183日目 スピリット・オブ・ファイア
「あれ? なんだこれ?」
公園に着いた僕は思わず声を上げる。
人、人、人の山だ。いつもは閑静な公園の風景は一変していた。
「なんや、ぎょーさん人がおるなぁ」
「今日のバトルに参加する人たち、かな?」
尋ねるように聞いてくる風の王。
僕は目の前の光景に戸惑いながらも答えた。
「いやー……全部で三チームのはずなんだけど」
まさかこれが全員、遮那のチームメイトって事は無いよね……?
「遮那って誰、かな?」
改めて尋ねてくる風の王に「僕の親戚だよ」と答えながら、視線を黒山の人だかりに向ける。なんでこんなに人が居るんだろう?
それに何だかヤバそうなファッションの人が多い。僕らと同年代かそれより下くらいの年の子が、ソリッドな衣装に身を包んでいる。
眉毛とかこめかみに入れられた切り込み。編むのにもの凄く手間がかかりそうなドレッドヘア。胸元に飾られたシルバーアクセサリーがチャラチャラと音を立てていた。
「ねえ、なんであの人達は雨も降っていないのにフードを被っているのかしら?」
冷蔵子さんが黒いパーカーを着た一団を見つめながら言う。
その集団は一言で言うならストリート・ギャングそのものだった。
僕は考えるのを止めて微笑みを浮かべる。
「きっとあれが彼らのライフ・スタイルなんだよ。特別な意味が込められている特別な衣装なんだ」
「そういうものかしら?」
首を傾げる冷蔵子さん。僕は先輩に同意を求める。
「そうですよね、先輩」
「まあねー。もしかして宗教的な衣装かもしれないね! 普段着の中に宗教の様式美を取り入れた柔軟なスタイルは、私達も見習うべきかもねー」
わりと本気で先輩はそう告げる。その言葉に冷蔵子さんも納得したようだ。
そして僕は早くも帰りたいと思い始めていた。
「なんでギャング団が普通に居るんだよ……!?」
黒パーカー集団に聞こえないように注意しながら小声で呟く。
いつからここはウエストでゲートなパークになったんだ!?
「坊主、さっきから表情が暗いで? 何を悩んどるんや?」
「大阪さん? 大阪さんは日本の治安維持についてどのような見解をお持ちですか?」
「それが悩みかい!? お前は一体何を悩んどんねん!」
そしてその口調は何やねん!? とツッコミを入れてくる大阪さんを尻目に、僕は周りの風景をぐるりと見渡した。
見慣れた公園には今もギャング・グループ風の少年達が溢れかえっている。
ドクロマークがプリントされた服の集団が、妙にビッグサイズのTシャツを着たヒップホップ風の男達と言い争いを始めていた。
空はこんなに青いのに、緑はこんなに眩しいのに、風景が記憶と一致しない。
端的に言って僕は現実感を失いつつあった。
「……せやからやな、治安を守るためには一人一人の決意が必要やと俺は思うわけや。誰かが闘う背中を見せることで、怯える人の心にも立ち上がる勇気が広がると思うんや。何も暴力が必要やとゆうてるんやない。しかしやな、不羈の民たらんとすれば、どこかで力と向かい合う決意が必要やと……」
「さっきから何を一人でべらべら喋ってるんですか大阪さん? ボケたんですか?」
「ほわっ!? 何って、オノレの悩みについて真剣に答えとるんやろうがッ!?」
どうやら僕が物思いに耽っている間に大阪さんは熱い演説をしていたようだ。
本気発言の恥ずかしさからか大阪さんは顔を赤く染めている。
悩みって何だったっけ? と思いながら返事を返そうとした時、突如として横から賛同の声が響いた。
「それでこそ! それでこそオイラ達のボスたい! その熱い想いに、オイラ感動したばい!」
声のした方を振り向くとそこには知床兄弟の弟が立っていた。
大阪弁を守るための集団、チーム大阪のメンバーの一人だ。
そのくせ何故か大阪弁では無く九州弁を使っている。
大阪さんの望みはきっと完全に空回りしているのだろう。
「オイラには分かるたい! 大阪さんは世界を変える熱たい! 胸に熱い想いがある限り、その熱は周りに伝わっていくとよ!」
大阪さんの演説に対し感動に瞳を潤ませる知床弟。
熱い男だ。軽く引くくらい熱い男だ。
チラリと視線を向けると、大阪さんも僕と同じ様に額から一筋の汗を流していた。
「せ、せやろか? それよりもや、お前の兄貴はどこにおんねん?」
「兄ちゃん? 兄ちゃんならあそこに居るとよ」
知床弟が指差す方を見ると、そこには黒パーカーの集団があった。
例のストリート・ギャング風の一団だ。そこに一人だけ服装の違う男の姿が見える。
ラフなカッターシャツに黒のジーンズ。礼装用というよりはオシャレのためなのだろう、襟元にネイビーブルーのネクタイを締めている。
そして顔はバイク用のゴーグルで隠されていた。ゴーグルに異様なこだわりを見せる男、知床兄は謎のギャング集団と和気藹々《わきあいあい》と会話を交わしている。
「あの人達はお知り合いの方ナンデスカ?」
僕はカタコトになりながら知床弟に尋ねた。
もしかして知床兄弟はブラザー世界の住人なんだろうか?
