144日目 世界の中心で、愛を叫ぼう(4)
冒頭にある意味不明の詩ですが、今回登場の遮那とリンクしています。
(141日目からの詩の表記を一部改定しています。僕→ボク)
優しい感触を。
あの日の空の色を。
風に消えて行くあなたの影を。
地平を埋め尽くす金色の雫の海を。
胸に残る温かなもの。
その影を追いかけながら世界を巡る。
懐かしい思い出の最後に、あなたを見つけた。
夢は終り。あなたを、見つけた。
「おっ? なんだこの怪しい箱。インドっぽい絵が描いてある」
「なにをやっているのよ? ああ、それはお香かしら」
「お香?」
僕は手のひらで商品を弄びながら冷蔵子さんの説明を聞く。
アジアンテイストの商品名が書かれた、大き目のマッチ箱みたいな箱。
見本からすると、その中には円錐型の物体が入っているようだ。
「アロマテラピーって知っているかしら? 植物の匂いがするアイテムよ。色んな種類があるのだけれど、それは煙の香りを楽しむものじゃないかしら?」
「煙り? ああ、本当だ。火を点けるって書いてある」
箱の裏面には使い方の説明があった。
ふんふん、火をつけると匂いが出るのか。
ん? それって……
「線香と同じ?」
「そうね。お線香もある意味ではお香の一つよ」
「ふーん……。メイド・イン・タイランド? 原産国タイだってさ」
箱の裏面に書かれた商品説明を読み上げる僕。
タイと言えば仏教の国。ならばこれは仏具の一つなのだろうか?
冷蔵子さんは別の商品を手に取って、それをこちらに見せるようにかざした。
透明で小さなビンだ。
まるで理科室にある薬品のビンに見える。
ビンが小さければ小さいほど、中にヤバイ物が入っている気がするのは何故なのか。
まあこんなオシャレショップにそんな危険な物が置いてあるワケ無いんだけど。
「こっちはオイルタイプよ。でもどちらかと言えば、私は煙が出る方が好きなんだけれど」
「なんで? お香って火を点けるんでしょ、後始末が面倒じゃない?」
「そうでも無いわよ? 受け皿用の陶器を選ぶのも楽しいんだもの」
そう言うと、冷蔵子さんはお香と同じ棚にあった白い平皿を手に取った。
「これなんか、ほら、猫の形をしているのよ?」
「え? ああ、耳があるんだ」
丸い平皿には、何の機能的要素もなさそうな突起が二つある。
猫の耳に見立てたデザインだろう。オシャレな感じだ。
「それにしても詳しいね。もしかして、こういうの集めてるの?」
「そんなに本格的じゃ無いけれども、たまに楽しむのよ」
なるほどねえ。
お香とは渋い趣味だ。温泉好きな所といい、冷蔵子さんの趣味の傾向が見えて来た気がする。
「煙が出るタイプが好きってことは、そういう陶器も集めてるの?」
猫耳デザインの皿を指して言うと、冷蔵子さんは首を横に振って否定した。
「以前は集めた事もあるんだけれど……集めると、結構かさ張るのよ。だから今は一つしか持って無いわ」
「ふーん。どんな形のやつ?」
「ブタの形のやつよ」
……ブタ?
なんでよりによってその形なんだ。
まるで蚊取り線香用のアレで、オシャレな感じが無い。
「夏になると蚊取り線香にも使える可愛い子なのよ」
「ああーなるほどねー、だからブタの形か納得だ……ってそれでいいの!?」
「……何を驚いているのよ?」
こちらに向けて小首を傾げる冷蔵子さん。
だって……オシャレ感が一気にゼロだよ!?
「蚊取り線香と兼用しちゃっていいの!? もっとこう、お香って特別な何かじゃないの!? アロマとかセラピーとか! メイド・イン・タイランドとか言っちゃってさあ!」
愕然とした思いをそのまま口に出す。
すると冷蔵子さんは、しばし目をパチクリした後、
「蚊取り線香だって特別じゃないの。夏の季語にもなるのよ? まさに日本って感じだわ」
「ええっ!? それは……そういう考え方でいいのかなぁ?」
「ふふん、舶来のお香だからって身構える必要は無いのよ?」
いや、別に外国製品だからって特別視したワケじゃ無いんだけど……。
自信満々な態度でこちらを見る冷蔵子さん。
まるで何一つ間違っていない、とでも言いたげだ。
僕は何も言い返せなかった。
まあいいや。
目当ての品はヒナちゃんに贈るリボンであって、蚊取り線香じゃない。
心に残る疑問を風に消し去りながら、お香のコーナーを離れた。
オシャレショップ『オレンジ・ノエル』の店内はカラフルだ。
僕は冷蔵子さんと共に歩きながら、商品棚に飾られた雑貨に目を奪われる。
猫の絵が描かれたマグカップ。ポップな色彩のカバン。小さな輝石を装飾した指輪。
それらはとても可愛いらしくて……。
そして、とても居心地が悪かった。
……あれだね、どの棚を見ても女の子向けの商品しか無い。
猫のマグカップはまだしも、あんなポップな色調のカバンとか使わないし。
アクセサリーコーナーなんかに至っては完全に場違いだ。
ああ、蚊取り線香の話をしていた時が懐かしい……!
「そう言えば気になってたんだけどさ」
「あら? なにかしら?」
ヘアピンやバレッタ、髪留めに関係する商品棚の前に僕らは居る。
僕の声に反応し、冷蔵子さんはその碧い瞳をこちらに向けた。
「そのフワフワしたやつ、なんて言うの?」
冷蔵子さんの髪を留めている黒いフワフワの塊を指して言った。
「これ? これはシュシュよ」
「シュシュ?」
「最近作り方を知ったから、試しにちょこちょこと作っているのよ」
「え? 自分で作ってるの、それ」
手作り、そういう手もあったか。
まるで市販品にしか見えない冷蔵子さんの髪留め、シュシュを見つめながら、頭の中で算段を立てる。
店売りのリボンを買うより、手作りのシュシュの方が安上がりじゃないか?
単に店の品を選ぶよりも心がこもってそうだし。
「ねえねえ、ちょっとシュシュの作り方を――」
「久しぶりだねぇ。兄さん」
突然横からかけられる声。
振り向いた僕の視線の先に立っていたのは、悪夢だった。
「……はっ? はひふへ……ほっ!?」
「一発ギャグかい? 兄さん」
あまりの衝撃に言語中枢がイカレてしまう僕。
そんな僕を前にして、そいつは笑った。
細い眉。震える睫。薄く紅が差されたような、赤い唇。
髪は妙に長く、前髪は真ん中で分けられている。いわゆるワンレンってやつだろう。
何を考えているのか上にはキャミソールを着て、下は黒のスラックスだ。
出来るだけ忘れたいと思っていた顔が、僕の眼前にあった。
「ねえ、この人誰なのよ? 妹さん?」
小声で呟き、肘で僕を突いてくる冷蔵子さん。
喉が震えるのを抑えられないまま、僕は答えた。
「し、親戚の子さ。一つ年下でね。名前は――」
「遮那。そう呼んでもらえるかい?」
そう言って悪魔、いや遮那は、悠然とした微笑を浮かべた。