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ゴリラ先輩ラーメン子  作者: 彩女好き
乙女のワルツ編
116/213

116日目 海とジイちゃんと遥かなる空




海の向こうは遥かで。

世界の果てからは穏やかな風が吹いている。


ささやかに灯る星の光りは。

淡く色づく夜の闇に瞬いては消えた。


打ち寄せては返す波は、繰り返す時の調べ。

いずれ訪れる終焉を予感させながら、緩やかな音を立てた。


「それでジイちゃん、これからどうするのさ?」


僕のセリフを打ち消すように。

ザザーン、という波の音が聞こえる。

僕は虚ろな目で砂山に突き刺した枝を見つめた。

一際大きな波頭が立ったかと思うと、砕けた波が音も無く広がり、砂山を崩して消えて行く。


倒れた枝。

壊れた砂山。

ああ、無常だ。無性に無常だ。

疲れた目で打ち寄せる波を見つめる僕に、ジイちゃんの声が聞こえる。


「どうしようかのう?」


その声には幾らかの後悔と懺悔の念があった。

いやゴメン、それは嘘だ。そうあって欲しいという僕の願望に過ぎない。


この期に及んでジイちゃんには後悔も懺悔も無い。

飄々とした口調のジイちゃん。その声には、むしろ事態を愉しむ空気さえあった。




事の始まりは遡ること六時間ほど前だ。

せっかくの休日だと言うのに、父とジイちゃんは喧嘩を始めた。

まあ父とジイちゃんの喧嘩は日常茶飯事なのだが。

ただ一つ違ったのは、今回はお互いが本気で殺し合ったという事だろう。


「今日こそ殺してやるぞゴミ虫ぃ!!」


「ほっほ? 出来るの? お前に出来るの? ゲロ弱いお前に出来るのぉ?」


ぶち切れた父と、それを挑発するジイちゃん。

母はゴルフクラブを振りかざす父に縋りついて諌めていた。


「ちょ、ちょっとあなた落ち着いて!」


「放せぇ!! 殺してやる!! 殺してやるぞぉ!!」


まるで親の仇を討とうとするようにジイちゃんに迫る父。

その手に光る五番アイアンのヘッドは、人間の頭部をスイカのように粉砕出来るだろう。


う~ん、何がそこまで父を駆り立てるのだろうか?

カルシウムが足りて無いに違いない。


ポテチをポリポリと食べながら傍観する僕と、母の目が合った。

そこから始まるアイコンタクト。長年の間に培われた技術がそこにあった。


(アシストして!)


(ジイちゃんに止めを刺すの? それとも父さんに攻撃?)


(馬鹿言ってないで、早くお爺ちゃんをどこかに連れてって! しばらくの間、二人を引き離すのよ!)


ボケとツッコミを視線だけで交わす。

我ながらこの技術は凄いと思う。何の役にも立たないけど。


培わなくてもいい技術を研鑽するのが僕の家系なのだろうか?

胸に浮かんだ疑問を振り払うように、僕はジイちゃんを連れて外へ飛び出した。


玄関を開けた瞬間、真っ青な空が一面に広がる。

晴天。醒めた青色は目に痛いほどだった。

手が届かない遥かを白雲が流れていく。


冷えた大気は天を目指す水から機械的に温度と色を抜き去る。

憐れな水滴は、何もかもを奪われたまま空を漂うのだ。

やがて無慈悲に地上に落とされるその時まで。

ザ・無常。そこに意味は無く、強いて挙げれば永遠の回帰、つまり循環だった。


この世はあまりに無常だった。

思えば父とジイちゃんの諍いもまた虚しくそして切ない現象だ。


青く揺れる風に前髪を遊ばれながら。

僕はそっとジイちゃんに語りかけた。


「ねえジイちゃん。何処に行きたい?」


着の身着のまま、アロハシャツのまま家を飛び出したジイちゃんは、アゴヒゲをさすりながら呟いた。


「そうじゃのう、海が見たいかのう」


空から風が吹いて、静かにアロハシャツを揺らす。

遠く遠く、遥かな果てを見つめるジイちゃん。


その姿には息子と対立する虚しさとか切なさとか――そんな物は一切無く。

むしろそんな宿命を楽しむ空気すらあり。

だからこそ無常であるのだろう、と僕は独り言のように黙考した。




電車とバスを乗り継いでやってきた海は、優しく僕らを向かえた。

どうして僕は優しいなんて思ったのだろうか?

