111日目 心を見つめなおす時
突き刺さるというのは、力学的に考えて非常に効率的ではあった。
斬ったり叩いたり、という現象は力を分散させる。
分散すればそれだけ力は無駄となり、遊びが生まれ、非効率この上ない。
その点、突き刺すという行為は理想的だった。
力を一点に集中するために無駄が無い。
集約された力はあらゆる物を貫き、そして終わらせる。
槍、ライフル銃、貫徹弾。いずれも多くの物を貫き、そして終わらせてきたのだろう。
かつて竹刀を握った僕は、やはり突きを警戒した。
それはまさに一点に込められた力であり、容易に試合を終わらせる技である。
喉元を、鳩尾を、貫こうとする意思は、硬く冷たい。
前置きが長くなってしまったので話を元に戻そう。
いつもの部屋の中で。先輩と冷蔵子さんが僕に向ける視線は、つまりはそんな視線だった。
「あの……僕が何かしたでしょうか?」
「あら? 分からないのかしら?」
「少年。胸に手を当てて考えてみて?」
むう? やはり二人の機嫌を損ねるような事をしたというのか?
だが分からない。心当たりが無い。
先輩の言葉に従い記憶を探るが、原因と思える物は見当たらなかった。
しかし、胸に手を当てて考える事は正しいことだろうか?
思いを巡らすのならば、頭にこそ手を当てるべきだと思う。
人間は考える葦。そして考える部位は脳ミソなのだ。
果たして心は脳と心臓のどちらにあるのだろうか? という哲学的命題に思いを馳せる。
当然脳だよひゃっほー! と言いたい所だが、それは甘い考えだ。
世の中にはオカルトめいた物が沢山あり、その中の一つに記憶の転移という話がある。
臓器移植を受けた患者は、臓器提供者の記憶を共有するという。
この話の面白い所は、脳が記憶の中枢であるという考えを否定する所だ。
脳さえあれば人格が残る、という考え方も否定する。
体のどこまでが残っていれば『自分』という人格が残るのだろうか?
あるいは……人格などと言う物は、複写と転移を繰り返す何かなのかもしれない。
繰り返す時の中で、閉じた輪廻の環の中で。人格は朝露の雫のように儚いだろう。
「はい、どーぞ」
「ありがと」
「どういたしまして、かな」
思索を中断しながら、差し出されたリンゴを頬張る。
小さく一口大に切られたリンゴが、爪楊枝によって僕の口に運ばれる。
爪楊枝を持つのは隣に座る風の王だった。
「先日はやりすぎちゃったから、ね」
というのが彼女の言い分だった。
どうやら罰ゲームと称して、縛られた僕に渾身の一撃を入れた事を反省しているらしい。
反省するくらいなら最初からして欲しく無かったが、まあいいさ。終わった事だ。
風の王はしおらしく、そしてたおやかに僕の口にリンゴを運ぶ。
そんな彼女の謝意をむげに断るほど狭量では無いつもりだ。
ちょっとした王侯貴族の気分を味わいながら、リンゴの味を噛み締める。
しゃりしゃりとした感触を楽しんで咀嚼し、飲み込み、そして先輩達に視線を向け直した。
「全く心あたりがありません。ヒントくれませんか?」
無駄に心の定義についてとか考えてしまったので、先輩達が怒っている理由が分からない。
むしろ分からないからこそ変な思考に走ってしまったとも言える。
こういう時は素直にヒントをもらおう。
一筋の光明があれば、問題は大抵解決に向かうものだ。
「それは本気で言っているのかしら?」
「僕はいつだって本気さ。特にヒントを要求する時はね……!」
「むう……いつもふざけていると思っていたよ……!」
驚愕の表情を浮かべる先輩。
ふはは、先輩もまだまだですね!
僕がいつもふざけているだなんて……ってあれ? 何気に酷くないそれ?
先輩は、果たしてどういう目で僕を見ていたんだろうか……?
残酷な真実に辿り着きかける僕の前で、冷蔵子さんは苛立たしそうに髪を弄んでいる。
普段に無くイライラとした様子で、射抜くような視線で僕を睨む。
「ヒントいくわよ!」
「お、おう! どんと来い!」
「リンゴよ! そのリンゴを見て、貴方は何を思うのかしら!?」
ヒントはリンゴらしい。
腕組みして射抜くような視線を向けて来る冷蔵子さんを前にして考える。
切り刻まれたこのリンゴは、果たしてどの部分まで集まれば一つのリンゴと言えるのだろうか?
