133日目 大阪さんの長い夜(1)
草木も眠る丑三つ時。
学園の寮もとうに就寝時間を越え、物音一つ無い。
「坊主、マズイ事になったわ」
大阪さんは声を潜めながら言う。
暗闇。安全の為に仄かな常夜灯が灯る寮の食堂にて、僕と大阪さんは適当なイスを引っ張り出し、そのまま座っていた。
「今度は何をやったんですか? 人生どんどんダメになりますよ?」
「今度って何やねん!? 言っとくけどこれは不可抗力やで!? 毎度毎度問題起こすような、俺はそないなアホちゃうわ!!」
自覚無いなぁ……。毎度毎度、問題起こしてるくせに。
僕は半眼になりながら投げやりな視線を送った。
「それで、何がそんなにマズイんですか?」
「……それがやな、話すと長くなるんや」
夜の青色に沈む食堂。窓から見える星は、静寂を湛えて光っている。
切れ長な瞳にどこか思案気な色を浮かべ。大阪さんは辺りをキョロキョロと見回した。 誰かに聞かれたらマズイ話題なのだろうか?
食堂の壁にかかる柱時計を眺める。闇の中に微かに見える時計は、中々に深夜な時間帯を示している。
今から長話聞くの辛いなぁ。……寝るか。うん、そうしよう。
「じゃあ良いです。僕もう寝るんで、大阪さんも早く寝た方が良いですよ?」
「せやな。いや何でやねん!! 話を聞いてくれなアカンやろ!? こうやって深夜にこっそりと相談しとる意味が無くなるやろうがッ!?」
勢い込む大阪さん。
僕は緩い笑みを浮かべながら、穏やかな口調で言った。
「大阪さん、それは大丈夫です」
「何が大丈夫なんや!? 何も大丈夫やあらへんやろ!?」
「話を聞いても、解決を手伝う気なんて最初からありませんから」
「ちょ……!?」
「せいぜい困って下さい。じゃ、そういう事で」
立ち去ろうとすると腕をガシッと掴まれた。
非常口を示す案内板。その緑色光が大阪さんの横顔を照らしている。
なんというか、非常に不気味だった。
「ちょ……止めて下さいよ! 何か夢に出てきそうな顔でマジで怖いんですけど!?」
「なんちゅー冷たい奴や!? 困った先輩を助けるのが後輩っちゅーもんやないか!」
「どうせ関西弁マスターを目指す戦いとかでしょ!? 止めりゃいいじゃないですか、そんな争い!!」
かつて目の前の人物と共に駆け抜けた『正しき大阪弁のための連合』、通称『正大連』との戦いを思い出す。
あんな虚しい戦いは繰り返すべきでは無い。それだけは確かだった。
「今回はちゃうんや! 言うなれば防衛戦や!」
「何ですか防衛戦って!? チャンピオンベルトでも賭けてるんですか!? 前から思ってたんですけど、馬鹿なんじゃないですか!?」
「ちゃうちゃう!! 防衛戦は物のたとえや!! せやから、話を聞けや!!」
ぜーはー、と息を切らす僕達。
喧騒が過ぎ去れば、食堂は再び静まり返る。
まるでそれが当たり前のように。
何千年も前からそうだったように、食堂は無音と闇に包まれる。
窓から見える幾つもの星が、静謐に輝いていた。
「モーセって知っとるか? 坊主」
「モーセ?」
一通り騒ぎ終わった後、僕は素直に大阪さんの話に耳を傾けていた。
適当に聞き流すのが一番手っ取り早い。そんな単純な理由だった。
「モーセってあれですよね、海を割るジジイ」
「せやな」
大阪さんはそこで一拍置くと、視線を遠くに向けた。
何を見るでも無く。追憶のように語る。
「今回の一件は、モーセから始まるんや……」
「…………はぁ。モーセですか」
何を言い出すんだこの人は?
