106日目 限りなくゼロの可能性
「先輩、これは一体どういう儀式でしょうか?」
一言で説明すれば僕は縛られていた。
座ったままの姿勢でイスごとロープで縛り上げられている。
そして目の前の机の上には真っ白なハリセン。
果たしてこれから僕の身に何が起きるのか!? 乞うご期待!
……なんて言ってる場合じゃねえ!?
なにコレ!?
どこの部族の儀式なんだ!?
そしてロープはどこから出て来たんだ!?
「少年はこれから真人間になるんだよ?」
「いわゆるスパルタ式ね」
当たり前のように言う先輩と冷蔵子さん。
彼女達の目は何故か笑っていなかった。
僕はタラリと汗を流しながら、確認するように訊いた。
「この際、縛り上げられた事は問いません。そのハリセンは……僕をはたく為にあるんですよね?」
「その通りだよ少年」
何故か胸を張る先輩。
どこか自慢するように目を閉じながら説明を始める。
「これから少年に向かって素敵な恋人同士の会話をします。回答に失敗したら、その時はハリセンアタックどーん!」
「あなたが真面目に答えれればセーフよ。簡単でしょう?」
捕捉するように言う冷蔵子さん。
なんだか良く分からないけど、どうやら僕はハリセンでアタックされる運命にあるらしい。
ちらりとハリセンの白い輝きを見つめる。
これなら叩かれてもダメージは低そうだ。
そして今度は冷蔵子さんを見る。
大丈夫、彼女は腕力は対して無い。
例えハリセンを持ったとしても、ハリセンを握った美少女になるだけ。
僕が恐れる要素はどこにも無いだろう。
最後に先輩を見た。
朗らかな笑みを浮かべる先輩。
一見してただの天然お姉さんだが、現在僕が最も警戒しなければならない相手だった。
握力が軽く人類の限界を超えている先輩。
エアーソードで人体切断を可能とする彼女が持てば、ハリセンですら凶器となり得るだろう。
僕はそっとロープの縛り具合を確認した。
ガッチガチやん。ヤバイ、抜けられない。逃げられねえわコレ。
そう判断するが早いか、僕の口は生き残りをかけた舌戦へと向かっていた。
「た、タイム! ルールが曖昧過ぎるんじゃないかな!? もっと詳しく決めるべきだと思うよ!」
「どこが難しいのよ。簡単じゃない。私と先輩さんが交互にあなたに会話をするから、あなたは真面目に答えれば良いだけよ」
面倒臭そうに答える冷蔵子さん。
おさげみたいにしている自分の髪を、くるくると指に巻きつけている。
そんな彼女に向かって僕は吼えるように言った。
「真面目かどうかってのは誰が判断するのさ!? それに、僕に与えられるのは罰ゲームだけじゃないか! こんな不公平なゲームは成立しないよ!」
そう、このゲームのルールは彼女達に有利すぎた。
ゲームとしては確かに簡単な物だ。
彼女達が質問し、それに対して僕が答えれば良いだけ。
そしてそれはクイズでは無く、単に僕の返答の真面目度を測るものだろう。
しかし一体誰が僕の回答を判定するのか?
恐らくは設問者である彼女達自身だろう。
つまり彼女達の気分次第で僕の勝ち負けが決まるのだ。
まさにイカサマとも言える状況だ。
それに、ゲームに勝っても僕が得る物が無い。
負ければハリセンアタック。それだけだ。
さらにそこに先輩が入る事で、罰のデス度が一気に急上昇。
明らかに公平性を欠くこのデスゲーム。
勝利への条理も道理も見出せない!
狂気の沙汰からシャケのように逃れようとする僕。
そんな僕に無慈悲な声がかけられた。
「何を言ってるのかしら? これはゲームじゃなくてリハビリよ?」
「少年はお遊び気分が抜けないねー」
――そうか!
