173日目 絶望のクロニクル
いつもの人を食ったような笑みを消して絶叫する風の王。
そんな彼女に対して、僕は恐る恐る尋ねてみた。
「ええっと、ことわざに無かったっけ? 男子三日会わざれば敵が七人いるって」
「そんなことわざ聞いた事が無い、かな!?」
改めて絶叫を返される。
あれ? 何か間違えたっけ?
首を捻っていると、冷蔵子さんからの突き刺すような言葉が響いた。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、よ。何を適当なことわざを作っているのかしら?」
「そしてもう一つは、男は敷居を跨げば七人の敵ありだね」
冷蔵子さんに続けて先輩にまで指摘される。
驚愕が、まるで突然の雷のように全身を駆け抜けた。
僕はダクダクと脂汗を流しながら、震える顔で先輩を見つめた。
「先輩って……」
「んー? なーに?」
「結構、頭良かったんですね……!」
「……少年、君は私を一体どういう目で見ているのかな?」
ふっふっふ、と笑う先輩。しかしその目は笑っていない。
ここはなんとしても誤魔化そう。僕はコンマ三秒で決断した。
「そ、それより先輩! シノビーズの最後のメンバーをどうしますか!? さ、さすがにアラブまで探しに行くってのは冗談なんですけど、それにしたって思い当たる人がいませんね!」
「うん、それはそれだね。とりあえず少年の私に対するイメージについて、向こうでじっくりと話し合おうか?」
いかん、このままではヤラれる。
ドラゴンよりも税関よりもなお強大だろう先輩を前にして、僕の足は恐怖に打ち震えていた。
そんな時だった。
「シノビーズってなに、かな?」
僕と先輩の間隙を縫うようにして風の王の言葉が響く。
――これだ! 千載一遇のチャンス到来!
話の流れを変えるため、僕は彼女をメンバーにスカウトすることにした。
「シノビーズ、それは最強を賭けて争うためのチームさ! 弱い者は不用! 弱肉強食! 情け容赦の無いラフ・ファイトを信条とするストリートの鬼なんだ! メンバーは非常に選りすぐられた人だけで構成されるんだけど、もちろん君なら歓迎するよ!」
「選りすぐられた人……?」
「貴方ねえ、ストリートの鬼って何なのよ? バカなことは止めなさい」
呟き、考え込む様子の風の王。おっ? これは脈ありか?
僕は冷蔵子さんからの冷たい叱責をスルーしながら、必死に言葉を続ける。
「敵は強いぞ! 凄いんだ! 他人の動きをコピーする人間複写機とか居るし! 空飛ぶ田中とツバメ返しを使うロミオも控えてるし、きっと二刀流のジュリエットだって存在する!」
「二刀流のジュリエット!? キミは一体なにと戦っているのかな!?」
そんなのは決まってる、と僕は捲し立てた。
「七人の敵さ! 言ったろう? 男には敵が七人居るって。きっとあと三人くらいは出てくるはずだと睨んでいるんだ」
「それは絶対に戦うべき相手を間違えているかな!?」
冷静に指摘してくる風の王に、僕はニヒルな笑みで応えた。
人生は無情だ。戦う相手を選べるとは限らない。
「ワタシだって敵とは戦うけど、空飛ぶ田中って……」
どんな奴なんだ、と複雑な表情で呟く風の王。
田中スカイウォーカーという名のストリート・ファイター。
その正体は僕ですら知らない。言葉の羅列から推測するしか無かった。
「僕も敵については知らないことが多い。ストリートでチームを作るなら、敵は選べないんだ。かかってくる火の粉を払い続けるしか無い。たとえどんな相手が敵になろうと、僕は決して怯まない……!」
とりあえず困った時は押してみよう。
僕はひたすら力強く言葉を続けた。
そんな僕の熱弁に対し、風の王はどこか呆れ顔だった。
「人間複写機とも? 他人の動きをコピーって、そんな人間が……動きをコピー?」
おや? なんだろう、急に様子が変わった。
「もしかしてキミの敵は和泉の王、なのかな?」
和泉の王? 誰だそれ?
