161日目 願い星一つだけ(9)
「あなたは……! いや、あんた誰だ!?」
問いかける僕。見慣れぬそいつは、努めて明るい口調で言った。
「ボクはめぐる君! 君達の疑問に答える愛されキャラさ。もう忘れちゃったかな? わっかっか!」
「明らかにめぐる君とは顔が違うッ!?」
そして語尾も違う。そこに立っていたのは初めて見るキグルミだった。
巨大な丸い頭。その真ん中、人で言えば鼻の辺りをぐるりと囲むように輪っかが吊るされている。僕の指摘を受けた謎の人物は、キャラ作りを止めて素に戻りながら言った。
「そうか、そうだったな……。前の顔を田崎さんに奪われた今、俺はもうめぐる君じゃない。純粋な子供の目は騙せない、か。今の俺は……土星君だ」
「土星君?」
かつてめぐる君だった存在は、そうだ、と頷いた。そしてそのまま黙り込んでしまう。
……なんか言えよ!! 土星君って何だよ!?
反応に困っていると、後を継ぐようにしてエーテルさんが説明してくれた。
「……土星君、それはかつてのマスコットキャラ。今ではめぐる君に取って代わられた、悲しい存在……。輪っかの部分がお客さんの顔に当たったり、色が茶色で地味だと言われていた。そして倉庫送られ、永遠に眠るはずだった存在……」
「そ、そうなんですか」
元めぐる君は、わざわざ昔のキグルミを引っ張り出してきたんだろうか?
どうしてそこまでキグルミにこだわるんだろう? ……いや、今は時間が無い。
疑問はそのままに、僕は切迫した現実だけを見るようにした。
自称愛されキャラに視線を送り、言う。
「土星君さんの車に乗せてもらっても良いですか?」
「ど、土星君さん!? 無理にさん付けなんてしなくて良いよ? ボクはみんなの友達だからね! それはそうと、あれが俺の車だ」
何故か最後は素に戻りながら、友達になった覚えの無いみんなの友達は一台の車を指し示した。それは星の名を冠したメーカーの車だ。
形としてはセダンでは無くハッチバック型。そして恐らく最上級モデルなのだろう、ターボが付いている事を表すように、ボンネットにはエアインテークの穴がある。
僕は思わず感嘆の声を漏らしながら土星君さんの顔を見た。
「ラリー仕様モデルですか。良い車ですけど、結構大きいですね」
「今のスリーナンバーはみんなこんな大きさなんだ。海外市場向けにボディサイズの大型化が進んでいるんでいるからね! わっかっか!」
土気色の顔をした彼は僕の質問に快く答えてくれた。
無理に語尾でキャラ作りするの止めてくれないかなぁ?
そんな気持ちは秘密にしたまま、僕は別のことを言った。
「こうも横幅があると、山道だと運転が難しそうですね」
「そうだね! ハンドリング性能は良いけど馬力があるしね! ボクも運転には結構気を使ってるよ! ああそうそう、乗せるのは良いけど運転には気を付けて欲しいな。今のボクは運転出来ないからね」
「えっ?」
自分の車なのにどうして? そんなことを思ったのが伝わったのか、土星君さんはあっさりと運転出来ない理由を告げる。
「キグルミの頭がでか過ぎて運転席に座れないんだ。困ったもんだね? わっかっか!」
「じゃあ頭を取ればいいじゃないですか!?」
「ダメだ! 子供達の夢と希望は壊せない! ボクは土星君! 中の人なんて居ないよ!」
「……さっさと取れよ! 夢と希望も一緒に!」
「ぐおう!? わ、渡さない……! 渡すもんか!」
僕はキグルミの頭を掴み、力任せに引っ張る。
しかし土星君さんの抵抗は強く、お互いの力が拮抗した状態で止まった。
ギリギリと音を上げるキグルミの頭。
それを通して、譲れない何かを賭けながら争い合う僕ら。
「ボクは……もう何も失わない!! 子供達のために!!」
「ちぃ!?」
土気色をしたみんなの友達の意志は固かった。
振り払われ、僕の手はキグルミから離れてしまう。
仕方ないか……。諦めて、エーテルさんの顔を見た。
視線の先の彼女は、僕が何かを言う前に長い睫を伏せ、
「……わたしはエーテル。大きな車の運転には不慣れな女……。大きな車に憧れる男は本物の男とは言えない。本当に強い男は、見た目で人を威圧しようとはしないものよ……」
地味に土星君さんの趣味にケチをつけている。
どうやらエーテルさんには大き目の車の運転は無理そうだ。
ならばと思い、今度は老いたバスの運転手さんに視線を向ける。
初老の運転手さんは、渋い顔になりながら言った。
