153日目 願い星一つだけ
回れよ回れ。
世界は僕らを乗せて回り続ける。地球は水面下で必死にバタつく水鳥のように、終わること無く踊り続けるのだ。
この世界が一体いつ止まるのか?
そんな疑問に、かつて古代の人もたいそう頭を悩ませただろう。星は巡り、時に地上に流れ落ちながら、誰もが流行り病のように世界の終末を思い描いた。
もちろん僕らもそうだ。マヤ暦とか古文書とか、まあなんでもいい。とにかく、世界が終わる話を聞いたことが無い人はいないだろう。
実に様々な方法、様々な手段で、誰もが地球の終りを思い描いた。それの何が楽しいのか。楽しくなくちゃやってられない。智恵の実の趣くまま、星の終りを議論する人々。巨大な隕石が落ちるまでのカウントダウンを、ああでも無いこうでも無いと頭を悩ませるのだ。
当然ながらその時には僕ら自身もタイム・トゥ・セイ・グッドバイ。終末論は、どうしてかくも人類を惹きつけて止まないのか? 病んだ思考、病んだ願望。世界の終りを望む僕らに終りは来ない。
滅びの思考は止め処なく。
科学を押し進め、物理学と天文学の二大巨頭は、ついに論理的な計算でもって地球の最後を推定してみせた。
だが分かったのは数億年の未来の話で……。一体どこに数億年先の終末に怯える人などいるだろうか? 結局のところ世界は今まで通り周り、終わらない。僕らの生きている間は止まりそうも無い。それが現実というやつだろう。
僕にも変わらない現実が突きつけらている。それは楽しいものでも無いけど、さりとて止められるはずも無く周り続ける。数億年先の終焉よりもなお深刻に。僕は眼前にそびえる現実と言う名の嵐を、どう乗り切ろうか、そればかりを考えていた。
「な、なんでそんなに睨んでくるのかなー……?」
「……ちっ」
「舌打ちされた!?」
授業の終わった教室で。
端的に表現すれば、僕は冷蔵子さんに睨まれていた。
睨まれるどころか、さらに舌打ちまでされたんだけど、ナニコレ?
一体僕はどこで対応を間違えてしまったのか、酷く彼女を怒らせてしまったようだ。
原因がさっぱり分からない。
仕方なく、やるせなく。
僕は冷蔵子さんの前に立ちながら、イスに座り続ける彼女に向かって苦笑いを浮かべる。
とにかく笑って誤魔化そうというあくなきスピリットだ。
そんな僕の努力は、さながら思い付きで始めた通信教育のように何の役にも立たないまま終り、その証と言わんばかりに、冷蔵子さんは睨め付けるように僕を見上げた。
「……昨日は楽しかったのかしら?」
「昨日?」
昨日は何があったっけ? ああそうか、タケノミ殺人事件か。
結局、犯人は分からなかったなぁ。
まあ分かるはずも無いし、分かったからって断崖に呼ぶわけでも無いけど。
「楽しくなんか無いよ。時間を無駄にしただけかな」
「ふん」
不満気な声と共に、そっぽを向く冷蔵子さん。
なにこの態度。
どうしてこうなった? そんな疑問を抱えつつ、僕は素直に尋ねてみた。
「なにを怒っているのさ?」
「別に怒って無いわよ」
ムッとした声で返す冷蔵子さん。
完全に怒っているじゃないか。
さあてどうしようか。原因が分からないから解決方法が分からない。
このままではタケノミ殺人事件と同じく迷宮入りだ。
未解決。それはあまりに不名誉な最後と言える。
事件に携わった探偵の名は地に落ち、熟年の警部は涙に暮れるだろう。
男泣きに泣く警部。
彼には男手一つで育てた娘がいる。父親に似ず可愛い子だ。
そんなどうでもいい妄想を頭の片隅で繰り広げながら、僕は冷蔵子さんの怒りの原因を推理していた。
「どうして怒ってるか当ててみせようか?」
ジロリとした視線を向けてくる冷蔵子さん。
だが僕は既に推理を終えている。QEDだ。
なので、あくまで確信的な笑みを崩さないまま続けた。
「……好きなんでしょ?」
瞬間、水に浸かった猫のように。
冷蔵子さんは機敏な反応を示すと、体ごと捻るようにしてこちらに向き直った。
「ち、違うわよっ!! 勘違いしないで欲しいかしら!!」
ガコッ!!
