179日目 勇気と冗談と謝罪の物語
月明かりすらない夜の中。当然辺りは真っ暗だ。
省電力というよりは、単にワット数が少ないだけの街灯が夜道を照らす。
弱い光は、渦を巻くような闇の中に落ちては消えていく。
「我が虫みたいだと……!? おいコラ、ふざけるな!」
それとは対照的に飛天さまの怒りは勢いを増しているようだった。
「我を貶すためにわざわざ呼び寄せたのか!?」
「それは誤解だよ!」
「じゃあさっきのセリフはなんだ!? 答えてみろ!」
答えろと言われても、自分の心ほど分からない物は他に無い。人の心は世界最後の迷宮なのだ。
どうしたものだろうか。いや、こんな時はやはり古典に答えを求めよう。投球に正しいフォームがあるように、心へのアプローチも正しい方法があるはずだ。
偉大なる先人達の言葉に答えを探していると、ふと心に引っ掛かるフレーズがあった。思わず口ずさむ。
「目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚ろかれぬる……」
「……詩歌か? 唐突になんだ?」
疑問を返してくる飛天さま。僕は徐々に自分の気持ちを掴みかけていた。
「気付いたのさ」
「気付く?」
「本当にバカにするつもりじゃ無かったんだ。だけど、どう考えても僕のセリフには棘があった。つまり……実は心の奥底ではバカにしていたのかもしれない。そんな自分の本心にたったいま気付いたんだ」
しばしの沈黙。
飛天さまは短く、そうか、と呟いた。
「つまり我がカブトムシ以下だ、というセリフは、貴様の本心が思わず出てしまったという事だな?」
「イエス」
「よーし、そのままそこに立っていろ。今から殺す」
ちゃきっ、とまるでこれからニンジンを切るかのような気軽さで竹刀を構える。そんなキリング侍を前にして僕は慌てて弁解した。
「ちょ、ちょっと待って! 冗談! 冗談だよ! もう、ユーモアの無い人だなぁ!」
「我は冗談が嫌いだ」
「いっつもお面を被ってるのに? そんな格好で往来をうろつくなんて、冗談じゃなきゃ出来ないと思ってた」
「どこを打たれて死にたい? それくらいは決めさせてやろう」
どうやら火に油を注いでしまったようだ。
「ストップ! ストップ! 僕はただ謝りたかったんだ!」
「謝る?」
ピタッ、と剣の動きを止める飛天さま。
胡乱な目で僕を見たあと、
「我も鬼では無い。謝罪を示したいのならば受け入れよう。潔く首を差し出すがいい」
「うん分かったよ……って首を差し出したら生きていけないよ!? それは死刑宣告だ! 全然許す気ないってことじゃん!?」
「貴様が死ねば水に流そうというのだ……! さあ来い、刀の錆びにしてくれる!」
竹刀が錆びるわけ無いだろ、とツッコミそうになったけど止めておく。
「辞世の句くらいは残させてやろう!」
「じ、辞世の句!?」
「さあ言え! 言わねば今すぐ斬る!」
突然言われても思いつかない! だけどここで時間稼ぎをしておかないと!
「どうした!? あと三秒だ!」
「えええ!? そんなに時間短いの!?」
本当に今すぐじゃん!?
僕が驚いている間にも非情なカウントダウンは続く。
「あと一秒!」
「えーと、えーと! あんたのパンツは白かった! ダッセエんだよバーカ!」
「よくぞ言った! 絶対に殺す!」
やけくそで放った辞世の句は、どうやら彼女の迷いをきっぱりと断ち切ったようだ。飛天さまはもはや何の躊躇も無く竹刀を打ち込んでくるだろう。
へへっ、いいだろうやってやる。僕だってただじゃやられない……! そう覚悟を決めかけた時、本来果たすべき目的が頭をよぎった。
そうだ、何の為にわざわざ彼女を誘き寄せたんだ? 剣と拳を交えるためじゃない。争うためじゃなく、謝るためだ。
僕は黙って飛天さまの前に進んだ。む、と短く唸る彼女の前まで出ると、その場でくるりと背を向ける。そしてドカっと腰を下ろした。首の後ろを晒す無防備な体勢で座る。
「なんのつもりだ?」
頭上から響いてくる飛天さまの言葉に、僕は淡々と答える。
「あんたが言ったんじゃないか。首を差し出せって」
「本気で差し出すつもりか?」
「一発ぐらいはね、受けておこうって思うんだ」
竹刀での一撃を想像し、背中にゾクゾクと寒気が走る。木製だから死ぬことは無いだろう。……まさか突きは出してこないよね?
