168日目 バーサーカー・フェイク
涙目で「もっとカッコよう紹介したかった!」と叫ぶ大阪さん。
どうやら現実は理想通りに行かないものらしい。
「お前は仮にも王やで!? 和泉の王なんやで!? もっとしゃきっとせんかい!!」
「そうは言うがなリーダー。俺は正直、なんでこんな所を走っているのかすらよく分かってないんだ」
「兄ちゃん!?」
バンダナ男がたまらずといった様子で叫ぶ。
ギュッと握り締められる手。白いタンクトップから突き出た腕が、込められた思いと力で膨れ上がって見えた。
「兄ちゃんは忘れちまったとよ!? あの日、オイラ達で誓い合った最強への道を!!」
そこには真剣さがあった。瞳に真摯なものを灯し、滔々と語り続ける。
「あの降りしきる雨の中、大人達の決めたルールに絶望した日のこと……オイラは忘れない。オイラ達五人で最強になるって決めたばい! ストリートで最強になって、下らないルールをぶち壊すって! それを……それを、本当に忘れちまったとよ!? 兄ちゃん!!」
あれ? そないなこと誓ったっけ? と首を傾げる大阪さん。チーム大阪の真実になどさして興味の無い僕は、別の事を尋ねてみた。
「さっきから気になってるんですけど、リーダーって大阪さんのことですか?」
「そうや。なんや知らんけど、こいつだけは俺の事をリーダーって呼ぶんや」
そう答えながら大阪さんは視線で示す。視線の先にはさきほどから兄ちゃんと呼ばれ続ける男が居た。
多分このゴーグル男はバンダナ男の兄なのだろう。僕らの目の前に立つ問題の男は、今もなお弟からの抗議を受けている。
「最強になるとか誓ったか? 俺は覚えて無いんだが」
「もしかしたら、そんな事は言って無かったかもしれんばい! でも兄ちゃんは語らずとも語っていたとよ! オイラには分かるばい! 兄ちゃんは心で語っていた!」
それはつまり言って無いって事じゃないのかな?
唐突に崩れた証言。薄れる信憑性。しかし何故だろう、ゴーグル男は何かに納得したようだった。
「……そうか。お前がそう言うのならそうだったかもしれん。俺は言葉で語らずとも、お前に何かを伝えていたのだろう」
そのままあっさりと弟の言葉を認める。それで良いのだろうか?二人のやり取りを疑問に思っているのは大阪さんも同じなのだろう。ゲッソリとした表情になりながら、それでも二人の紹介を始めた。
「こいつらはチーム大阪のメンバーや。名前は知床兄弟。妙に熱苦しい方が弟で、逆に冷めてる方が兄貴や」
熱いとか冷めてるとかって問題だろうか? しかし物は言いようとばかりに、大阪さんの説明は続いた。
「知床弟は見ての通り熱血漢や。持ち前のアグレッシブな精神で、激しい動きを得意としとるんや。豪快な技をやらせたら右に出る者はおらへん」
バンダナ男はタンクトップに七分丈のパンツというスポーティーな服装だ。大阪さんは視線をバンダナ男から逸らすと今度はゴーグル男の方を見やる。
ゴーグル男はYシャツを着ていた。シンプルな意匠のそれに、裾の先が短くなるボトムスを合わせて履いている。テーパードパンツというやつだろう。性格だけでなく服装もどこか対照的だった。
「んで、兄貴の方はクラゲのような奴や。いつもボーっとそこら辺を漂っとる。せやけど天才肌ゆうんかな、難しい技とか体捌きでも簡単にこなしよる」
「リーダー」
「なんや?」
知床兄は大阪さんの説明が気に入らなかったのか、ゴーグルの奥から鋭い視線を向けるようにして言った。
「クラゲみたいな奴ってどういう意味だ?」
「……お前みたいな奴のことや」
「なるほどな。教えてくれてありがとう」
「そこで納得するなっちゅーんや!! お前は今の説明で、一体なにが分かったって言うんや!?」
う~ん……知床兄弟は有名って聞いてたけど、なんだかなぁ。僕の想像していた意味とは違う気がする。
「その人達、本当にストリートで有名な人なんですか?」
思わず一言漏らしてしまう。そんな僕の言葉に続けて先輩が言った。
「あんまりさぁ? 大したこと無いんじゃないの?」
疑ぐり深い目を向ける先輩。そんな僕らの疑念に反応したのは知床弟だった。バッと右手を広げると、左手を胸に当てながら大きく口を開く。
「オイラをバカにするのはいい! でも兄ちゃんをバカにするのは許さんとよ! 兄ちゃんは本当に凄いたい! ねえ兄ちゃん!?」
弟から熱い視線を向けられながら、ゴーグル男はしばし考え込んでいた。沈黙。そのまま、鳥が飛び立つのに必要なくらいの時間が経つ。そうした後にポツリと呟いた。
「言われてみて思ったんだが、俺は別に大した奴じゃ無いんじゃないか?」
「兄ちゃーーーん!?」
まるで明日から紙幣が使えなくなります、とでも言われたかのよう驚きながら、知床弟はタンクトップから剥き出しになっている二の腕に力を込めながら叫んだ。
「オイラは兄ちゃんをリスペクトしてるたい!! 兄ちゃんはストリートで最高の男だから、もっと自信を持ってもらわないと困るとよ!!」
「そうか」
何に対して頷いたのだろう?
