りがする。
どこから湧いて来るのか分からない怒りは、見えない所で全身に広がっていった。
胸の内で不協和音が鳴り響く。
そして僕は、魂の命ずるままに口を開いた。
「あなたは先輩には勝てない」
そのセリフは、周りの空気を凍らせた。それでも構わない。
譲れない想いを胸にして、自分の勝利を信じる男と対峙する。
「言ってくれるな。どうして俺が勝てないと思う?」
冷え冷えとした態度を隠そうともせず、ライダー・ゴーグルの男は言った。
「今日気が付いた。俺という存在は負けることは無いと」
知床兄は左右に向けて両腕を広げる。その手はまるで伏せられた翼のようだ。
そして、神の使いのごとき尊大さで告げてくる。
「つまり……俺が俺である限り、勝利を約束されているという事だ」
この世のことわりを。真理を。
世界を統べる法則を見つけたと言わんばかりの口調だ。
その口調に僕は逆らった。
「あなたの勝利を信じる人がいるように、僕は先輩が勝つと信じています」
再び、辺りには水を打ったような静けさが満ちる。
音を無くした世界は何もかもが鋭利な断面を見せた。
それは人の視線や、醸し出す空気や、冷えた熱として伝わってくる。
敵意。殺伐とした何かが、肌の上に突き刺すように僕の周囲に広がる。。
自分自身の声の鋭さで喉が切れてしまうような。
そんな感覚を覚えながら言葉を続けた。
「僕はずっと先輩を見てきました。だからこそ断言できる。勝ち負けの区別がつかないようなあなたに、先輩は決して負けない!」
静まり返った空間に僕の声だけが響く。
しかし臆すること無いまま語気を強める。
「先輩は勝利と敗北の意味を知っている人です。何も分からないまま、何も考えないまま勝利を重ねてきたあなたとは違う!」
知床弟が僕を睨みつけてくる。
反対に大阪さんは面白がるような表情を浮かべていた。
「くくっ……」
知床兄は短く笑う。
その瞳はゴーグルに隠され、果たして何を考えているのかは窺い知れない。
「俺が何も考え無いまま勝利を重ねてきた、だと?」
「違うんですか?」
冷えた視線。こちらを捻じ伏せようとする敵意と、それを迎え撃つ僕の視線が衝突する。
「それは昨日までの話だ。言っただろう? 今日気が付いたと。俺はもはや勝利の意味を確信している」
「それはどうですかね?」
反論を返す僕の胸の内には、先輩の言葉が甦っていた。
「答えは教わる物では無く、自分で見つけるものです。経験から、体験から、自分の心に生まれるもの……自分の心が無く、誰かの言葉に答えを探すあなたは、言葉に翻弄されるだけの存在に過ぎない!」
喝破するように目の前の相手に宣言する。
「勝利とは! 示されるものでは無く自分で決めるものです! 今のあなたは、周りの人達から勝つことを強いられているだけだ! 他人が決めた形に縋るしかないあなたは! 本当の意味での勝利を理解して無い!」
どこまでも広がる紺碧の空。誰もが黙り込み、僕の発した声の残響だけが残る。
周りから集まる視線を感じつつ、僕は胸を張った。
風の王が勝てないと言った相手。
今も微動だにせず、相変わらず僕の前に立ちはだかる男は、静かに語りだした。
「言葉に翻弄される、か。だがそれは君自身にも言えることじゃないか? 君が俺に語ってみせた言葉は、他の誰かからの受け売りじゃないと言えるのか?」
ぐっ……と僕は言葉に詰まった。
何も言い返せず、ただ相手に注ぐ視線にだけ力を込める。
挑むように睨み付ける。そんな僕に対し、知床兄は「だが、」と言葉を続けた。
「本当の意味での勝利を理解して無い、か。そう言われてみるとそんな気がしてきた。やはり俺は何も分かっていないのか? 他人の言葉を鵜呑みにしているだけなのか? 自分の言葉と他人の言葉……その境目は難しい」
おや? 何だか風向きが変わってきたような。
「俺の勝利を信じる者がいるように、俺の勝利を信じない君がいるわけだ。俺が俺である限りその状況は変わらないわけで……という事は勝利なんて約束されて無いのか?」
一人ぶつぶつ呟くと、知床兄は納得したように両手を打った。
「はっはっは、なるほどな。ついに分かりかけてきたぞ。言葉に惑わされるのなら、あえて全ての言葉を無視すればいい。つまり最初の気持ちに戻って、勝てる気がしないというのが正解だ。今から試合を辞退できないものだろうか?」
「兄ちゃーーーん!? なんでそこで振り出しに戻るばい!?」
今までの熱い流れはどこに行ったとよ!? と叫ぶ知床弟。
それを聞きながら僕は思う。勝った……! 何に勝ったのかは分からないけど……!
とにもかくにも勝利の余韻に浸る。そんな中、知床弟の絶叫が続く。
「兄ちゃん! オイラを信じるたい!」
「うむ、俺はお前を信じているぞ」
「なら兄ちゃんは負けない! 絶対に負けない! オイラの言葉を信じるたい!」
「むうう!?」
知床兄はひとしきり唸り声を上げると、恐る恐るといった調子で言った。
「試合を止めれば負けることもありえない。つまり今から勝負を投げれば負けることは無いわけだ。そうすればお前の信頼にも応えられると思うんだが……どうだ?」
この人は何を言っているんだろう?
兄の言葉に納得がいかなかったのか、知床弟は涙ながらにシャウトした。
「どーーーして勝負を投げるとよ!? 勝って! 勝ってよ兄ちゃん! もっと熱くなるたい!!」
兄を想う弟。その目から流れる涙は儚くも美しかった。
そんな様子を傍から眺めながら、僕は思わず口を開いた。
「僕が言うのもなんですけど、もっと自分の意志を持った方がいいと思いますよ」
「はっはっは。面白いことを言うな。自分以外の意志を持つ人間がどこにいる? 多重人格者に憧れる年頃か、君は?」
「いや、そういう意味じゃなくてですね」
僕のセリフを冗談だと受け取ったのだろうか?
あっさりと勝負を投げようとしている男は、朗らかに笑ってみせた。
……ある意味で恐ろしい人だ。
背中に冷たい汗を流しながら僕は思う。
全く掴み所が無い……!
何を食べればこんな性格になるんだ!?
知床兄、またの名を和泉の王。大阪さんの下に集う王の一人。
風の王が彼を異様に恐れるのも、その掴み所の無さからだろう。
「な、ほんまクラゲみたいなヤツやろ? な?」
どこか嬉しそうな口調で同意を求めてくる大阪さん。
何故だろう? その能天気な態度に僕は軽くイラッとしていた。