135日目 大阪さんの長い夜(3)
昼休憩の時間になり、僕はとある部屋を目指した。
この学園には部活動が無い代わりに、自由に使って良い部屋がいくつか存在する。
多目的ルーム。そんな部屋の一つをネグラとして使っているのだ。
「それにしても昨日は酷い目にあった」
廊下でいきなり目潰しを食らうとは……。
敵はオカルト同好会。だが僕はあまりにそいつらの事を知らなかった。
大体、元々は大阪さんの敵じゃないか。基本的に僕は関係無いはずなんだけどな……。
まあ降りかかる火の粉は払うけどね。全力で。
「ただ、大阪さんとは喧嘩になっちゃったしなー。オカルト同好会の情報をどこから仕入れるべきか……?」
身近な情報源として思いつくのは今のところ先輩だけだ。
オカルト同好会を知ってるよー、とか言ってたし。
決意と共に部屋の扉を開いた。
「先輩!! 居ますか!?」
「うん? なーに?」
先輩はイスに座っていた。
大きく口を開き、パンに齧り付く寸前の体勢で僕を見た。
「ええっとですね……そのパン、凄い勢いで具がはみ出してますけど、何ですかそれ?」
「ふっふーん? これねえ、火曜限定のパンなんだよ? 若鶏のバジルソースなんちゃらって言うパンでねー。多分香ばしい感じ? まだ食べたこと無いけどさ」
「美味しそうですね、それ。いい加減店の名前教えて下さいよ」
「やだー。もぐもぐ」
美味しそうにパンを頬張る先輩。
その姿を横目にしながら、やれやれと肩を竦める。
なんで教えてくれないんだろ? 減るもんじゃないのに?
やる事も無く先輩の食事シーンを眺める。
物を食べている時の先輩は幸せそうだった。
猫のように目を細め、若鶏のバジルだかジルバだかを挟みつつ、パンを食べる。
しかしどうして具が飛び出さないんだろう?
先輩の持つ尋常じゃ無い握力でパンを掴んだ場合、中の具が飛び出しそうなものだけど……。
あ、そうか分かったぞ! 指で掴まずに、両手の手のひらの上にパンを乗せてるのか! なるほどねー、先輩も色々苦労してるんだなー……。
「ってそうじゃ無い!! アブねー、また忘れるところだった!!」
「ふにゃ!?」
「先輩、変な声を上げないで下さいよ」
「少年が急に叫ぶからだよー!」
喉にパンが詰まったのか、先輩は右手で軽く胸を叩いている。
だが今はそんな些細な事を気にしている場合では無い!
オカルト同好会、彼奴らの情報を掴まねば! と、
「毎日毎日騒いで、飽きないのかしら?」
「暇なんだろうね。多分」
部屋の扉を開け、冷蔵子さんと風の王の二人が同時に入って来る。
「あれ? 今日は二人で何かしてたの?」
「別に何もしてないわよ」
冷然と答える冷蔵子さん。続いて風の王が「廊下でばったり会っただけ、だね」と捕捉するように告げた。
冷蔵子さんはそのまま適当な席に着き、持って来た本を開いた。そのまま黙々とページを捲る。やはり本には黒いブックカバーがかけられていて、その黒さと彼女の持つ金色の髪との対比が目に鮮やかだ。
「何を見ているの、かな?」
風の王は何故か僕の傍に近寄って来た。なんだろう? とりあえず答える。
「いや、別に。見るとも無く見る、それが真の奥義……。あれ? 何の話だったっけ?」
「奥義の話じゃ無いのは確実かなッ!?」
「まあいいや。そんな事より大事な問題があるし」
「そんな事!? 誤魔化さないで欲しいんだけど!!」
ギャアギャア騒ぐ風の王を無視して、僕は先輩に鋭い視線を向けた。
「そう、重要なのはそんな事じゃない! 重要なのは……!」
「パン屋さんの事なら教えないよ?」
「ええー? 教えて下さいよー……ってそうじゃない!!」
さっきから同じ展開を繰り返しているような気がする。
僕らはさながら繰り返す波。
どこが終りで何時が始まりなのだろう? などと禅問答みたいな言葉を考えていると、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、冷蔵子さんが読みかけの本から顔を上げた。
「さっきから何なのかしら!? うるさくて本に集中出来ないじゃない!!」
永久凍土のように冷えた瞳。
だがいつもいつも負けてられないんだよ! 僕は!
