172日目 ドラゴンよりも税関よりも
人生には足りない物がある。
栄光。勝利。かけがえの無い何か。
人は一生をかけてそれを追い求めるのだと誰かが言った。
冒険者の父、ミスターD。
雲を掴み、月を手に入れようとした異端者。永遠の旅人。
彼の残した言葉は、今も世界の男達の胸に響いている。
……などと言うのは全て嘘だった。
ミスターDなど存在しない。
適当に架空の名前を言えば、それらしく聞こえるから不思議なものである。
それでも言葉は意味を持ち、意味は行く先を照らした。
何故なら、言葉は自我を超越した存在だったからだ。
瞑想。連想。
思惟とは、己の心に浮かび上がる言葉を掬う作業だ。
言葉は連なり、綾となり、僕らに新たな道を差し示してくれる。
そうだ、僕達は欠けたパーツを探しているのだ。
終わる事の無い冒険に出よう。
アラブの海を、荒野を。欠けた何かを探しに行こう。
時代はまさに大航海時代。
真なる宝を目指し、男達は旅に出て行く。
そこで出会うのは幾千の危難と強敵だ。
税関、関税、入国管理局。彼らは決して弱く無い。
現代だからこそ敵は多かった。
しかし男達は挫けない。
母さん止めてくれるなと言い残し、次々とワゴン車に乗り込んだ。
目に見えない国境線を目指し、その身一つで飛び出していく。
南米から北米へ。
縦横無尽に駆け巡る。
サックスを吹き、葉巻を吹かし、やっぱり葉巻はキューバが一番だねと呟く。
故郷を思う寂しさ。
どんな光よりも過去は眩しく、彼らは目を細める。
星を追う羊飼い達もまた冒険者だった。
視界の端を埋め尽くす地平線と、降り注ぐような満天の星空。
世界からたった一人切り離されたまま、砂の海を渡っていく。
見上げた星空はささやかで。
音の無い空は、朝よりもなお眩しく映った。
過去は切なく、想いでは美しい。
数億年前の過去の光は、幾千、幾万の輝きとなって彼を照らした。
やがて僕らは宇宙へ上がるだろう。
葉巻型のUFOに乗り、羊飼いのようにその身一つで。
暗黒の宇宙。そこで出会うのは、やはり数々の試練と冒険だ。
帝国だったり連邦だったりデザイナーズ・チャイルドだったり。
たとえ時代が移り変わったとしても、男には敵がいるものだ。
ドラゴンよりも税関よりも。
遥かに強大な敵が現れ、僕らの前に立ち塞がるだろう。
だが挫けてはならない。
この身一つで星を見上げよ。
そのちっぽけな魂で、僕らは歩んで来たのだ。
羊飼いは歩む。星空は囁く。
冒険者達は挑む。パスポートも持た無いまま。
そして男達は征く。何も持たず、何者でも無く。その身一つで。
時代はまさに大航海時代。
いつだって僕達は旅人だった。
過去は眩しく、目を細めながら。寂しさを乗り越えて、その道を征く。
緋の稜線を。青い海原を。
山と海を乗り越えて、幾千の星を見つめながら。僕達は征く。
「というわけで先輩、アラブ人を探しましょう」
「アラブぅ?」
いつもの部屋の中で、僕は先輩に言う。
冷蔵子さんは読書中。風の王は例の如く観察するような目で僕を見ている。
そんな日常的な光景を視界に収めながら、僕は改めて言葉を繰り出した。
「アラブ人の中にきっといますよ。僕らの求める忍者が……!」
拳を握り締めて語る僕。
そんな僕に対し、先輩は怪訝な表情を浮かべた。眉をひそめながら、
「なんでアラブなの?」
「それはあそこが人類発祥の地だからですよ」
「アラブが? そうだっけ?」
「あれ? 違いました?」
「違うと思うよー。多分」
頭の後ろで両手を組みながら答える先輩。
うーん、イメージだと中東なんだけどな? 間違っただろうか。
「じゃあ人類発祥の地ってどこでしたっけ?」
「う~ん、急に言われてもなぁー。世界四大文明がメソポタミアだからぁ……」
先輩はシュメール人の文明を上げる。
続けてチグリス川とユーフラテス川に言及しつつ、世界の大河と文明について語り出した。