それは柔らかな潮風が頬を撫でたからかもしれないし、崩れては消えて行く波の音に哀惜の念を覚えたからかもしれない。


理由なんて物は分からない。

物事はいつだって過ぎ去った後にそれを教え、そして静かに消え去って行くだろう。


過去は未来にならねば応えず、未来であるからこそ過去は沈黙する。

結局は何も分からないまま時は過ぎ去る。

崩れて消えた思い出だけが淡く残るのだ。


苦い記憶は、どこか甘く切ない余韻を残し。

それは消え去るものへの愛惜かもしれず、想いへ捧げられる祈りかもしれなかった。


心の中には風が吹いている。

幾千、幾万の祈りは灰色の空に満ちるだろう。

やがて無慈悲に凍らされ、白い雪となって降り注ぐその時まで。


「ワシはただのう、海を見たかったのじゃ」


ジイちゃんの言葉にはっと我に返った僕は、アホウな思考を中断した。

母からの指令では、今日は一晩帰ってくるなとの事。


どうやら父は余程腹に据えかねたらしく、殺意の波動は納まる所を知らないらしい。

喧嘩の原因は知らないけど、少しはジイちゃんにも反省して欲しいものである。


「海を見て何か思う所でもあるの?」


暮れかけた空と海を見つめながら、ジイちゃんはポツリと呟いた。


「うむ。ワシとて木石では無い。そりゃあ、思う所はあるぞい」


「ちなみにどんな事?」


「そうじゃのう。久しぶりにイカが食べたいのう」


ザザーン……。

波の音が聞こえる。


海は優しいと思えた。何故なら、例えジイちゃんが何を考えていようと、それによって態度を変える事無く、いつまでも波音を立ててくれるからだ。

僕は打ち寄せては消える波を見つめながら言った。


「イカは歯に悪いから止めといた方が良いよ」


ザザーン……。

例え僕が何を考えていようと、海は態度を変える事無く静かに波音を立てた。


「今夜一晩は帰ってくるなだってさ」


「うむ。あの野郎もケツの穴が小さいのう。うわーはっはっは!」


豪快に笑い声を上げるジイちゃん。

波は……もう何でもいいや。

徒労とか無常とかを感じながら僕は言葉を続ける。


「今夜どこに泊まるとか、ジイちゃんにあてはある?」


「無いのう。うわーはっはっは!」


「笑い事じゃないよ……。まあいいや、どっかのビジネスホテルでも泊まろうか?」


今からでも探せばどっかあるでしょ。

建設的な意見を提案する僕に対し、ジイちゃんはチッチッチと人差し指を振った。


「それじゃ面白くないじゃろう?」


「面白さを求めているとでも思ってるの!? 勘違い甚だしいよ!」


「坊よ、どんな争いの中でも楽しみを見つけるのじゃ。それがやがては希望となるのじゃよ……!」


「争いの元凶が言うべきセリフじゃないよ!? 分かってる!? ねえ、分かってる!?」


アロハシャツの襟元を掴んで、ガクガクと力任せに揺さぶる。

しかしやはりジイちゃんは飄々とした笑い声を上げるだけだった。


「そんな事より坊よ、今晩何を食べるとするかのう?」


「誤魔化さないでよジイちゃん!」


「海じゃぞ、海。海と言えば毒物の宝庫じゃ」


「何でそんなに毒にこだわるのさ!?」


「ほっほ。まあ実は、海の毒にはあんまり興味ないんじゃがな」


「じゃあ何で話題にするのさ!?」


「いや何となく。ほれ行くぞい、こういう海辺の町には美味い海鮮丼をやってる店があるのじゃ! 急がんと店が閉まるぞ!!」


言うが早いか走り出すジイちゃん。

夕暮れの砂浜を駆け抜けて行く。


その先に待ち受けるのは果たしてどんな命運だろうか?

……もう何でもいいや、少なくとも夕飯は食べよう!

考える事を放棄しながら。

僕は砂浜を蹴り上げ、一心にジイちゃんの背中を追いかけた。





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