「はん、逆に考えるんだ」
「逆?」
疑わしげにこちらを見つめる冷蔵子さん。僕は不敵に笑いながら言った。
「字が読めなければ絵を見ればいい! 今度から画集でも持ってくることをお勧めするよ!」
「私は活字が読みたいのよ!!」
そのまま机を蹴り上げるようにして立ち上がり、声高に叫んだ。
むう……なんて我がままなんだ!
どこぞの王妃だって、パンが無ければケーキで我慢するのに!
しばし睨み合う。
争いは同じレベルの者同士でしか起こらないと聞く。
それが正しいかどうかは分からない。が、僕らはひたすら睨み合った。
やがて冷蔵子さんは肩から力を抜くと、ふっ、と困ったように笑った。
瞳の永久凍土が融け、鮮やかな青色が僕を見つめる。
射すくめられるようにして、呆然と、僕は彼女を見つめ返した。
「パン屋さんなんて幾らでもあるじゃないの。何だったら……そうね。わ、私のお勧めのお店に一緒に行っても良いわよ? 別に、誘ってるわけじゃ無いけれど……」
「だからそうじゃ無いんだ!!」
どうして僕らの会話はパン屋に戻るのだろうか?
何かの呪いとしか思えない。
ウロボロス。地球を取り囲む巨大な蛇にして、時の守護者。
永遠の象徴。
彼が咥えるのは己の尾だと言われている。
だが……もしかして、それは尾という名のパン屋なのだろうか……?
繰り返し繰り返し、僕らはパン屋に至る運命なのか?
時の呪い。永遠の苦悩。その黒幕は……パン屋のおじさん。
そう、全ての因果を操る巨悪の存在はパン屋のおじさんなのだ。
白いコック帽を被ったその顔が、暗い宇宙をバックにして浮かび上がる。
「だがその運命をここで断ち切る! 未来は僕らの手の中エンドだ!」
崩れ落ちて行くパン屋のおじさんの幻影。
時は動く。流れ落ちる幻影の先に、因果を越えた物があると信じて。
決意と共に、叫んだ。
「先輩!!」
「なーに?」
「昨日聞きかけたんですけど、オカルト同好会のことについて教えて下さい!」
幻影が吼える。
運命という名の絶叫を上げながら崩壊して行く。僕はもう、パン屋に縛られない――。
「そう言えば昨日もそんなこと言ってたね」
若鶏のナンターラを食べ終わった先輩が、指についたソースを舐め取りながらこちらに顔を向ける。
「でも、オカルト同好会の事なんて知ってどうするのー?」
「のっぴきならない事情があるんです……!」
「ふーん」
無味無臭、無感動にそう呟いた後、
「えーっとね、私も詳しくは知らないんだけど」
「ふむふむ」
「あ、私って今日もパンを食べたじゃん?」
「パン屋はもういいんです!!」
ダンッ! と机を両手で叩く。
時は動くんだ! 運命を断ち切ってみせる!
先輩はビクッと驚いた後、
「だからさぁ、そのね? そのパン屋のおじさんの親戚の子が、確かオカルト同好会に入ってたと思うんだけど……」
なん……だと……?
消えたはずの幻影が、宇宙をバックにして再び聳え立つ。
永劫の罠。ウロボロスの象徴。
パン屋と言う名の存在が、僕の前に立ちはだかっていた。