137日目 エックス氏の悲劇(1)
学園の近くにある公園は巨大なものだった。
天然の小山を利用したそれは広大で、高低差があり、長い階段で上下を結んでいる。
そんな公園の高台は不人気な場所と言えた。
何故ならそこに至るために長大な階段を上る必要があり、多大な労力を必要とする。
誰かの願いで作られた、この街を一望できる高台は。
だからこそ、人気の無い場所でもあった。
大阪さんは額の汗を腕で拭いながら、その男を見下ろした。
「お前には黙秘権も弁護士を呼ぶ権利も無い。分かるやろ?」
「ふぐう~!? もふっ、もふっ、ふもも~!!」
哀れにも、布で猿轡をかまされた男が喚く。
……何言ってるか、さっぱり分からないや。
「大阪さん、口につめた布を取りましょうよ。何言ってるか分かん無いですし」
「せやな」
近付くと、縄でグルグル巻きにされた姿で、芋虫のように身をくねらせる。
僕と大阪さんは無言のままそっと目配せをした。
大阪さんが男の上に座り、その身を押さえる。
その間に僕が口にはまっている布を取り除いた。我ながら実に手早い仕事だ。
猿轡を取った瞬間、それを待ち構えていたかのように絶叫が上がった。
「な、なんだ!? いきなり人を拉致しやがって!! 目的はなんだ!? キャトルミューティレーションか!? おのれ宇宙人共、たとえ俺が負けても人類は負けんぞ!!」
縛られた姿でなお猛々しく吼えるのは、オカルト同好会会長のミスター・エックス。
そう、僕らは彼を縛り上げ、この人気の無い高台まで運んできたのだ。
「うひゃあ!! なんだ!? 何故俺の体をまさぐる!? 止めろ! いや止めて下さい!! ほんとスミマセンでした許して下さい!! 臓器を取られるのはイヤ~!!」
急に卑屈になるエックス氏を無視しながら僕は目的の物を探した。
あるはずなんだけどなぁ……お、これか?
「これかな~っと。うん、これこれ。僕に目潰ししてきたペンライト、本当にいつも持ち歩いているんだ」
「貴様ァ!! それを返せ!!」
「てい(カチッ)」
「ぐわっ! まぶしッ!!」
ペンライトの光りの直撃を受け、尺取虫のようにジタバタと暴れるエックス氏。
その体を押さえつけている大阪さんが、半眼になりながら僕を見た。
「何をやっとんのや」
「目には目を、歯には歯を、ですよ。あの有名なガリレオ=ガリレイが残した言葉です」
「ガリレオやのうてハンムラビ法典やろ!? 時代も場所も全く違うやんけ!!」
あれ? そうだったっけ?
「まあ適当に言っただけなんで、あんまり気にしないで下さい」
「適当にもほどがあるやろ」
呆れたような表情をこちらに向ける大阪さん。
僕はその冷たい視線を軽く受け流しながら続けた。
「この前やられたんですよ、目潰しを」
「ああ、あん時やろ? 廊下で何やゴタゴタしてた時」
「だからやり返したわけですけど……」
良い子は絶対真似しちゃいけないな、これ。
のたうつエックス氏の姿を見下ろしながら思った。
「ぐうう!? なにが目的だ!? 光を使った瞬間暗示は俺には効かんぞ!!」
「何をアホな事をゆーとるんや? 俺の顔を見忘れたとは言わせへんで」
「なんだと!? ……何も見えん!! 痛くて目が開けないッ!!」
「目潰しが効いてますねー。……もしかしてこのペンライト、改造してるんですかね?」
埒があかないのでしばし待つ。
次第に視力が回復してきたエックス氏は、眉間に皺を寄せながら僕らを見上げた。
「貴様らは!!」
「おう、ようやっと分かったか?」
「宇宙人か!!」
「なんでやねん!?」
「俺を拉致するような目的のある奴は、宇宙人以外に心当たりが無い!! 人類最後の精神的支柱であるこの俺をどうする気だ!? 宇宙人め!!」
「毎日俺を襲っておいてその言い草はなんやねん!? 宇宙人以外に心当たりが無い!? 俺がお前を恨んでへんとでも思っとったんか!?」