……ああ、知床兄のことか。大阪さんがそんなような名前で呼んでたな。
「知ってるの? 何故かライダーゴーグルをずっと身に付けてる人なんだけど」
知床兄の特徴を告げると、風の王は静かに頷いた。
常に浮かべている半笑いを止め、真剣な表情で僕を見つめる。
(そう言えば、彼女も元は大阪さんのチームの一員だったな)
いや、今もまだ大阪さんのチームなのかもしれない。
僕の部下になると言った彼女だが、何もチーム大阪を抜けるとは言っていない。
むしろ僕の方こそ大阪さんのチームに入れられそうだった。それだけは嫌だ。
ここら辺で色々とはっきりさせておいた方がいいだろう。
「ごめん……知ってて当然だよね。元々君に関わりのある人だし」
謝意を伝える言葉。
それとは裏腹に、僕は自分の声にある種の圧力を込めていく。
「和泉の王。そう、彼は僕の敵だ。君も知っての通り、彼には弟が居る。その弟もシノビーズの敵となる。数には数が必要だ。つまり君の助けが必要になる」
言葉とは重圧だった。
編み込まれた単語の羅列は、一つ一つの意味を増幅させる。
意味は影響を与えた。
適切な位置に置かれた言葉は、耳から脳に達し、思考を束縛する。
支配する。
重なり合い、重みを増した言葉は緩やかに心を縛っていく。
それを想像しながら言葉を積み重ねていった。
「君はもちろん、僕を手伝ってくれるよね? 何故なら――」
君は僕の部下だろう?
口元に笑みを浮かべながら、言葉にしない言葉を送る。
風の王は、黙って僕のセリフに耳を傾けている。
言葉の重圧は、確かに彼女の心を捉えたように思えた。
確信と共に笑みを強くする僕。
そんな僕の前で、風の王は顔を強張らせた。
「ワタシは……」
言葉を切ると、そのまま顔を逸らす。
僕の視線から逃れるように身を縮め、小さく震えだした。
「えっ!? あれー……? え、えーっと……?」
予想外の反応だ。
あれ、なんだこれ? どうして怯えたような仕草を見せるんだ?
何か僕が風の王をイジメたみたいじゃないか!?
「…………!」
「あっ!?」
悔しげに唇を噛んだあと、風の王は何も言わぬまま部屋のドアに向かって走った。
そのままをドアを乱暴に開けると、一度だけこちらを振り返った。その目には涙が見えた。
「な、泣いてるの……?」
おずおずと尋ねる僕。
しかし返事は無い。口元を結んだまま、風の王は足早に立ち去ってしまう。
「どうして……?」
残された僕は、呆然と呟いた。
何も分からない。次の行動を起こせないまま、ひたすらドアを見つめ続ける。
風の王が帰ってくるわけも無いのに。
他になにをするべきか分からず、僕はただ彼女の立ち去った跡に答えを探した。
そうこうしていると、背後から肩を掴まれた。
何も考え無いで振り返る。そこには満面の笑みを浮かべた先輩が立っていた。
「話は終わったみたいだね、少年。じゃあ今度は私たちの話し合いを……しようか?」
「ふへっ!?」
至近距離から僕を見つめる先輩。その目はやっぱり笑ってなかった。
ちぃぃ!? 怒りを誤魔化しきれて無かったか!!
「先輩、今はそれどころじゃ無いです! そんな事より……!」
再び先輩の追求を煙に巻くための努力を開始する。
ガシッ、と今度は逆方向の肩が掴まれた。
振り返るとそこには冷蔵子さんの冷えた眼差しがあった。
「貴方、彼女に一体何をしたの? どうして急に部屋を飛び出したのかしら? 話がさっぱり見えないのだけれど」
「ほへっ!? いやそんなこと僕にだって分からないよ! こっちが聞きたいくらいだ!」
「そんなわけが無いでしょう?」
そう言って冷蔵子さんはにこやかに笑った。
ただ、先輩と同じ様にその目は笑っていない。
凍傷を起こしそうなくらい冷え切っていた。
「そうだよね。分からないなんて、そんなわけが無いよね? 少年、君は一体何をしたのかな?」
さらに先輩までもが風の王のことを気にしだした。
僕に対する詰問の輪は順調に波及していくようだ。
「どうして……?」
先輩と冷蔵子さんから肩を掴まれたまま、思わず呟く。人生は無情だった。
戦うに足る理由も分からず、戦うべき相手も選べ無い。
今の僕には、そんな絶望のクロニクルが蓋を開けて待っていた。