140日目 エックス氏の悲劇(4)
「さて、どんな暗示をかけましょうか?」
僕は街灯に縛られたエックス氏の前に立ち、視線だけで大阪さんを振り返った。
「せやな、とりあえず俺らに関わらんようにせなアカン」
「じゃあエックスの興味の対象を他に向けないといけないですね。ただ……」
「なんや? 何か問題あるんか?」
「あんまり突飛な内容じゃダメなんですよ。極端な話、自殺しろって暗示をしても無理です。本人の意思から外れる暗示は効かない、ってTVに出てたマジシャンが言ってました」
「……マジシャンってお前。一気に期待が失せたわ」
屈みこむように地面を見つめて、大阪さんは深々と溜息を吐いた。
「ほんまに効くんか? 催眠術なんて」
屈んだまま顔だけを上げ、そう尋ねてくる大阪さん。
そうは言われても、僕だって分からない。
「そんなの分からないですよ」
僕の言葉に大阪さんは眉を顰め、
「なんや? 自信あり気にゆうてたやないか?」
「いや、確かに昔やった時は効いたんですよ。でももしかしたら、相手がかかったフリをしてただけかもしれませんし。単に思い込みの激しい娘だったのかも……」
思い浮かべるのは本家の女の子、ヒナちゃんの顔だ。
昔は彼女に暗示をかけて色々やらせたもんだ。
一族一同が集まる中、分家のおっさんのカツラを奪わせたり。
その後からおっさんは一族の集まりに顔を出さなくなった。今となっては良い思い出だ。
「催眠術なんてそんな大層なもんじゃ無いですしね。昔やった時も、大した事してませんし」
「まあそんなモンやろうな……」
顎に手を当て、思案気に相槌を打つ。
大阪さんはしかし、気を取り直した風に言う。
「せやけど、どうせアイツは勘で前世やら転生やらゆうてるだけだし。最初から大した考えや無いんだから、案外どうにかなるかもしれへん」
「希望的観測に縋るのは負けフラグですよ?」
「期待をヘシ折るような事を言わんでもええやろ!? 淡い期待くらい抱かせて欲しいわ!!」
甘い期待なんてしない方が良いのに。
「それでどんな暗示をかけましょうか?」
「せやなぁ……」
腕を組んで考え込む大阪さん。
五秒ほど宙を見つめた後、
「鍵師にするってゆうのはどうや?」
「鍵師……ですか?」
「せや。何や、エックスは異様に鍵にこだわっとったやろ? どうも比喩表現やったみたいやけど、それをまんま現実の鍵の方に興味を向かせるんや。生まれ変わりや何やゆうて俺らみたいな人間を追いかけ回して来るよりは、どこぞの鍵穴を弄くり回してる方が無害やろ」
「それはそれで有害じゃ無いですかね?」
お前は○○の生まれ変わりだ! と誰かを追いかけ回す人間と、ひたすら鍵穴をピッキングしている人間。
どっちにしろ怖いし、迷惑な事には変わりは無いだろう。
「せやな。せやけど、俺らの被害は無くなるやろ?」
「それもそうですね」
どっちにしろ有害なら、せめて自分達にとって無害な存在に変えよう。
それは実に建設的な意見だ。
「まあ効くも八卦、効かぬも八卦ですし。ちゃっちゃと催眠術を試してみましょう。オカルト好きは思い込みが激しいんで、案外すんなり効くかもしれませんよ」
「適当やなあ……」
憮然とする大阪さんから視線を外し、僕はエックス氏に向き直る。
いよいよこれからが本番だ。
「覚悟はいいかな? エックスさん」
「ふん、貴様ごときの暗示、この俺に効くはずが無い!」
「目を瞑ったら潰しますからね?」
「決して瞑らない事を約束しよう!」
冷や汗を流すエックス氏の前で、紐にぶら下げた五円玉を揺らす。
最初はゆっくりと。
徐々に速度を増しながら。
揺れる光りは反復し、波のように繰り返す。
波は僕らの体の中にも流れていた。
心臓のリズム。脳波の波長。巡る命の繰り返し。
エックス氏の瞳は光を追い、光は反復し、反復は心に達する。
海鳴りのように。空虚な口腔を伝い、僕の声が大気に鳴動してゆく。
……鍵……
…………鍵は何処にある?…………
「ふ……ははは! 知らんな!」
……扉……
…………扉は何処にある?…………
「扉は……部屋に続く扉は、魂の座にある」
……扉を……
…………扉を開けた人間は何処にいる?…………
「扉を開けた人間だと……!? それは……」
……開け……
…………教室の、ロッカーの、更衣室の扉を!…………
………………お前の、その手で!………………
「俺は……? 俺が、扉を開く……?」
トロリと濁った目で、何事かをぶつぶつと呟くエックス氏。
おお? 何だか暗示が効いてそうじゃないか?
早速大阪さんに近付き、小声で言った。
「成功したんじゃないですか? これ」
「おお、傍から見てて案外サマになっとったで、坊主。これならイケるかもしれへんわ。何でもやってみるもんやな」
既に催眠術が成功したとでも思っているのだろう。
大阪さんの声には喜びの響きがあった。
「とりあえず縄を解いてみよか」
「大丈夫ですか?」
「せやかて、いつまでも縛り上げとくワケにもいかんやろ」
つかつかとエックス氏に近寄ると、大阪さんは縄を解いて行く。
ようやく自由の身となったエックス氏。
しかし濁った目をしたまま、その場を動こうとしなかった。
「これは重症やな……。坊主の催眠術がそないに効いたんか?」
「いや、こんな風になるはずじゃ無いんですけどね……?」
おかしい。前にやった時はこんな事態にはならなかった。
久しぶりにやったんで、やり方間違えたかな?
「どないする?」
「どないしましょうね?」
エセ関西弁で返事をしながら、二秒ほど考え、
「ベンチにでも放置しときましょうか」
「せやな」
短く呟くと、僕らはエックス氏を肩で支えながらベンチを目指した。
その後、エックス氏の姿を見た者はいない……などとなるワケも無く、彼は元気に学園に通っているようだ。
再び付きまとわれる事を心配していたが、そんな事も無く。
催眠術が効いたのか、はたまた公園で縛られたのが効いたのか。
エックス氏が僕達に絡んでくる事は無くなった。
ただ、風に聞いた噂によると、彼は何故か女子更衣室の鍵を開けようとしたらしい。
「この扉の向こうに魂の神秘を解く答えがあるのだ!」と叫ぶエックス氏。
居合わせた教師たちは、ただ黙って首を横に振り合ったという。
「まあ、今となっては良い思い出ですね」
「せやろか……?」
学園の屋上で、風に吹かれながら。
僕と大阪さんは、静かにグラウンドを見下ろしていた。
「俺は悲劇やと思うけどな」
「悲劇……ですか?」
問い返すように短く呟く。
どこに泣く要素があったんだろう?
「せや。全てはオカルトなんてけったいなモンにハマってしまったが故の、悲劇や。坊主の催眠術も含めて、な」
渋めの口調でそう呟くと、大阪さんは透明な眼差しを空へと向ける。
青く澄み渡った空は何も答えず。風は、それでも僕らに向かって吹いていた。
「あれ? ちょっと待って下さいよ。それって遠回しに僕の事も悲劇扱いしてませんか?」
「さあて、今日の放課後はラーメンでも食いに行くか坊主」
「質問に答えて下さいよッ! 大阪さん!? 大阪さーーーん!!」
何も答えぬまま、背を向けて屋上を去っていく大阪さん。
その背中を追いかける僕。
風は、そんな僕らを駆け抜けていった。