覚悟を決め、瞳を閉じる。永遠に感じる瞬間が過ぎていく。
静かだった。ただ自分の鼓動の音だけが慌しく聞こえている。
こうしていると色んなことを思い出した。あれから中ノ山天文台にお客は訪れたのだろうか? 田崎さんは正気に戻ったのだろうか? どうでも良い事ばかりが胸をよぎった。
「ふん。気が萎えたわ」
降り注ぐように聞こえて来た言葉に、思わずぱっと目を見開く。
振り向くと、そこにはさっきまでの怒気を鎮めた僕の宿敵の姿があった。
「我の剣は暗殺剣にあらず。無抵抗の者を斬る趣味は無い」
「ああ、そう言えば最初に会った時もそんなこと言ってたよね」
気安く話しかけると、侍少女はあまり調子に乗るなよ、と釘を差してきた。そして僕の隣に腰掛ける。夜は深い闇の中に沈み、お互いの姿以外は何も見え無かった。
「貴様の覚悟に免じて話くらいは聞いてやろう」
「それは……ありがとう」
「さっさと言え。あと三秒だ」
「だから時間が短すぎる!? 三秒で一体なにを言えっていうのさ!?」
愕然とした表情を浮かべる僕。
そんな僕に対し、飛天さまはくっくっくと低い笑い声を上げる。
「冗談だ」
「冗談は嫌いじゃ無かったのかよ……」
「我とて、たまには冗談を言うことくらいある」
どこかさばさばした声で告げると、飛天さまはそのまま言葉を継いだ。
「それで? 我に言いたいことがあるのだろう?」
僕は黙って頷く。
「最近さ、とある人から傲慢だって言われてね」
「傲慢?」
「僕のことさ」
心に重く残る言葉。苦い笑みを浮かべて話を続けた。
「それで色々考えたんだ。傲慢な性格のせいで、今までに知らず知らずの内に迷惑をかけた相手がいないかなって。そこであんたの顔が思い浮かんだんだ」
「ほう、我の顔が?」
意外だな、と言わんばかりの態度で相槌を打つ飛天さま。
まあ本当の顔はいまだに知らないけどね……。飛天さまってずっとお面被ってるし。
いや、今はそんな事より大事な問題がある。些細な問題から目を逸らして僕は言った。
「僕達ってさぁ、こうしていがみ合ってるわけだけど、その原因は僕にあるんじゃ無いかと思ったんだ。今までそんな風に考えたこと無かったけど、考え出すとそれが正しいように思えてきてね。だから謝りついでに一度くらい殴られておこう、そう思ったんだ」
僕の言葉を吟味するように、飛天さまはしばしの間押し黙った。
そんな時間は唐突に終り、ポニテ侍は僕の隣に座りながらぽつりと呟いた。
「ふむ……まあ、貴様の気持ちは分かった」
言葉と共におもむろに立ち上がる。
お面剣士は無言で闇の中を数歩進んだあと、僕に背を向けたまま語り出した。
「何にしろ、謝罪とは勇気が要ることだ。我とて剣に生きる者。人の誠意を無碍にはしないつもりだ。貴様の言葉、心に留めておこう。それで許すとは限らんが、な」
とりあえず矛を収めてくれたのかな?
ほっと息を吐く僕に対し、飛天さまはこちらを振り返って訊いてきた。
「それで、我をカブトムシ以下と侮辱した件については? そちらの謝罪に関してはまだだったな」
穏やかな口調だ。安心しきった僕は何も考え無いまま口を開いた。
「いやあ自分の本心って言われないと気付かないもんだね。だってさぁ、闘気を感じるって何だよ闘気って。フェロモンを感じるモンシロチョウじゃないんだからさぁ……って竹刀を下ろしてよ!? ごめんごめん! マジでごめん!」
平身低頭、土下座して謝罪する僕。
飛天さまは憎々しげな様子で声を荒げた。
「ちっ! 素直に頭を下げなければ血祭りに上げるものを……!」