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ゴリラ先輩ラーメン子  作者: 彩女好き
乙女のワルツ編
112/213

112日目 雨と傷跡




ザアアア……。

雨は連なるように舗装された道を穿ち、小さな音を上げた。


灰色に垂れ込める雲は世界を覆い、街の風景も灰色に染める。

広がる薄闇の中、白い斜線のように雨が降る。

肌寒さに身を縮めるようにして、名も知らぬ人々が通り過ぎる様を窓越しに眺めた。


灰色の街は人々の輪郭を色濃くしている。

暗闇は、むしろ明るい日差しよりも色々な事物を浮き彫りにしていくのだろう。


「何を見ているのかしら?」


問いかけるように僕を見つめながら、冷蔵子さんはグラスをテーブルに置く。

カラン、と音を立てるグラスの中の氷。冷えた音だな、と僕は思った。


「傷跡だよ」


「傷跡?」


「このテーブル、大分使いこまれているからさ。薄っすら見えるんだよね」


古びた喫茶店のテーブルは、やはり年季が入っているのだろう。

幾つもの線状の古傷は……何故かこんな雨の日にこそ見つけてしまうものだ。


そして見つけたからには、心を通り過ぎて行く感情にも目を向けねばならない。

感傷、追憶。過ぎ去った日を惜しむのか、それとも懐かしむのか。


傘を差しながら歩く街の人々も、あるいはこのテーブルと同じかもしれない。

在りし日の心の傷をうっかり見つけてしまい、見つけたからには見つめざるを得ないだろう。

輪郭を、存在を色濃くしながら。

冷たい雨の中、思い出の中を泳ぐように歩いていく。


「あまり良い趣味では無いわよ?」


「何が?」


「だって粗探しじゃないの。傷跡なんて」


咎めるように言う冷蔵子さんの、碧い瞳を見る。

冴えたその青さは、コバルトブルーの熱帯魚を思い出させた。


「僕は――、」


あえて強調するように一呼吸置いてから言う。


「傷跡にこそ歴史があると考える方なんだ。ええと、何だっけ? 確か茶器とかにもそういうのがあったと思うけど」


「茶器? ……割れ目を金継ぎするとか、漆塗りで直す事かしら?」


「そうそう、多分そんな感じ」


多分って何よ、と胡乱な目つきを向けてくる冷蔵子さん。

苦笑いしながら、言葉を付け足すようにして僕は言った。


「ああいうのだって、傷を愛でるもんなんでしょ?」


「継ぎ目、よ。まあ言わんとする所は分かったわ」


グラスの中の水が冷たく揺らめく。

それと同じくらい美しく透明な輝きを湛えながら。

彼女は雪融けの清流のように澄んだ瞳で僕を見た。



雨が降る。



マスターに注文したアップルティーはまだ届かない。

申し訳に置かれた冷水を前にして、雨垂れの音を聴く。

古傷は何故かこんな日に見つけてしまうものだ。それが他人の物であっても。


金糸のように流れる髪と、碧い瞳。

それを間近にしながら、僕の胸に浮かび上がってくるセリフがあった。



――私って見た目こうでしょう?

――小さい頃はね、色々とあって



うっかり思い出してしまった言葉。かつて冷蔵子さんが僕に語ったものだった。

それは彼女の心の傷跡であったかもしれないし、単純に思い出と呼べる物であったかもしれない。

傷跡は、輪郭を、存在を色濃くしながら。

過ぎ去った日々を告げ、心を通り過ぎて行く感情の一つに替わる。


そんな事を考えながら、苦く笑う。

言われた通り、確かに良い趣味では無いな。胸の内で静かに首肯した。


「ねえ、今何を考えていたのかしら?」


問いかけるその言葉に、薄く笑みを返す。

内心を隠すために僕はそっと嘘を吐いた。


「前回ここに来た時はさ、ミックスジュース頼んじゃったじゃん? その事を思い出しててね」


なんでもここのミックスジュースは、店長の趣味で劇物仕様だという。

常連で無い僕は当然その事を知らず、うっかり注文してしまったのだ。

……っていうか、客に向かって闇鍋みたいなドリンクを提供するのはどうなんだろう?