全く話しが見えない。
「モーセって紀元前の人ですよね。もしかして大阪さん、変なアニメに影響されてるんですか? 一億と二千年前から続く物語なんて現実には無いですよ?」
「いやそうや無いんや。近いけどな」
「近いんですか」
うわあ面倒な事になってきたぞ。
僕の心の中の叫びに気付くはずも無く、大阪さんは嘆息を吐きながら話を続けた。
「モーセは神さんから石版をもらった。十戒っちゅーやつやな。ほんで、そいつは聖櫃っちゅー契約の箱に入れられたんや」
「アーク? アークって言うとノアの方舟もそうですよね」
「せやな。いやそれは今回は関係無いんや。……多分」
多分の部分に果てしない不安を感じながら、僕は一筋の汗を流す。
それは大阪さんも同じ様だった。
どこかしら諦めにも似た物を醸しながら説明を続ける。
「ほんで、モーセの意志を継いだもんがおってな? イスラエルゆー国を建国するわけや」
「……大阪さん、本気で長い話なんですけど、そのモーセの説明って必要なんですか?」
「まあ落ち着けや。俺も、正直どっからどこまで話したらええもんか……。ま、面倒な問題やっちゅーのは確かやな」
「そんな面倒な問題、起こさないで下さいよ」
「せやから不可抗力なんや!」
バンッ、と机を叩く。
しかし怒りは夜の闇に融けてしまったのか、大阪さんはすぐに肩を竦めた。
「ま、それはそれとしてや。イスラエルにはソロモンっちゅー王様がおったんやけど、その人が亡くなった後に国が分裂してな? その後に他の国に滅ぼされてしまうんや」
「う~ん……。それがどうだって言うんですか?」
さっきから聞いてるけど、全く話が核心に入らないんですけど。
与太話を聞くくらいならさっさと眠りたい。
「話はここからや。イスラエル王国には聖櫃があったわけやけど、国が滅びた後にそいつがどこに行ったと思う?」
「国が滅びたんなら、滅ぼした国が持ってるんじゃないですかぁ? もしくは滅びる前にイスラエルの人に運び出されたとか」
僕の出した返答の何が面白いのか、大阪さんはニヤリと笑う。
まるで手品が成功したマジシャンのように自慢げな顔を浮かべた。
「それがやな、実は日本に運ばれたっちゅー話があるんや」
「日本に? 紀元前の話ですよね、運ぶの無理じゃないですか?」
「う~ん、まあせやろな。でもロマン溢れる話やないか?」
ロマンと言われれば男の矜持である。
ふっと笑いながら言葉を返した。
「まあ少しばかり心をくすぐりますけどね。伝説のアークを日本に見た! とか」
「はっは。徳川埋蔵金みたいなもんやな」
「あれって本当に埋まってるんですかね? 発掘隊とかありますけど」
「まあおもろいや無いか。伝説の秘宝を探す旅やで。傍から見てて応援しとうなるわ」
はっはっは、としばらく朗らかに笑った後。
大阪さんは頭を抱えながらテーブルに崩れ落ちた。
「ほんま……傍から見てる分にはおもろいんやけどな……!」
「ど、どうしたんですか? 急に?」
「いや……何か一気に疲れがやな」
大阪さんでも疲れることってあるんだ……。
「ほんでまあ……そんなドリーム溢れる話の中に、モーセやらソロモン王やら、ユダヤの失われた十氏族も日本に来とるー、ゆう話もあるんや。ああ、時代は飛ぶけどイエスもやな」
どこか投げやりな口調で、大阪さんは滔々《とうとう》と語った。
「ほんで中には、日本人にそいつらの子孫がいるー、ゆうドリームを追いかける連中もおってな」
「前世は堕天聖とか言うパターンのドリームですね」
「せやな。ほんでまあ、何故か俺をモーセやらソロモンやら、ついでにイエスの生まれ変わりやと言い張る連中がおってな。何がしたいんかよう分からんけど」
「……豪華ですね」
「嬉しゅう無いけどな……ここんとこ、毎日絡まれとるんや」
本気で疲れているのだろう。深々と溜息を吐いた後、大阪さんはポツリと呟いた。
「敵はオカルト同好会。この学園で最も避けて通りたい連中や」
オカルト同好会。最も避けねばならない相手。
そんな相手と対峙している大阪さんを横目にして。
この後に待ち受ける展開を知らないまま、僕は胸中で呟く。
はて、どうやってこの一件に関わり合いにならない方向に持って行こうか?
既に抜き差しなら無い状況になっているとも露知らず。
この時の僕には、そんな幸せな考えしか無かった。