181日目 友好、平和、握手
「貴様の言に我は賛同せぬ。死ねば負けだ。まず勝たねばならぬ。どんな時でも」
闇の中に声が響く。飛天さまの声は雪のちらつく真冬の空のように冷たい。
「何かを為したいのなら力を持つべきだ。死人に口無し。敗者の弁など誰にも届かぬ。物事の善悪を語る前にまず勝たねばならないのだ。そのために我は血と泥を啜るようにして研鑽を重ねてきた。強さを追い求めてきた。信じるものが心にあればこそ、だ」
重ねられていく言葉を聞きながら、僕は土下座するのを止めてゆっくりと立ち上がる。
僕の顔を正面から見据える飛天さま。宿敵の少女は語気を強めていった。
「言の葉は、それ自体は枯葉の如き軽さだ。分かるか? 言葉に重みを持たせたいなら努力が必要なのだ。ただうずくまるだけの者に耳を傾ける必要は無い。力無き者は努力を続ける必要があるのだ。自らの思いに重みを増すために。我はその為に剣の腕を磨いてきた」
冷然と言い放つと、少女はさらに険しい言葉を投げかけてくる。
「貴様はそんな努力をしたことがあるか?」
僕は答えられない。少女は語り続ける。
「積み重ねてきた物があるのだ。それを言葉の重みとも、信念とも言い換えることが出来るだろう。闘いこそが信念を示す場所なのだ。闘いを経ぬ言葉など、何の重みも無い」
信じるものを抱えて。
どこか厳かな口調になる飛天さまに、僕は何も答えられない。
「今まで剣の技を信じて生きてきた。剣でこそ人は真に語り合えると信じてきた。今さらその信念を変えられぬ」
星の見えない夜。月明かりさえ無く。
闇は穏やかで、だからこそ残酷な世界をそのまま映し出した。
世界は優しく無い。そんな世界に生まれて、人は居もしない天使を夢見ている。空想で描いた、羽根を持つ人間。僕らに手を差し伸べる、優しい神の使い。空想の中で、それは手のひらに掴めない星のように眩しく輝く。白く清らかな光。清廉なる祈り。心に願った祈りは掴めず、ただ相手に届くと信じるしかない。
祈りは心の中にあり、心は言葉にかわる。
ありもしない平和。それを夢見た言葉。誰かの空想で描かれた天使と同じ様にデタラメだ。どんなに願っても背中に羽根は生えない。僕らは天使にはなれない。優しい人間の居ない世界で。祈りは、それでも相手の気勢を削いだ。
「――だが、貴様の見せた意地は見事だった」
前言を翻すようなセリフ。
そんな言葉を呟きながら、飛天さまはそれまでの厳しい態度を崩していた。
「それに免じて今までのことは水に流してやろう。決して我の信念を曲げるわけではないがな」
剣技が命を奪うための軌道であるなら、言葉の斬撃は心を奪うための太刀筋だった。
狙い通りの結果を得た僕は、
(デレたな。いやヒヨったな。くっくっく、予想通り!)
不穏当なことを考えていた。
パッパッと膝に付いた砂を手で払う。地面に土下座した時に付いた物だ。
手のひらに残った砂を払いながら思う。彼女が退くことは何となく分かっていた、と。口では勇ましいことを言っても、飛天さまは割と実直な性格をしているのだ。初手から土下座をする相手に強く出られないと踏んでいた。
何度かの邂逅を経た今となっては、彼女の持つ性質を直感で掴んでいる。
言葉もまた剣だ。届かぬ剣を振るう愚は冒さない。届くと信じて振り抜いた。
だからこうなることを予測はしていた。
「ただ、言えておいて良かった」
思わず呟く。何か言ったか? と尋ねてくる飛天さまに、何でも無いよと答えた。
鳥は鳥であることを止められない。魚は魚であることを止められない。
そして、僕は僕であることを止められない。
澄んだ瞳で、なんのてらいも無く風の王は言った。僕は傲慢な人間だと。
笑い話じゃ無かった。冗談でも無かった。悪口であったら良かったのに。
風の王の言葉に他意は無く、ならばそれが正しい評価なのだろう。
傲慢と呼ばれ、ヘコんで、己を見つめ直し。
自分が悪かったと反省し、宿敵の剣士に謝罪をしてみたものの、やっぱりどこかやり方が身勝手だった気がする。
「全てに満足いくようには出来やしない。人は罪を選択して……って、あれ?」
喋っている途中に首を捻る。
自分の口から出た言葉がまるで他人のセリフのように思えた。そんなわけが無いのに。
なんだろう? 疲れてるのかな。
「おい貴様。さっきから何をぶつぶつ言っているんだ?」
「うほうッ!?」
びっくりして変な声を出してしまった。
「うほう?」
どこか呆れた態度になる飛天さま。
は、恥はかき捨てさと自己防衛を図りながら、僕は彼女の視線から逃げるように別の話題を切り出した。
「それじゃあさ、仲直りついでにもう一つお願いがあるんだけど」
僕は夜のひしめく空の下、宿敵だった少女と共に路上の上に立っていた。夜の黒さは染み込むように深い。
街路樹も、そこから伸びるしなだれる枝葉も、舗装された石畳も、そこに転がる小石も影となって見えない。ただ虫の鳴き声だけが聞こえている。
闇の中、飛天さまの輪郭が薄っすらと見えている。その顔にはお面。今さら思うけど何でお面なんか被っているんだろう?