なるほど、分かって来たぞ。つまり冷蔵子さんが提起した問題は――、
「ずばり心の問題、だね?」
「……ハズレでは無いんだけれど、何だか貴方の顔を見ていると、ハズレている気がするわ」
失敬な。
人の顔を見てハズレ判定って、何気に結構酷い話じゃないか?
しかし、心の問題ねぇ……。
自分で言って何だけど、幅が広いなぁ……。
待てよ? そうか、そういう事か……!
無駄だと思った思考が、まさか正解に限りなく近いとは。
そうなると、二人はそういう気持ちを抱いているって事か。
「分かったよ、答え」
自信満々に答える僕に、冷蔵子さんは疑るような目を向けた。
「一応聞くわよ。多分ハズレだと思うけれど」
「ふふ、果たしてそれはどうかな?」
やはり自信を崩さないまま、僕は言った。
「ずばり、愛の話だね」
言葉を発した瞬間、部屋の中の時間が凍りついたように思えた。
酷くざらついた緊張感を肌で感じながら、言葉を続ける。
「違うかな?」
「……続けなさいよ」
真剣な表情で僕を見る冷蔵子さん。
緊張した面持ちで僕を見つめる先輩。
そして面白がるような顔の風の王を視界の中に収めながら、回答を続けた。
「二人が僕に怒る理由も分かった。つまり君と先輩は、そういう思いを抱いているって事だろう?」
「それに対して、貴方はどう思っているのかしら?」
「……僕だけでは決められないと思っている」
正直に告げた僕に対し、冷蔵子さんは冷笑を浮かべた。
「あらあら、どうしてかしら? 優柔不断な事ね」
「確かにそうかもしれない。でも、両親の同意を得る必要があると思うんだ」
「そんなに家が怖いのかしら?」
「……自分で勝手に決めれるほど、子供じゃないだけさ」
その言葉は半分は本当で、半分は嘘だった。
真っ直ぐな気持ちを向けて来る冷蔵子さんから、視線を逸らしてしまう。
本当は怖かった。彼女達ほど純粋な気持ちが持て無いから、その視線が怖かった。
「私たちには色んなしがらみがあるよ。でもね、少年。少年の気持ちはどうなの?」
先輩の声はどこか優しく、それがかえって僕を惨めにさせる。
敗北したような気持ちを抱えたまま、呻くように言葉を返す。
「僕は……正直言って、分かりません」
「そう……」
「分かってるんです。決めなきゃいけないって事は。でも僕は、まだ先輩達ほど強い気持ちを持つ事が出来ないんです……!」
不甲斐ない自分が悔しい。
グッと拳を握り締めながら、慟哭するように言った。
「今の時代、臓器移植に対して僕らも態度を明確にするべきでしょう。何故なら、脳死になった後では意思表示なんて出来ませんからね……!」
「ちょっと待ちなさいよ」
「え?」
「なんで急に臓器移植の話になるのかしら?」
冷蔵子さんが疑問をぶつけて来る意味が分からない。
僕はきょとんとしながら答えた。
「なんでって、ドナー登録の話でしょ? 君と先輩はドナー登録してて、まだ登録してない僕が憎いんだと……」
「な・ん・で、リンゴからドナー登録の話になるのよ!?」
「何故って、そりゃ……話すと長くなるよ? まず心が脳と心臓のどちらにあるのかって話しから……、」
「どんな心の問題よっ!? やっぱりハズレてるじゃないの!!」
僕の言葉を遮るようにして冷蔵子さんは叫んだ。
むう。ハズレだったのか。
それならそうと早く言って欲しいよなぁ。
ドナー登録で真剣に悩んだこっちがバカみたいじゃないか。
むっつりと押し黙る僕の目に、ほっと息を吐く先輩の姿が見えた。
冷蔵子さんは相変わらず怒っている。
風の王はと言えば、リンゴを刺した爪楊枝を持ちながら笑っていた。
「キミ、やっぱりバカだね」
何故か嬉しそうに言う風の王。
そんな彼女の指摘に、真剣に悩み出す僕だった。
恥ずかしげも無く自分の事を『風の王』と自称する人にまでバカにされ。
果たして僕は何処に進むべきか? とりあえず齧ったリンゴは、美味しかった。