175日目 黄昏ロマンス
「案外ロマンチストだな」
「ろ、ロマンチスト!? いきなり何ですか?」
一体いまの会話のどこにロマンスがあったのだろう?
意表を突かれてしどろもどろになる僕。
そんな僕に対し、オカルト同好会の会長たるエックス氏は無駄に態度がでかかった。
まるで部員を見るかのように僕を見下すと、鷹揚にうなずいてみせる。
「いやなに、こちらの話だ」
「ものすごく僕に関する話のような気がするんですが……」
なにをニヤニヤ笑っているんだよ……!
そういう風に小バカにされるのが一番嫌いなんだ……!
エックス氏は相変わらず目を細めて僕を見る。
これはもう喧嘩を売られていると思ってもいいだろうか?
気付かれないように左足を下げると、僕はそっと床を踏む爪先に力を込めた。相手に向かって跳びかかるためにだ。
先手必勝は世の慣わし。
さらば友よいざ征かん。念の為に辞世の句を心の中で読み上げる。
(……というわけで、再び涅槃に帰るがいい! オカルト同好会の会長め!)
いよいよ足を蹴りだそうとした瞬間、エックス氏がピクリと反応した。
(バレたか!?)
出鼻を挫かれ巨大な戦慄に襲われる僕。
しかしエックス氏は何もしなかった。僕を攻撃するそぶりも無く、ただ厳かな態度で口を開いた。
「いくら手を伸ばしても星に手は届かない。それでも、それは星に手を伸ばさない理由にはならんのだな」
「はぁ……?」
「我々は星を手にしただろうか? 確かに天文学はかつて無く発達し、星がなんたるかを解き明かし、人は月の上にすら立った。それはある意味で星を手に入れたということなんだろうが……」
なんで星の話なんだ?
滔々と語るオカルト好きな変人を前にして、僕は呆然と生返事を返すしかなかった。
目を点にする僕。エックス氏は構わず続ける。
「我々が本当に欲しかったのは石ころじゃない。隕鉄の塊でも無いし、銀河の外に輝く他の天体の太陽でも無い。我々が欲しいのは遠く瞬く光なのだ。小さくか細い光……求める星は心の中にしか無い。その事をゆめゆめ忘れないことだ」
独特の詩吟を語り終えると、エックス氏は僕に背を向けた。
用は終わったとばかりに立ち去っていく。
そして、最後に一度だけこちらを振り返って言った。
「ではまた今度。カリ・ユガの終りにでも会おう」
得体の知れない笑みを浮かべる顔を。
数メートル先にある廊下の角に消えて行くまで、僕はその背をただ見つめるしかなかった。
「……仮湯が?」
「おおっとそうだった!」
「うわっ!? まだ居たんですか!?」
消えたと思った廊下の角から脈絡も無くニョキっと顔を伸ばすエックス氏。
僕の驚きなど全く意に介さないまま言った。
「君の探す人物は屋上に居るだろう。なんだかそんな夢を見た気がする」
「…………夢?」
「うむ。お告げという奴だな。予知夢とも言う。予知は時を超えるが、果たして我々は時に対して前に進んでいるのだろうか? それとも後ろを振り返っているのだろうか……? まあいい。とにかく屋上に行ってみるがいい。そして後で結果を教えてくれたまえ。もしも俺の夢どおりになら、君は懐かしい未来に辿り着けるだろう」
「さっきから何の話かさっぱり分からないんですけど」
「夢は死の前段階なのだ。どうして人は眠るのか? それは死の疑似体験をするために他ならない。人は睡眠を通して死へ近づいて行くのだ。今度の研究テーマは『夢』にするか……」
「僕の質問を聞いてますか!?」
どこにも瞳の焦点を合わさないままブツブツと呟くエックス氏。
廊下の角に消えて行くその姿を、僕はただ見守るしか無かった。
「ほんとに居たよ……!」
