166日目 アイム・スティル 今もここにある音
秘密結社シノビーズ。先輩が五秒で作り上げたその組織は全てが秘密だ。結成日時も秘密なら、組織の目的も秘密。そして勧誘方法も秘密だった。
いきなり最後のメンバーに選ばれた大阪さん。何も知らない男は、己の髪についた寝癖にも気付かないまま、勢いよくバッと後ろを振り返った。
「なんやなんや、どこにおるんやアホ毛くんゆうんは? おらへんやないか」
自分がそのアホ毛くんだということに気付かない哀れな男を、遮那はジロリと睨みつけた。
「あなたが……シノビーズの最後のメンバー?」
「ん? 嬢ちゃん、なんでそこで俺を見るんや」
それは大阪さん、あなたの髪がくるくるぱーだからです。
どこまでも気付かない男に、遮那は不機嫌そうな顔を向けた。
「ふざけるのは止めるんだ。チーム大阪を捨てる、という事と受け取って良いかい?」
「えッ!? なんで俺がチーム大阪を捨てることになってるんや!?」
捨てへんで!? 絶対に捨てへんで!? 慌てて叫ぶ大阪さんを確認したあと、遮那は今度は先輩の方を見る。
「アホ毛くんは否定しているみたいだけど?」
勧誘失敗。しかしそんな事は折り込み済みだったのか、先輩は泰然とした態度で言った。
「ふふ、しょせん彼はシノビーズ最弱の男。たった今クビにしたわ!」
そっかぁ、クビなんだ。
ほっと胸を撫で下ろす僕とは対照的に、大阪さんは切ない表情を浮かべていた。
「いや、クビやと言われても意味わかれへんし、シノビーズやらのメンバーになる気も無かったんやけど……。なんやろうな? 心が寂しいわ。なんでやろうな」
「いいじゃないですか。大阪さんにはチーム大阪があるんですから」
「……なんで坊主はそないに嬉しそうなんや?」
「ははっ、気にしないでください。僕はいつでもこんな顔ですよ」
もしも大阪さんとチームを組めば、事態はさらに面倒になる。
そんな運命から逃れられた僕は、嬉しさを隠しきれないでいた。
「やっぱりメンバーが足りないじゃないか」
「ふふん、真のメンバーがいるもんね!」
「真のメンバー、ねぇ……。強いのかい? その人」
「当然!」
遮那と先輩はまだやり合っていた。それにしても不思議なのは先輩の姿勢だ。真のメンバーなんていないというのに、この強気の態度はどこから生まれて来るんだろう?
「それならチーム戦をしようよ」
「チーム戦?」
遮那からの突然の提案。先輩は小首を傾げている。
「ボクのチームとチーム大阪、そしてあなたのチームでエフ・スリーバトルをしたいと思うんだ。ダメかな?」
ダメに決まってるだろう。シノビーズは闇に生きる影なのだ。表には決して出ない。
そしてなによりも、まだ存在していなかった。
シノビーズ、それは闇の秘密組織。真の闇とは無そのものなのだろう。
「いいよ!」
あれっ!? 快諾しちゃうんですか先輩!?
メンバーにあてとかあるんですか!?
慌ててみるものの、僕が止める暇も無いまま話は進んで行く。
「それじゃあ今週の土曜日にやろうよ。場所はそっちが決めていいよ」
「じゃあこの公園!」
「わかった」
あれよあれよと言う間に決まっていく日取り。シノビーズなんて本当は無いのに、試合の話はどんどん進んでいった。
その様はまさに証券取引だ。信用だけが先走り、どこかに置き去りにされる実体経済。金融危機ってこんな風に起こるのかなと、僕は他人事のように二人の姿を見つめていた。
「じゃあね、兄さん。土曜日を楽しみにしているよ」
空手形を切られた形の遮那は、満足そうな笑みを作っていた。こいつはシノビーズが存在しないことに気付いていないのだろうか? ……いや、違う!