ナイル川とそこに広まるエジプト文明。
そして四万十川とシコク文明まで口にした所で、唐突に「あれぇ?」と首を捻った。
どうやらエジプト文明より先は思い出せないようだ。
軽くボケを入れつつ、大きな瞳を僕に向けてくる。
「世界四大文明って最後はどこだっけ?」
「確かアマゾン川辺りじゃないですかね? 世界一の川ですし」
「アマゾン川というと……ヤドクガエル文明?」
ボケ返してくる先輩。僕は負けじとボケを上乗せしていく。
「やだなあ先輩、アマゾネス文明ですよ。伝説の狩猟文明を忘れちゃったんですか?」
そこまで言ったところで、バタン! という音が部屋の中に響いた。
驚いて顔を向けると、そこには読みかけの本を閉じた体勢で固まっている冷蔵子さんの姿。
よほど勢いよく本を閉じたのだろう、いまも腕がプルプルと震えている。
「ああもう……! さっきから黙って聞いてれば、アマゾネス文明ってなんなのかしら!? 四国文明の時点で既におかしいじゃない!! 四万十川がどうして文明発祥の地になるのよッ!? あそこに居るのは鮎だけだわ! メソポタミアとエジプトの次はインダスと黄河でしょうが!!」
怒鳴りたてるようにして言う彼女を前にして。
僕と先輩は、お互いにキョトンとしながら顔を見合わせた。
おやおや、どうやら冷蔵子さんにはシャレが通じなかったらしい。
僕らはニヤケ顔を作りながら、会話の変化球を楽しめない彼女に流し目を送った。
「ただの冗談なのにねー?」
「あはは、本当、せっかちさんですね」
いるんだよなぁ、冗談に決まってるのに本気でツッコミ入れてくる人って。
冷蔵子さんは顔を真っ赤に紅潮させている。
僕に対して睨みつけるような視線を向けたあと、あなた達の冗談は冗談に思えないのよ、と呟いた。
「大体なんで人類の発祥なのよ? 忍者はどこにいったのかしら?」
「忍者のルーツをずっと考えていたんだ。そしたら何だか面倒臭くなって、いっそ人類のルーツまで辿ろうと考えたわけさ」
なんという冴えたやり方。
自画自賛していると、冷蔵子さんが深々と溜息を吐くのが見えた。
「考え方が大雑把過ぎるのよ……!」
「ほら、大は小を兼ねるって言うし。進化のルーツに近ければ近いほど良いと思うんだ」
「何でもかんでも近ければ良いってものじゃあ無いでしょう!? 過ぎたるは及ばざるがごとしよ!!」
とうとうブチ切れたのか、冷蔵子さんはイスを蹴りながら立ち上がる。
それを契機にしたかのように、今まで沈黙を守っていた風の王がゆっくりと口を開いた。
「結局さ、キミは何が言いたいのかな?」
唇を繊月の形に歪める少女に対し、僕はきっぱりと言った。
「世界は大航海時代ってことさ」
「……頭の中が大後悔時代だね」
何だか悪口を言われている気がする。
風の王を名乗る少女は、そのまま小バカにするように目を細めた。
ここで退いては男が廃る。僕は勢い込んで叫んだ。
「男はね、いつだって冒険者なんだ! バカにされようが旅に出るし、そこで待ち構える幾多の敵を乗り越えていくんだよ!」
「敵……?」
なんだ? いきなり風の王の雰囲気が変わった。
敵、という言葉に妙に反応示す少女に、僕は怪訝な顔を向けた。
短い髪を揺らしながら、風の王は嬉々とした様子で尋ねてくる。
「敵って誰のことかな? 新しい敵がいるの……かな?」
「別に誰ってことも無いけど」
ほら、と続ける。
「ことわざにもあるでしょ。男子三日会わざれば敵が七人いるって」
「意味がよく分からないかな!?」
絶叫を上げる風の王。
言葉は意味を持ち、意味は行く先を照らす。
それでもやはり適当に連ねただけではダメらしい。
眉間に手を当てる冷蔵子さん、そして両手で頭を抱え込む先輩を前にして。
胸に浮かんだ言葉を適当に繋げてしまった僕は、微かに反省の念を抱きつつあった。