それでこの店が運営出来てるみたいだから、ある種の『売り』なんだろうけどさぁ。


「そんな事もあったわね」


「でも今回はバッチリさ。何せ君と同じ物を頼んだからね!」


ロシアン・ルーレットのようなメニュー表から正解を選ぶために。

僕は天運に頼ったりはしない……!

臆病者だと笑わば笑え!

面白味が無いわね、と無責任に言う冷蔵子さんに対し、僕は会心の笑みを浮かべた。




「はいよ、おまちどうさん」


喫茶店『風花堂』のマスターは、今日もぶっきらぼうだ。

無骨なその手でアップルティーの入ったティーカップを二つ無造作に置くと、睨みつけるように僕を見た。


「小僧。どうしてアップルティーが二つなんだ? 連れと同じ品を注文する奴は大ッ嫌いなんだがな」


「……いや、そんな事を言われても」


良いじゃないか同じ品を頼んだって。

マスターは顔を歪めるようにして笑うと、低い声で告げた。


「だから小僧、貴様のアップルティーは俺がミックスしてやった。感謝しろ」


「なんで!? 普通のアップルティー飲ませてよ!?」


「黙れ雑魚」


「雑魚!?」


店員から雑魚って呼ばれたのは生まれて初めてだった。

しかし相手はマスターだ。この喫茶店と同じくらいに年老いているので、尊大な態度でも仕方無いのかもしれない。

僕はまるでシバキ倒された敵キャラのように、去り行くマスターの後ろ姿を眺めた。


「貴方の負けね」


傍観者たる冷蔵子さんが無情に告げる。

そうか、僕は負けたのか……。


必勝を目指し、プライドを捨ててまで挑んだ。

冒険を捨て、手堅く勝利を目指した。

だが栄光は遠ざかり、後に残るのは劇物指定のドリンクだけだった。


雨が降る。雨粒は窓を流れ、寂しい傷跡を残した。

それは敗北の記憶。争いに敗れ、アップルティーを逃した僕の痛み。


しかし人は敗北を乗り越える事が出来る。

たとえそれがどんなに困難であろうと……!

必要なのは決意であり、覚悟である。

その身を捨て伸ばしたその手の先に――望む物は、在る!


決断は軽やかに。

僕は冷蔵子さんの前に置かれたアップルティーのカップと、僕の前にある謎の液体の入ったカップをそっと入れ替えた。


等価交換の原則に従い、僕の手元には勝利の栄光たるアップルティーの姿があった。

芳醇な香り。ときめきと潤いを秘めた魅惑の飲み物が、遂に僕の手に。


「これでよし、っと」


「ふざけてると滅ぼすわよ?」


にこやかに告げる冷蔵子さん。

その声の冷たさに無言で冷や汗を流す。

凍りつくような心を無理矢理奮い立たせ、僕は胸の誓いに従って戦いに望んだ。


「頼むでゴザル!」


「何でサムライ口調なのよ!? いいから戻しなさい。私はアップルティーが飲みたいのよ」


「ぐぬぬ……!」


僕はそっとティーカップを元の位置に戻した。

いや僕だってアップルテーが飲みたいよ。

だからアップルティーを注文したんだもの。

それなのに何でミックスされてるのさ? こんなの絶対おかしいよ。


二度目の敗北。古傷が開くような苦味を噛み締めるが、慣れてしまえばなんて事は無い……。

手のひらから零れ落ちていく勝利を見やりながら、アップルティーの味を夢想した。


「っていうかさあ、やっぱりおかしいよね? 何で僕が注文したアップルティーが謎のミックスに改造されてるの!?」


「貴方、きっとマスターから気に入られたのよ」


「この仕打ちが!? 中学生の悪ノリみたいなブレンドティーだよ!?」


声を大にして言いたい。喫茶店で許される行為じゃない!

顧客満足度という概念を真っ向から否定するこの喫茶店。


テーブルの傷跡が教えてくれる。

斬新なスタイルで挑むこの店の、歴史は長い。

あまり良い趣味とは言えないそのスタイルが受けるのは何故なのか?

目の前に置かれたミックスジュースは、何も教えてくれなかった。





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