エックス氏の上に座り込んでいた大阪さんはやおら立ち上がると、エックス氏の顔のある方に回り込んだ。そしてそのまましゃがみ込み、自分の顔を指差してみせた。
「この顔を見忘れたんか!? いや、見忘れたんならそれでええ!! 二度と俺に関わるな!! 分かったか!?」
なんだか鬱憤溜まってるみたいだな~。
「なんや!? 何か言いたい事があるんなら、今の内にゆうときや!!」
睨みつけるようにエックス氏を見下ろしながら、声を張り上げる大阪さん。
エックス氏は一瞬キョトンとした後、
「人間に擬態しているグレイじゃなかったのか……?」
「誰がグレイやねん!!」
おお、これが火に油を注ぐというやつか。
縄で縛られ横たわるエックス氏。その襟元を掴み上げると、大阪さんは灼熱の怒りをぶつけるように凄んだ。
「どっからどう見ても人間やろ!! それに俺らが宇宙人やったら、わざわざお前を担いでここまで運んだりせえへんわ!!」
「むう……!? 確かに、俺を拉致するのにどうしてわざわざ原始的な方法を使うのか疑問だったが。……人間に擬態した宇宙人じゃなくて、本物の人間なのか?」
「まず擬態っちゅー考え方がおかしいやろうが!? うがあああ!!」
こうして見ていると果てしなく厄介な男だな、エックス氏は……。
オカルト同好会が学園で一番避けて通りたい集団って話が身に沁みるようだ。
「ならば君は正真正銘、あのイエス生まれ変わりの男か。……いや、モーセだったか? まあいい、どうして俺を拉致したんだ!?」
「それやそれ!!」
エックス氏の襟首を掴む腕に力を入れながら大阪さんは叫んだ。
「そのイエスだのモーセだの、毎日ワケの分からん事で絡まれて俺はもう疲れとんのや!! 迷惑なんや!! 前世ごっこに人を巻き込むんやないわ!!」
「むう。しかし君がイエスの生まれ変わりだと言うことを、俺の霊性が告げるのだ。だから間違い無く君はイエス、もしくはモーセの生まれ変わりだ。約三割の可能性で」
「イエスとモーセのどっちやねん!? あと、さらっと言いおったけど三割!? 七割は間違っとるやないか!!」
「はっはっは」
「何を笑っとんねん!! あああああ!!!」
掴みあげていた襟首から手を離し、苛立ち紛れに頭を掻きながら叫ぶ大阪さん。
エックス氏はゴロゴロと地面を転がった。
しっかし……全身縛り上げられてるのに余裕だなぁ、エックス氏は。
こんな人に毎日絡まれたら堪らないな。
目を血走らせる大阪さん。限界は近いだろう。
エックス氏は芋虫のような格好のまま、ギラリと瞳を光らせた。
「さすがの俺も実証実験無しでは……つまり退行催眠による確認なんかだが、それをしない事には確証を得られんのだよ。直感は囁くが、その意味を知るのは難しい……。というワケで是非とも実験に協力していただきたいのだが?」
「そんな気色悪い実験やらんゆーとるやろ!? 何べん言わせる気や!!」
「無論、君の考えが変わるまでだ」
「てい(カチッ)」
「ぐわっ!! 目がッ!?(地面を転がるエックス氏)」
このまま行くと大阪さんの頭が沸騰する。
そう考えた僕は、インターバルを取るために再びペンライトによる目潰しを敢行した。
「はぁ、はぁ。なんちゅう面倒な奴なんや? こいつは……!」
肩で息をする大阪さん。薄っすらと汗ばんですらいる。
「どうしましょうかね? 何だか、物凄く厄介な人に見えるんですけど」
「だからこそここで勝負を決めなアカンのや。そのためにわざわざ縛り上げたんやからな」
その言葉は、憎悪というよりは悲壮さを込めたセリフに聞こえた。
「まあここで説得しとかないと、何度も絡まれそうですしね」
「実際俺は何べんも絡まれとるんや……! このままじゃ身がもたへん……!」
落城間近の城で篭城を決め込むような口調で。
シャレ抜きでそんな気持ちなのだろう。疲れを滲ませた声で大阪さんは言った。