177日目 第五の四天王
草木も眠る丑三つ時……というのは嘘だった。
今の時刻は夜の九時過ぎ。夜は夜だけどそれほど夜では無い。
俗に言う、青は藍より出でて藍より青しというやつだ。
いや全然違うか。
例えるならそう、四天王の中で一番雑魚のキャラが出てくる時間帯だ。
夜の四天王は四天王だけに四人いる。
まずは宵の明星の王子。続いて星空の騎士。その次が月の女王で、最後が真夜中の帝王だ。真夜中の帝王の特技は高いドンペリを頼むことなので、一番シビアな相手と言える。
四人の中で最弱なのは誰か? 最初に出てきた宵の明星の王子と言いたい所だけど、それは間違っている。答えは星空の騎士だ。何故か?
宵の明星の王子はイケメンなので厚遇されるのだ。げに恐ろしきは見た目の力。人は見た目が九割である。イケメンはいつも得をする。そこに生まれも身分も関係は無い。美は人を支配する力を持っているのだ。
そして宵の明星の王子は、見た目が良いという理由で主人公達の仲間になるだろう。元は仲間だったはずの夜の四天王を相手に戦い、恩讐を超えながら強くなっていくのだ。だから最弱キャラの答えは星空の騎士だった。
星空の騎士はイケメンでは無かった。宵の明星の王子とキャラが被らないように筋骨隆々のキャラだったのだ。筋肉キャラは悲しい。どんな時でもかませ犬なのだ。
スタイリッシュなキャラが筋肉キャラをぶちのめすのがオシャレなストーリーだった。美は筋力を超克する。牛若丸と弁慶の時代から続くお約束である。
そんな古来から連綿と受け継がれるオシャレなストーリーは、僕が夜道を歩く理由とは全く関係が無かった。僕は光無き夜の道を歩き続ける。その理由は……。
「ぐるるるうう……!!」
前方にある草木の茂みから唸り声が聞こえてきた。
視線を向けると、黒い塊が見えた。闇の中の闇。夜の底に佇む影が動いた。
影はうねるようにして彼我の距離をつめてくる。
遠く聳える街灯の薄い光が差した。
微かな明かりが闇の正体を照らし出す。僕はとっさにまじまじとそれ見つめた。
(こいつは……夜の四天王! なわけ無いか。なんだろう? やっぱりよく見えないや)
なによりも光量が足りない。僕は目を凝らしながら懸命に観察を続ける。
それは揺れるように地面を這った。
遠く差す光が次々と体のパーツに当たり、薄っすらとしたシルエットを浮かび上がらせる。
大きさはだいたい僕の腰までくらいだ。
あれは……多分耳だろう。ピンと天に向かって生えた耳が見える。
熱い吐息を漏らす口。口元には、ぬめったように光を反射する白い牙。
それは犬だった。首輪の無い犬が、僕の前に立つ。
光が無ければ物は見えない。夜の闇は、僕らから視界を奪ってしまう。見えないはずの世界の中。目の前の犬が発する怨嗟の念は、皮膚の上に突き刺さるようだった。悪意の棘は、その輪郭すら明確に感じられた。
(野良犬か。心地いい狂気だ。その気迫を評して第五の四天王ザ・ファングと名付けよう)
愚にもつかない事を考えながら立ち尽くす。
静かな夜道には、消え入りそうなほどか細い音で虫の鳴き声が響いていた。
「ぐうるるるう……!!」
夜の静謐を打ち破りながら野犬は唸り声を上げる。
この犬が何を憎んでいるのかは分からない。
あるいは僕のことを見抜いているのかもしれない。そう、
「僕が傲慢だと……そう責めているのか?」
目の前に立つ獣は人の傲慢さに対して怒っているのだ。
都合のいい時だけ優しくされ、まるでゴミのように捨てられた獣。
純粋な心は人の身勝手さにより歪められてしまった。
獣は吼える。それは、僕らの行いに対する鏡だ。
お前は傲慢だと叫んでいる。お前達は身勝手だと憤怒の声を上げている。
夜の闇から現れた獣は、人の、そして僕の心の在り方を糾弾していた。
「僕は……」
獣は、誰かの手が自分の体に触れるのを待っていた。優しく撫でられる日を待ち望んでいた。しかし僕にはそれが出来ない。優しい人になれない僕は、差しのべるべき手を持ち合わせていなかった。
さながらダンゴムシのようなものだ。幾つもある手は短すぎて、どこにも伸ばすことが出来ない。誰にも触れられない。その手はただ自分の為だけにある。それが悲しくて、ダンゴムシは殻に閉じこもるのだ。
それすらも身勝手な願いだった。自分のことしか考えられない、傲慢な思いで……。
「うぉん!!」
「うわっ!? この犬野郎ッ!?」
脳内ポエムを強制的に打ち切られる。
鋭い鳴き声と共に野犬は飛び掛ってきた。容赦が無い。
「うぐぅるるるう!! うぉんうぉん!!」
「くそっ! 僕は敵じゃないってどう教えればいいんだ!? ほ、ほら! お手ッ!」
「ぉんッ! うぉん!」
「うおっ!? 即座に噛み付こうとしてきた!? やっぱり漫画の知識じゃダメか!! 何が動物は怯えているだけだよ!? 今のは完全に僕を殺す気でかかってきてるって!! この世は嘘吐きだらけだ!!」
やはり動物と人間は分かり合えないのだ。
心温まるハートフル物語は嘘で、リアルファイトで牙を突きたて合う関係なのだ。
「ううぅ……!! ぐぅるるるうう……!!」
「うわぁ、牙が剥き出しだぁー……」
今夜のご飯は僕に決めたって腹かな?