僕の直感は告げた。この笑顔は間抜けな証券マンの顔では無い。悪辣な取り立て屋の顔だ。遮那はその笑顔の裏に、底知れない何かを潜ませている。
一体なにを企んでいるんだ? 昔から何を考えているかいまいち分からない年下の親戚は、去り際にふと振り返って視線を送ってきた。
「ねえ、兄さん」
「なに?」
疑り深い目を向ける僕に対し、遮那は口元の微笑を湛えながら言った。
「ボクの気持ち、大切にしてくれるって言ったよね?」
「えっ?」
「くす。なんでも無いよ。」
そしてそのまま立ち去っていく。その言葉をこのタイミングで使う意味が分からない。僕はポカンとしたまま、小さくなっていく親戚の後ろ姿を眺め続けた。
遮那が立ち去った後、僕は先輩に尋ねた。
「……それで、どうするんですか?」
「ん~?」
「ん~、じゃないですよ。さっき試合の日程とか決めちゃったみたいですけど、シノビーズなんてまだ出来て無いじゃないですか。無ですよ無。メンバーどうするんですか?」
「少年、よく聞きなさい」
ギラリと瞳を鋭く光らせると、先輩は唐突に両手を広げた。
パンッ、と小気味良い音を立てて右手と左手が打ち合わされる。
「聞いた?」
上目遣いで僕を見る先輩。
なんで急に両手を打ち合わせたんだろう?
「ええまあ、聞きましたけど。それに何の意味が……」
「ふっふっふ。さあてここで質問よ。さっきの拍手の音は、私の左手と右手のどっちから出たでしょうか?」
何故か得意気な表情で訊いてくる先輩。
どうしていきなり禅問答なんだ。
「答えられないでしょう? やーいやーい!」
「そりゃ答えられないですけど」
淡々とした口調で答えると、先輩は両手を胸で組んで大きく頷いた。
「そーいう事なのよ。確かにシノビーズはまだ無いわ。でもね、それはどこにも無いって事じゃないわ。気付けばすぐそこにあるのよ。さっき私が鳴らした音もね? 突然生まれたように見えても、それを鳴らすための両手はいつだってここにあったのよ」
おおう、新しい解釈だ!
斬新な禅問答を展開する先輩は、僕の目を見据えながら話を続ける。
「音は今もここにあるわ。まだ誰も鳴らしていないだけ。始めようと思えば、いつだってそこにあるのよ」
先輩の大きな瞳が揺れる。海のように透明で、深く、不思議な静けさが宿るその目を、僕はずっと見つめ返している。
遠くで大阪さんが何か言っていた。だけどそんな声は僕の心には響かない。見つめ返す僕の前で、先輩は力強く拳を握り締めながら言った。
「シノビーズはまだ無いわ。でもいつだってそこにある。そう、現代に忍者が生き続ける限り……!」
「あれ!? かなり条件が厳しくなってきましたよ!? 先輩、そもそも忍者って今も実在するんですか!?」
やっぱり無じゃないか!! 無い物は無いんだ!!
愕然とする僕に対し、先輩はニヤリと笑みを浮かべる。そして親指を開きながら人差し指を立てた。そんなノリノリなポーズを取りながら、自信満々な様子で口を開く。
「ふっふっふ。いい、少年? 志せば誰でも忍なんだよ?」
「それは江戸時代の医者の話や!!」
僕と先輩の会話に割り込んでくる大阪さん。
絶叫を上げた後、まるで頭痛に耐えるように頭を抱えた。
「ほんまお前らは、いっつもこんな感じなんか?」
「大体そうですね」
医者は忍術だい! と反論する先輩。おそらく仁術と勘違いしているんだろう。巨大な手裏剣を使って手術を敢行する医者の姿を想像しながら、僕は大阪さんに問いかける。
「遮那が言ってましたけど、大阪さんの作ったチームのメンバーって有名な人なんですか?」
「知床兄弟か。あいつらはそうやな、中々面白い奴やで。別名は和泉の王と高槻の王や」
大真面目な顔で王とか呟きながら、大阪さんは不敵に笑うのだった。
(佐々木ロミオと田中スカイウォーカー、それに和泉の王と高槻の王か……)
片やアメリカナイズされた世界。そしてもう片方は大阪ナイズされた世界。
どちらがより正しい選択だろうか? 突きつけられた二択に正解があるとは限らない。
――音は今もここにあるわ。まだ誰も鳴らしていないだけ。
体の中には今も音が流れている。その音だけが正解を教えてくれるのだ。僕はそう信じながら、何故かノリノリでワン・ツー・パンチをしている先輩を見つめた。