142日目 世界の中心で、愛を叫ぼう(2)
温かな場所から追い出され、ボクらは何処へ行くのだろうか?
月日は流れ、流れ行く時間は止まらない。
いつか見た空の色。微かに薫る花の匂い。手のひらにだけ残る柔らかな感触。
記憶は思い出に変わり、止めようも無く、思い出は色褪せていく。
押し流される日々に飲まれ、風化していく思い出を。
取り返す方法も無く、ただ悲しみ、いつしかその悲嘆さえ消え失せて。
行方不明の感情。
いつか見た記憶を。
大気に揺れる、コスモスの花の清らかな色彩を。
胸に残る微かな物を集めて。ボクらは、あの懐かしい日々を夢に見る。
「さあて困ったな」
授業と授業の合間の短い休憩時間。
教室の自分の席に着きながら、腕組みをして僕は唸った。
「リボンってどこで買えばいいんだ?」
先日、イトコの女の子ヒナちゃんのクシを壊してしまった僕は、クシの代わりにリボンをプレゼントする事になったのだ。
しかし当然のことながら、僕自身はリボンなんて使った事が無い。
使わない物は買う必要が無いので、どこで売っているか分からない。
まあ適当に探せばいいんだけど、あても無く彷徨うよりは誰かに訊いた方がいいだろう。
「問題は、誰に訊くかだな……」
頭に幾つかの顔が思い浮かぶ。
まず友人の長ソバくんと大阪さんはアウト。彼らは男だ。
続いて先輩の顔が思い浮かぶが……、
「先輩がリボンしてる所なんて、見たこと無いや」
先輩が好むのは民芸品のようなアクセサリーであって、例えるならそれは熊ハンターが熊の手の剥製を好むような感じだ。
リボンみたいなアクセサリーは、むしろ先輩とは無縁だろう。
「じゃあ冷蔵子さんはどうだ?」
次に思い浮かぶのは僕が冷蔵子さんと(本人にはナイショで)呼んでいる女の子だ。
金髪碧眼、ロシア系白人の血を引く彼女の肌は白く、美しい。
ただハンパ無い眼力を持っていて、さながらブリザードのような存在である。
「そういや、髪を何かで留めてたな」
なんて言う名称のアイテムか分からない。とにかくフワフワしたやつだ。
冷蔵子さんなら、リボンの一つや二つ持っていてもおかしく無い。
「あとは……風の王か」
風の王を名乗るちょっと痛い少女。
彼女はあんまり髪が長く無いし、その手のアクセサリーには疎いかもしれないな。
「さっきから何をブツブツ呟いてるんだぜ?」
「何でも無いよ」
問いかけてくる長ソバくんに軽く返事を返す。
さあて、さっそく冷蔵子さんのところに、
「待てって」
セリフと共に僕をイスに押し留める長ソバくん。
なんだ? と僕が思った瞬間、彼の口から底冷えするような声が漏れ出てきた。
「お前、冷さんの方を見てただろ……?」
ちなみに冷さんとは冷蔵子さんのあだ名だ。いや、むしろ冷蔵子さんと名付けているのは僕だけなんだけど。
見上げた先にある長ソバくんの顔には、般若の相が浮かんでいる。
さっと目を反らす僕。
なんだ!? なにが起ころうとしているんだッ!?
「なあおい、どうして冷さんを見てたんだ?」
「……見て無いよ」
咄嗟に嘘を吐く。
しかしそんな事では、長ソバくんからの追及は止まらなかった。
「嘘吐くなよ、俺たち親友なんだぜ?」
「……本当だよ」
長ソバくんのこの執念はどこから生まれてくるのだろうか?
ただガタガタと震えながら、僕は時が過ぎ去るのを待った。
「ひ、酷い目にあった……!」
昼休憩。
ヨロヨロになりながらいつもの部屋に向かう。
あの後、何故か授業中も長ソバくんから睨まれ、僕の精神は限界だ。
この昼の長い休憩時間は、本来なら外で体を動かすように言われている。
しかしそんな教師の言葉に真っ直ぐ従うような生徒は案外少ない。
かく言う僕もその一人で、屋外運動を避けるためにせっせと安全地帯に移動しているのだ。
部屋に通じる扉を開けると、そこには見慣れた先輩の姿があった。
「ん? 少年、なんだか疲れてるみたいだね」
「色々ありまして……」
先輩への返事もそこそこに、倒れこむようにイスに座る。
そのまま机に突っ伏していると、再び扉が開く音が聞こえた。
「あら? 何よ貴方、情け無い格好して」
部屋に入るなりそんなセリフを言う冷蔵子さんに、僕は机に伏せた姿勢で視線だけを向けた。
「僕がこうなった原因は、君にもあるんだけどね……!」
「なにワケの分からない事を言うのよ」
きっぱりと僕の抗弁を斬り捨てながら、彼女はのほほんと適当なイスに座った。
「ぐうう……!? いや待て、待つんだ僕! 今は耐える時、きっとその時なんだ……!」
そう、リボンの件を聞くまでは冷蔵子さんに対して不用意な口は聞けない。
勢い良く立ち上がりながら、僕は自分自身に宣誓した。
「ローマの道は一日にしてならずだ! いや、それは違うか!?」
「しょ、少年……? どしたの? さっきから変だよ……?」
「いえ、何も問題はありません!」
「そ、そう? ならいいんだけど」
恐る恐るといった態度で尋ねてくる先輩を後にして、僕は突き進む。
目指す先には冷蔵子さんの姿。
彼女はいつも通りに本を読んでいる。
近付く僕に気が付くと、本を閉じてそっとこちらを見上げた。
「あら? 何か私に用かしら?」
「実はそうなんだ」
察しがいいなぁ。
これなら頼みごともすんなり行くかもしれない。
「ちょっと教えて欲しいことがあってさ」
「ふうん? 教えて欲しいこと?」
「ええっと、その……」
あれ? リボンを売ってる店って何て聞けばいいんだっけ?
アクセサリーショップじゃ幅が広いしなぁ。
もっとこう、狭めた言い方があったような。
ええっと、ええっと……。ダメだ、思い出せない。
いや、発想を逆転させるんだ!
リボンは先輩が集めて無い感じのアクセサリー。
だから、先輩が集めてそうなアクセサリーの逆だと言えばいいんだ。
「ええっと、その、熊の手じゃ無い方を扱ってる店を知りたいんだけど」
「……ふざけているのかしら?」
何故だか怒り出す冷蔵子さん。
僕は慌てて取り繕った。
「い、いやふざけてるワケじゃ無いよ!! ええと、どう言い替えればいいかな……」
救いを求めるようにして先輩に視線を送る。
「先輩! 熊の手の逆って何でしたっけ!?」
「ええっ!? いやー、私に聞かれても……」
「熊の手を集めるのが先輩の趣味でしょ!?」
「そんな趣味無いよ!?」
えっ!? そうなの!?
先輩なら確実に集めていると思ったのに!!
かなり当たっていると思っていた推論。
それがハズれてしまった僕は、当初の目的も忘れ、ただただ驚愕していた。