弟に対して短く首肯すると、知床兄は僕らの方を見て言った。
「……と言うわけで、俺は大したことあるみたいだぞ」
「他人事みたいに自慢された!?」
い、今までに見た事の無いタイプだ……!
大阪さん、僕はこの人にどんな返事をしたらいいんですか!? 教えて下さい!
「…………」
「ああッ!? 大阪さんが何もかも嫌になったかのようにしゃがみ込んでいる!?」
どんよりと落ち込んでいる大阪さん。理想通りにいかない現実。チーム大阪の不協和音は深刻なようだ。おろおろとする僕の隣で、先輩が傲然と言い放った。
「こうなったら論より証拠よ! 技を見せてもらおうじゃないの!」
ズビシ! と知床兄を指差し、挑みかかるような笑みを見せる先輩。己の築き上げたチームに疑問を感じて立ち上がれない大阪さん。そんな大阪さんに対し冴えた言葉の一つも出せない僕。様々な思いを前にして、知床兄は変わらない姿でそこに立ち続けていた。
「ちゅーわけで謎のバトルのスタートや」
「すみません、いまいちルールとノリが分からないんですけど」
突如として起きてしまった先輩と知床兄の闘い。僕、先輩、大阪さん、そして知床兄弟の二人は公園の広場に集まっていた。
ルールを確認する僕に対し、その場の空気で審判役に選ばれた大阪さんは、どことなく力無い様子で返事を返してくる。
「そないな事いわれても……。そこの女が言い出した事やし」
話を振られた先輩は、ふふんと笑った。
そのまま弓を引くようなポーズで両手を広げ、知床兄を指差す。
「そこのゴーグルマンが私に着いて来れたら実力を認めてあげるわ! ルールは特に無し! 走ってる途中に出した技が凄い方が勝ちだよ!」
「ちゅーことみたいや。まあせっかくやから、俺らも後から走って着いていこか」
「兄ちゃんが負けるわけ無かとよ!」
「勝ち負けとかあるんですか? これ」
公園の中を走るフリーランニングのバトル。出した技が華麗な方が勝ちらしい。その判定は観客たる僕らと、審判役の大阪さんによって下されるというわけだ。
「準備はいい!?」
威勢よく問いかける先輩に対し、知床兄はそれまでの飄々とした態度を一変させた。
「俺はいつだって構わない」
深く沈んだ声。それは蓄積された何かが無ければ出せない音だった。水面の下で洗われた石のように、繰り返された修練。それだけが生み出せる気配が漂っていた。
――まさか、今までの態度は演技だったのか!?
考えてみればおかしな話だ。ストリートで有名になるほどの人が、ただの変人のはずが無い。今までの態度は全て欺瞞。本当に強い者だけが行う擬態だったのだ。
危険な動物であればあるほど、己を小さく見せようとする。凶暴な生き物ほど、獲物が逃げないように演技を行う。それは狩りの本能だ。強者の本性がそれを為す。
バイク用のゴーグルに隠された瞳。こちらからは見えない知床兄の瞳が、鋭く細まった気がした。今まで隠されていた本性から無言の圧力が立ち上っている。
大阪さんと共に最強の『王』を名乗る男、和泉の王。彼は落ち着き払った調子で言葉を繰り返す。まるで獲物を捕らえる瞬間の虎が、初めて牙を見せるが如く。
「俺はいつだって構わないさ」
つまり、と一言置いてから。知床兄はどこか期待するような色を匂わせながら言った。
「いつ戦いを中止にしてくれても構わないと言う事だ」
「それじゃあスタートだよッ!!」
驚き。葛藤。切望。この場に渦巻く全ての感情をスルーして、先輩が力強くバトル開始の号令を上げた。