校舎の屋上に出た僕は、そこに探していた少女の姿を見つけていた。
夕暮れ時の空はささやかに風を運び、少しだけ前髪を揺らす。
屋上の際に立つ風の王は、スカートをはためかせながら地平線を見つめていた。
僕が近付いても振り返ることも無く、視線を遠くに向けたまま言った。
「なに?」
「いや……」
この結果をエックス氏に報告せねばならないのだろうか? だけどあんまりあの人には関わり合いになりたく無いなぁ……。なんてことを密かに悩みながら僕は口を開いた。
「思えば、僕らが初めて会ったのもここだったなって」
「……そう言えばそう、だね」
風の王との出会いを思い出すのは、彼女との関係の深さからでは無い。むしろその逆、関係の希薄さがそうさせた。出会った瞬間を忘れるほどの時間も経っていないのだ。
そして、他のことを持ち出すほど僕らの話題は豊富では無かった。無難なセリフにありきたりな返事。どこにでも転がっているような会話の典型例。
僕らのやり取りはまるでコンビニのおにぎりのように定型で、どれもこれも同じ形だ。レールを外れることの無い会話集。言葉は、真っ直ぐ綺麗なだけに寂しさがあった。
そんなインスタントなセリフの応酬すら終り、次の言葉が途絶えてしまう。無音に満たされた空隙。屋上から見える空は寂しく広がっていた。
――君は懐かしい未来に辿り着けるだろう
懐かしいかと問われれば、メランコリックな風景に佇む風の王の姿に妙な郷愁を覚えるのも確かだった。思わずクスリ、と笑う。
もしも前世があったとして、生まれ変わる前に出会っていたとしても、やっぱりこんな関係に落ち着いていたような気がする。
海は遠く、波の音は聞こえない。それでも空はどこまでも続き、この大地の果ては海に繋がる。何故なら地球は丸いからだ。
風の王のコケティッシュな横顔。緩く風に吹かれる彼女の髪を眺めながら、それとは関係無しに青いスイカのような球形の海と空と大地を想像して、僕はそっと呟いた。
「聞こえる」
「はぁ?」
怪訝な顔をみせる風の王。僕は言葉を続けた。
「いや、ここからだと風の音がよく聞こえるなって」
耳元で渦巻く気流を感じる。
風の王を名乗る少女は、短い髪を気持ち良さそうに風に流した。
「……まあね。ここはだから、良い所、かな」
言葉は途切れ、風の王は再び視線を彼方に向ける。
それでも今までとは違うこともあった。
そう信じて、僕は次の言葉を待つ。
風で揺れる彼女の髪。小さな耳が見え隠れする。ややあってから、少女は口を開いた。
「知床兄弟にあったの、かな?」
「うん、まあ」
聞かれて思い出す。
そう言えば風の王が僕の前から逃げ出した時、知床兄の話をしていたような気がする。
ぼんやりと考えていると、風の王の言葉の続きが耳に入ってきた。
「どうだった、かな?」
「どう?」
「アイツらはキミから見てどうだったの、かな?」
「どうって言われても……?」
返事の返し方が分からず、言葉に詰まってしまう。
知床兄弟。それは大阪さんと共に王を名乗る愉快な兄弟だ。
大阪を守るために謎のチームを結成した大阪さんと愉快な仲間達。風の王を名乗るこの少女もそのチームの一員だ。
大阪さんいわく、風の王は何故か他のメンバーに喧嘩を吹っかけているらしい。そこまで思い出したところで、少女はゆっくりとこちらを振り向いた。
「知床兄弟の兄、和泉の王……」
僕が戦わねばならないといった相手の名前を口ずさみながら、風の王は酷く怯えた色を目に浮かべている。寄せられた眉根。小さな肩を震わせながら、少女は言った。
「ワタシは、アイツが怖い……!」
風は凪ぎ、音は止まる。
黄昏色の空の下、僕はまじまじと風の王の顔を見つめていた。