「いや、あんな人達知らないばい。多分兄ちゃんも初めて会う人達のはずたい」
「……じゃああんな所でお兄さんは何やってるんですか?」
「言葉は熱たい! 兄ちゃん達はお互いに熱を交換することで気持ちをさらに熱くしてるとよ!」
全てを悟っているかのようにうんうんと力強く頷く知床弟さん。
何も分からない僕は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
やがて談笑が終わったのだろう、黒パーカー集団を後にして知床兄がこちらに向かって歩いてくる。やがて僕らの目の前まで辿り着くと、緩やかに口を開いた。
「この時間帯には、まずはおはよう、と挨拶するのが正しいと教わったんだが問題ないか?」
この人が一体何を疑問にしているのかが分からない。
呆然とする僕の隣で大阪さんが言った。
「それは一般常識やろ。お前は何が言いたいねん?」
「しかしだなリーダー、おはようがこんにちわに変わるタイミングが俺にはどうしても掴めないんだ。どうしてリーダー達にはそれが分かるんだ?」
神妙な態度で語る知床兄。
僕には分かる。この人は真剣だ。真剣に尋ねている。
大阪さんは右手で額を抑えながら言った。
「お前はなんちゅーか……。時々底が抜けとるんやないかと本気で疑うわ」
「ははは。人間の底が抜けるわけが無いだろう、リーダー。やはり面白いな、リーダーのボケはいつも俺の心を温かくする」
「何コレ? 何で俺がボケた流れになっとるんや?」
「大阪さんは常にボケですよ」
「せやな。いや、そーいう事やなくてやな」
なおも言い募ろうとする大阪さんを華麗にスルーしつつ、僕は知床兄に疑問をぶつけてみた。
「あのですね、さっき黒いパーカーを着た人達と一緒にいましたよね。お知り合いの方だったんですか?」
知床兄はゆらりとした動作で僕の方に顔を向ける。
その表情はバイク用ゴーグルに隠されて見えない。
そのせいだろうか、知床兄は常に得体の知れない気配を漂わせていた。
這いよるように静かに。音も立てずにゆっくりと、知床兄が口を開く。
「いや、初めて会う相手だな。呼びかけられたから近寄っただけだ」
「呼びかけられたんですか?」
喧嘩でも売られたんだろうか?
そう予想した僕だったけど、その考えは知床兄の言葉で否定された。
「ああ。何でも俺をリスペクトしているらしい。今日のチーム戦の応援をしていると言っていた」
リスペクト? この人のどこにリスペクトするんだろう?
何となくゴーグルを見つめる僕。これが……リスペクト・ポイントなのだろうか?
黒いフードを被り、ゴーグルで目元を隠した男達の集団をイメージする。
完全に社会を逸脱している感じだ。
ブラザーズとリスペクトの関係。
そんな考えと共にごくりと唾を飲み込んでいると、大阪さんが知床兄の補足をするかのように説明を始めた。
「坊主はよう知らんやろうけど、こいつらはストリートのガキ共に人気があるんや。ゆうたやろ? 強いって。元々こいつらは路上のスポーツで活躍しとってな。かつてローラー・スケートにはまってた頃の俺と意気投合したっちゅーところや」
「そうなんですか」
曖昧に納得しながら大阪さんに返事をしていると、ギャング・チームからリスペクトされる男が自嘲気味な声を発した。
「弟に誘われるがままやっていただけだ。いまいちよく分からないが、あいつらが俺をリスペクトすると言うのならそういう事なんだろう。俺が負けるはずが無いと言われたよ」
知床兄はそこで言葉を切ると、チラリと先輩を一瞥した。
「そして俺はこう答えた。ぶっちゃけ勝てる気がしない、とな」
「兄ちゃん、なんでそげな風に言うとよ!?」
ダンッ! と地面を踏みつけながら知床弟が叫ぶ。
「もっと熱い魂を持つばい!」
「熱い魂……?」
「オイラも、そして大阪さんも、あの人達も! みんあ兄ちゃんの勝利を信じているたい! その熱を! 想いを! 魂で感じるばい!」
心の熱を放射するかのようにシャウトする知床弟。
そんな熱い男の姿を見つめながら、大阪さんは二人に聞こえないように小声で呟いた。
「いや、俺はそこまで熱い想いは抱いてないんやけどな」
炎は燃える。知床弟の心に芽生えた火はどこまでも広がり、やがて全てを巻き込んでいった。