僕は冷えた方程式を理解するように気付いた。
そう、これはゲームじゃない。処刑だ。
このイスに縛られた時点で僕の運命は決していたのである。
時に残酷な現実を前にして。
僕はふっ、とニヒルに笑った。
「放せー! クソッ、こんな事が許されてたまるか! 捕虜への虐待はノー! 国境無き記者団、助けてー!」
「もう。またバカな事を言って。さっさと始めましょうかしら?」
「そうだねー。少年がこれ以上手遅れにならないようにね」
月の女神のように冷たく告げる先輩と冷蔵子さんを前に。
僕は囚われた鹿のように、いつまでもジタバタと足を動かしていた。
「じゃあ私から行くよー!」
先輩が元気良く言った。
僕の傍らにはハリセンを持った冷蔵子さんが立つ。
どうやら先輩の会話の時には冷蔵子さんが、冷蔵子さんの時は先輩がハリセンを持つようだ。
上機嫌な先輩は、深い色をした瞳で僕を見据える。
そしてズビシと指を突きつけながら訊いてきた。
「今日の私は普段と違います! さあどこが違うでしょうか!」
むふふん、と口を閉じる先輩。
縛られた僕、指を突きつける先輩、ハリセンを持つ冷蔵子さん。
僕達はそのままの姿勢で固まり、部屋の中は静まり返る。
いくら待ってもそれ以上の会話は無かった。
……はっ?
ちょっと待って、ノーヒント!?
何のヒントも無しに、訳の分からない間違い探しっすか!?
慌てて僕は叫んだ。
「ヒント無しですか!? それはちょっと無理ですよ!」
瞬間、僕の目の前にハリセンが振り下ろされる。
机の上を叩くハリセンの音にビビる僕に、冷蔵子さんが無慈悲に言う。
「これは恋人同士の会話なのよ? それを踏まえて会話してちょうだい。今のはセーフにしてあげるけれど、次からはアウトよ?」
「て、手厳しい……!」
予想以上に困難なルールに涙を堪える僕。
泣いたって逃げられない。
歯を食い縛って頑張るしかない……!
いつもの先輩と違う部分を血眼になって探した。
まず服装だけど、うちの学園は私服では無く基本的に制服着用だ。
まさか制服が違うって訳は無いだろう。
次にアクセサリーの類を疑った。
しかしこれも可能性は薄い。
校則がその手の事に厳しいし、何より先輩はアクセサリーを好まない。
特に金属製の物はかなり苦手だと知っている。
たまに自然素材っぽい物を付けてる時もあるけど、今日は見あたら無かった。
ぐぬぬ……!?
一体どこが違うと言うのだ……!?
「はい、あと五秒」
「ええっ!?」
突然タイムリミットを切られて僕は慌てて冷蔵子さんを見た。
冷蔵子さんは淡々と秒読みしていく。
ええい、ままよ!
決心すると、僕は震える声で叫んだ。
「か、体のキレが普段より良い! そうでしょう、先輩!?」
「ブッブー!」
先輩の否定と共に、冷蔵子さんはハリセンを振るった。
頭に縦にでは無い。横っ面をはたくように、僕の左頬を一閃する。
その叩き方は完全にサディストのやり口だった。
「痛い! マジで口の中切った!」
「耐えるのよヘレン! これは愛のムチよ!」
痛がる僕を尻目に、完全にサリヴァン先生の気分に浸る冷蔵子さん。
盲目かつ難聴のヘレン・ケラーは確かに触覚を頼りに言語に目覚めたが、果たして心のリハビリにそれは必要だろうか!?
様々な疑念を抱えつつ。
とりあえずは正解を訊いておくか……。
僕は傷口から広がる鉄の味を感じながら先輩に視線を向けた。
「ちなみに正解は何だったんですか?」
「もう、少年なら気付いてくれると思ったのになあ。ほら、髪の毛のシャギーを普段よりも鋭くしてるんだよ」
「ソ、ソウデスカー……。」
憮然として答える先輩に、おざなりな返事を返しながら。
改めて正答の望みを薄くする僕だった。