「バスの運転には慣れてるけどよぉ。会社には自転車通勤なもんで、普通の車の運転はちょっと勘弁だぁ」
とくに狭い山道は不安だぁ、と訛った言葉で呟く。
……この車、誰が運転するんだ? 何も決まらないまま時だけが過ぎていく。
そんな間抜けな時間を象徴するように、冷蔵子さんが眠たそうにアクビをしていた。
結局、消去法でバスの運転手さんが車を運転する事になった。助手席にはエーテルさんが座り、後部座席には僕と冷蔵子さんと土星君さんが座る。席の配置は特に意味は無い。
強いて言えば土星君さんはまともには座れなかった。その巨大な頭部を荷室に突っ込みながら、座席を抱くようにして座っている。視線は常に車の後ろ側に固定される形だ。
だからと言うべきか、最初に気付いたのは彼だった。驚きのあまりだろうか? キャラ作りを忘れ、素の声で叫んだ。
「くっ!? 田崎さんが追って来たぞ!!」
「えっ!」
まさか、という思いと遂に、という思いが交差する。
振り返った僕は、そこにモンスターマシンを見た。
「うわっ!? すげえ、駐車場にあったあのアメ車だ!!」
狭く曲がりくねった山道を分厚い鉄の塊が疾駆する。
運転席には田崎=めぐる君の姿。妖怪を乗せた青い車は、アメリカン・マッスルを体現するかのように重厚な威容だ。恐らく燃費もマッスルな感じだろう。
「……っていうか、奴はキグルミを被りながら運転してますよ!? あれで前が見えるんですかね!?」
奴は土星君さんから奪っためぐる君の頭部だけでなく、エーテルさんから奪ったらしき帽子まで被っていた。僕の隣にいる頭がでか過ぎるキャラが、焦燥感に駆られたように言葉を捲し立てた。
「それよりも恐ろしいのは、あの車でこの山道を全開で走ってる事だ! どうやってカーブを曲がってんだ!? そういうのは俺の車の分野で、あの車はそういう使い方をする車じゃ無いんだぞ!! くそっ、田崎さんめ! アメ車らしくカーブを曲がりきれずに崖に突っ込めばいいものを!!」
口汚く毒づく土星君さん。しかし彼の言にも一片の真実が含まれている。アメ車は曲がり道に弱い。何故なら、アメリカ人はカーブの存在を知らないのだ。
いつもノースカロライナ辺りの広大な荒野を走っているアメリカン・カー。だからカーブを知らないのも致し方ない事だ。アメリカ製の車は、どこまでも真っ直ぐに進む事しか出来ない。
あえて言えば、カーブを曲がりきれずに崖に突っ込むべきなのだ。そうして初めて本物のアメ車足り得る。それは真っ直ぐにしか生きられない、不器用な男の車だった。
その車が、曲がる。山道の細く曲がりくねった道を華麗に駆け抜けて来る。あり得ない現実を生み出しながら、田崎=めぐる君は僕らを追ってくる。こ、怖ええ……! 僕は背筋を駆け上る悪寒と共に叫んだ。
「運転手さーん! もっと、もっとアクセルを踏んでー!」
「お、落ち着けぇ……! おいなら出来る、おいは三十年間バスを運転してきたんだぁ……! ええと、アクセル、クラッチ、シフトの位置は……なんでこの車はこんなに馬力があるんだべ!? は、羽が生えたみたいだぁ……!」
「四輪ドリフト!? この山道で!? 田崎さん、あんたやっぱりスゲエよ……!」
「……本来の在り方を曲げることは、悲しいことよ……。それでも為すべき事を成すために。あの人は進むべき道を間違えてしまった、悲しい戦士……」
車内には絶叫が響く。ひたひたと近付いて来る妖車を前にして、誰も彼もが冷静さを失っていた。そんな中、僕は冷蔵子さんが一人だけ黙り込んでいるのに気付いた。
この土壇場でこの冷静さ。さすがだなあ、と見つめていると、僕の視線に気が付いたのか、彼女もまた僕の方を見た。心持ちいつもより顔が白い気がする。
潤んだ瞳。彼女の澄んだ青い目は、涙で滲んでいた。冷静なんかじゃ無い、冷蔵子さんも恐怖でいっぱいなんだ――。思わず肩に手を伸ばしかけた瞬間、彼女は震える唇を開いた。
「……酔ったわ」
「えっ?」
「車に酔ったわ……うっぷ」
「えええ!? ちょ……うわあああぁぁぁ!!」
倒れこむように僕の胸に顔を埋める冷蔵子さん。
戦場と化した山の中を、二台の車が駆け抜ける。
その中に悲哀を、憧憬を、信念を乗せたまま。
「うっ……けぽっ!」
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁ!!」
忘れられない思い出が、胸に刻まれていった。