「あう!?」
かなり動転しているのだろう。
慌てた彼女は、イスの背に自分の肘を打ち付けて悶絶している。
どうやらこれは大当たりのようだ。僕は内心でほくそ笑みながら言葉を連ねていった。
「いや隠さなくて良いんだ。実は薄々はそうじゃないかと思ってたんだ。……君がタケノミが好きだって、ね」
「……はっ?」
「隠さなくてもいいよ。タケノミなんていう味覚破壊のお菓子が好きな事は恥ずべきことだけど、人はいつだって変わる事が出来る。そう、君はキノミ派に生まれ変われるんだ。今からでも遅く無いからキノミ派にならない? 人生はもっと有意義に過ごすべきだよ」
真実を言い当てるだけでなく、的確な人生設計まで提供してみせる。
そんな僕に感動を禁じえないのか、冷蔵子さんは胸を衝かれたように瞳を閉じた。
「本当にそうね。私はもっと有意義な時間を過ごすべきなのよ」
瞼を閉じたまま、冷蔵子さんは独り言みたいに呟く。
やがて曇り空に光が差すように、彼女は閉ざしていた目を見開いた。
「貴方のバカな話に付き合うのは人生の無駄ね。私とした事が、ついうっかりしていたわ」
……あれ?
なんかしみじみとバカにされてる!? 感動してたんじゃ無いの!?
「ちょっと待って! 僕の推理は完璧だったはずだろう!? バカな話ってどういうことだよ!?」
「うるさいわね。しばらく黙っていなさい」
軽く一蹴されてしまった。
ぐぬぬ! 事件はこれで解決じゃ無いのか!?
ゴメンよ警部、僕はあまりに無力だったみたいだ……!
架空の人物に謝罪していると、冷蔵子さんからの鋭い視線を感じた。
蒼い目からの視線が槍となり、槍は幾重にも重なりながら僕に注がれている。
相変わらずの冷たい瞳だ。英語で言うとザ・フローズンとかだろう。
通信教育で習った英会話。そのささやかな成果を感じつつ、僕は冷蔵子さんを観察した。
どうやら彼女は何かとても言い辛いことを考えているらしい。
逡巡するように何度か眉を顰めた後、結局は決意したのだろう、桜色の唇をゆっくりと開く。
「貴方……昨日はわけの分からない女の子と一緒にボートに乗ったらしいわね?」
わけの分からない女の子。
その一言に、僕は即座に飛天さまの顔を思い浮かべた。
「わけの分からない、か。それは何ていうか、凄く的確な表現だと思うよ」
「黙りなさい」
「はい!」
何も悪く無いはずなのに、何故だろう? 僕の返事はほとんど謝罪に近かった。
思わず直立不動になる僕に、冷蔵子さんは監査官のごとく冷徹に指摘事項を挙げていった。
「朱に交われば赤くなる、って言葉を知っているかしら?」
「それくらい知ってるよ。悪い人と付き合ってると、自分も悪くなるってことでしょ?」
「貴方が不真面目なのは、きっと不真面目な人たちと付き合っているからよ」
その言葉に、僕は言い返すことが出来なかった。
わけの分からない女の子、つまり飛天さまと関わってもロクな事が無いのは確かだったからだ。
「だから、代わる代わる色んな女の子とボートに乗ったりしちゃダメなのよ。分かるでしょう?」
「いやそんなに頻繁にボートに乗ってるわけじゃないんだけど……」
「分かるでしょう?」
「は、はい」
何故だろう? 今の冷蔵子さんからは妙な迫力を感じる。
「もっとちゃんとした過ごし方をしなければ、貴方はいつまで経っても不真面目星人のままよ?」
なんだよ不真面目星人って!?
だが今は口答えをしてはいけない時だ。
時流を呼んだ僕は、ツッコミたい気持ちを必死になって抑えた。
「そうね、例えば私ならプラネタリウムを選ぶわ」
「……プラネタリウム?」
「学術的でしょう? 私は貴方とプラネタリウムが見たいのよ」
プラネタリウム。
それは真昼でも星が見える場所だ。
人工的に描かれた星座が、夜空の模型の中に浮かぶ。
別に見たく無いわけでは無いけど、積極的に見たいとも思わないなぁ。地味だし。
「他にもっとあるでしょ。前々から妙にこだわるみたいだけど、なんでわざわざプラネタリウムなの?」
「そ、それは……」
「それは?」
言いよどむ冷蔵子さんに向かって、ここぞとばかりに語気を強める。
そんな僕に対し、彼女はプイっと横を向いて答えた。
「なんでも、よ」