「お願いだと?」
飛天さまが返事を返して来た。日常的にお面を被る人と仲良く会話をするというのは、どう考えても人生を転んでいるような気がしてならない。
……いや、せっかく仲直りしたんじゃないか。頭に浮かぶネガティブな考えを振り払いながら僕は言った。
「今度の土曜日に学園近くの公園でストリートなバトルをするんだ」
「公園でストリート? なんだそれは。一筆書きの大会でもあるのか?」
「いや違うけど。どうしてそこで一筆書きが出てくるのさ?」
「この前そういう人達を見たのだ。競い合うようにして馬の絵を描いていたぞ」
「馬、かぁ」
さらさらと描かれる馬の絵を想像する。
ストリートで描かれる前衛芸術。今も手を変え品を変え続いているらしい。
「うーん、そういうのとは違うんだ。どう言ったらいいかな……アスレチックなイベントの一つっていうか。学生運動?」
「???」
女剣士は何一つ分からないという風に首を傾げた。説明するならもっと分かるように話せ、とこちらを責めて来る飛天さまに、僕は言葉を選びながら続ける。
「公園で宙返りしながら走るスポーツがあるんだよ。中学生とかもチーム作って競い合ってるみたいでさ。それで僕らもシノビーズってチームを作って出ることになったんだ」
「なるほど。それは分かるがどこが学生運動なんだ?」
「え? 中学生がチーム作って争いあってるし。だから……」
「貴様の持つ学生運動のイメージは明らかにおかしい」
飛天さまは額に手を当てながら「はぁ~……」と深い溜息を吐いた。
あながち間違ったイメージでも無いと思うんだけどなぁ。
「一応訊くんだけど、僕らのチームに入ってみない? 人数多い方が何かと良いだろうし」
かつて目の前の少女が見せた異常な跳躍力を思い返しながら提案してみる。
仲直りのついでと言ったところだ。
飛天さまはしばし考え込むようなそぶりを取った。
「今度の土曜、か。用事は特に無いな」
「見るだけでも良いから来てくれない? 僕らのチームの応援をして欲しいんだ」
「ふむ……」
無言でこちらに手を伸ばしてくる飛天さま。
慌てて僕も手を差し出す。
友好、平和、握手。
ボディータッチとは、相手が武器を持っていないことを確かめる儀式だ。
奇跡のような瞬間が訪れ、スラム街のブラザーのように友情を確認しようとする僕ら。
触れ合う寸前の指先。
そして彼女はにこやかな態度のまま僕の手を払いのけた。
「!?」
呆然とする僕の前で、飛天さまは高らかに宣言した。
「誰が貴様に協力などするか! 応援だと!? 笑止! 今までの事は水に流すが、これから仲良くするとは一言も言っていない! 今この時から新たに闘いが始まるのだ! 何故なら貴様と我は争い合う運命にあるのだからな!」
「えええ!?」
打ち払われた右手を押さえて僕は絶叫する。
「今までの流れは何だったの!? 僕らはこれまでの無駄ないがみ合いを乗り越えたんでしょ!? なんで友情が築けないかなぁ!?」
力の限り叫ぶ。
そんな僕を小バカにするような口調で飛天さまは言った。
「友情? そんなものは我と貴様の間には無い。戯言は聞き飽きたわ」
「戯言だとぉ!? じゃあなんで握手しようとしたのさ!? あっ!」
不意に脳裏に閃くものがあった。
「そうか分かったぞ! ただ単に僕の手を払いのけてみたかっただけだ! 予想を裏切られて呆然とする僕の顔が見たかっただけでしょ!? ねえそうなんでしょ!?」
「ふん。そのような姑息な真似は我には思いもつかんな(ニヤニヤ)」
「笑ってる!? 絶対に図星だ!」
な、なんて奴だ……!
数々の邂逅を経てきたというのに、こんなに嫌な奴だとは気付かなかった!
この自己中め! いっつもお面とか被って頭おかしいんじゃねーの!
言葉は届き、思いは伝わり、そして何故か振り出しに戻る。
前に進んだかと思いきや、一歩もその場を動いて無くて。
まあ人生なんてそんなもんだよね。一本取ったかのように勝ち誇る飛天さまの前で、僕は脱力するしか無かった。