獰猛な獣。その目にはある種の決意が見え隠れしている。
「さすが第五の四天王、ザ・ファング。見事な覚悟……!」
顔の横を一筋の汗が流れる。呟きながら、僕自身も覚悟を決めていった。
生き残るために。自分のために。傲慢な心を解放していく。
僕が決めなければいけないのは、目の前の獣と戦う覚悟……では無い。
それよりもなお業の深い、光り無き道。そう、
「君の覚悟に免じて僕も決めるよ。動物愛護団体と戦う覚悟を」
光り無き夜の道を歩いた事。その真の目的を果たすために。
この犬には、エサになってもらおう。
手加減無く繰り出した僕の蹴りと、凶悪な勢いで飛びかかってきた野犬の牙が交差した。
どれだけの数の衝突があっただろうか?
僕は数え切れないほどの接近戦を繰り返していた。
「くっ、いい動きをすると思ったらドーベルマンじゃないか!! 誰だよ捨てたの!?」
ドーベルマンは警察にも使われる、俊敏な動作が売りの犬だ。
割とシャレにならない脅威の身体能力を持っている。犯人逮捕はお手の物だろう。
さらに、野良犬となったドーベルマンは野生の凶暴さをも手に入れていた。つまり、
「蹴りが当たらない……!?」
驚くほど避けられる。そして、
「異様なほど攻撃が鋭い……!」
何度か噛まれかけた。
動物愛護団体どころじゃない! 保護が必要なのは犬じゃ無く、この僕の方だ!
今もヤバイくらいに吼えている。牙を剥き出しにして、気合十分と言った感じだ。
(くっ、このままじゃ負ける! そして噛まれる! ダンゴムシガードが欲しい!)
甲殻防御だ! イェイ、イェイ!
人はどうして外骨格を持て無いのだろうか?
かなり早い段階で分かれてしまった人と虫の進化の系譜に思いを馳せつつ、身を捻る。体毛の感触すら覚えそうなほどの至近距離を、猛然たる勢いで獣の体躯が通り過ぎていった。
相手の攻撃はまだ終わらない。
地面に着地したドーベルマンは音も立てずにこちらを振り返る。一秒にも満たない時間が過ぎ、再び飛びかかって来る。
体を捻ったことにより僕の関節は曲がりきり、動きは硬直していた。そんな僕の姿を捉えているドーベルマンの瞳に、勝利を確信した色が浮かぶ。
夜の闇は視界を奪った。それでも不思議なほど、僕の体に突き立てられようとする牙ははっきりと見える。狙いは僕の頭らしい。
白く滑らかに尖った牙の峰が、夢みたいな速さで目の前に迫っていた。
「――――!!」
バカな事を考える暇も無く。むしろまともな回避方法を考える時間も無いまま。僕は動いていた。
足から完全に力を抜く。それまでの支えを失った体は呆気なく重力に囚われた。結果、沈みこむように地面に倒れる。
髪の毛が舞い上がり、ギリギリの所を野犬の牙が通り過ぎていった。
「あ、あっぶねー……!」
思わず冷や汗を垂らしながら呟く。着地したドーベルマンは勢い余ってたたらを踏んでいた。軽くステップを刻むようにして僕から距離を取ると、くるりとこちらを振り返った。
まだまだやる気のようだが、少しばかりインターバルを置くつもりらしい。警戒するように唸り声を上げた後、僕を睨んできた。なんという危険生物だ……!
どうして僕はそんな危険生物と今も戦っているのか?
それは決して不可抗力では無い。それには理由があった。その理由は……。
「そろそろ来たかな?」
ぴくり、と耳を澄ますドーベルマン。その仕草を確認しながら僕は言った。
この夜に漂う気配。そこに違いが生まれたであろうことに、僕は今も気付けないままだ。
しかし……人より優れた感覚器官を持つこの生物は何かを感じ取ったらしい。
それは恐らく僕の期待していた変化だろう。
夜の道を歩き続け、そしてこの犬と死闘を繰り広げた真の理由。
その理由とは、とある人物を僕の前に誘い出すことだった。
ドーベルマンは僕から視線を外すと、闇の一点を睨んだ。
その場所にこそ待ち人が到来しているのだろう。期待と共に視線を向ける。
僕の予想通りにその人物は居た。夜の静寂。その狭間から闇を切り裂くような玲瓏たる声が上がる。
「ふん、貴様の闘気を感じたかと思えば……犬を相手に何をやっているのだ?」
そこには僕の宿敵であるお面剣士、飛天さまの姿があった。