僕の世界が変わった日 03
「お姉ちゃんありがとう」
コンビニの外に備えつけてあるベンチに子ども二人を座らせて、姫宮は温かいココアを渡してやった。
泣いていたはずの子どもは少しだけ目尻に涙を残しながらも微笑んで礼を言う。もう一人は黙ったままココアの缶を握っていた。
二人の子どもは高瀬と名乗った。双子らしく、泣いていた方が兄の由紀【ゆき】、黙りこんでいる方が弟の那智【なち】。
二人は近くで働いている歳の離れた兄をびっくりさせようと、歩いて迎えにきたらしい。あとちょっとというところで不良に絡まれたのだそうだ。
姫宮は痛んできた頭に手をやった。二人は柔らかそうな栗色の髪と大きな深い青の瞳。思い当たる人物が頭の中で高笑いしている。まさかとは思いつつ聞いてみた。
「えーっと……お兄ちゃんの名前ってさ」
「蓮【れん】だよ。お花の名前なの!」
やっぱりうちの馬鹿社長の事で。姫宮は大きなため息をついた。
高瀬を驚かせようとしたらしい二人はきっと高瀬には何も連絡をしていないのだろう。ではもし、姫宮がここへ来るのが遅かったなら。絡んできたのが少し知恵のある不良であったなら。二人はいい金蔓としてどこかへ連れて行かれていたかもしれない。
高瀬グループは全国に拡大している大企業の一つだ。その御曹司となれば身代金は想像を超える額が請求できるはずだ。二人の冒険心もわかるが、二人はきっと自分たちが危険であった事に気づいていない。そうなれば、また同じような事が起こるかもしれない。
姫宮はまた大きなため息をついた。二人は呑気に足をぶらつかせながらココアを飲んでいる。ここにいつまでもじっとしているわけにはいかない。
ちらりとコンビニ内を確認すると、客の姿はなかった。レジにいるスタッフに店番を頼み、姫宮は二人を連れてカフェへ向かった。
「もうちょっとで着くの?」
「着くよ。高瀬もきっと待ってる」
「ホント? 兄サマに会いたいなあ」
道中、二人に夜出歩くことの危険さを教えた。もしものことがあったらどうするのかと。高瀬を心配させたくないなら止めておけと諭す。由紀は素直に頷いたけれど、那智はむっつりと押し黙っていた。
ふと姫宮は那智を見つめた。由紀は人懐っこい性格のようで姫宮と完全に打ち解けている。しかし那智はずっと黙ったまま、時おり姫宮を睨んでいた。今も、危ないからと手をつないでいるのは由紀だけで、那智は姫宮から少し離れて歩いていた。
何かしたかな、と思いつつ那智の手を繋ごうと手を伸ばす。けれど姫宮の手は乱暴に叩かれた。
「触るなブス!」
睨みながら言われた台詞に驚いた。もしかしなくても、相当嫌われている。叩かれた手が痛い。姫宮は子ども好きなだけに、今のはちょっと傷ついた。
内心落ち込んでいると、那智の反対側で手をつないでいた由紀がこら、と声をあげた。
「那智、何でそんな事言うの! お姉ちゃんに謝って!」
「由紀、オレはっ!」
双子の兄からいきなり怒られて、那智が反論しようと口を開く。けれど由紀は目をつり上げて反論を許さないように言葉を続けた。
「お姉ちゃんはさっき助けてくれたでしょ! ちゃんとお礼言って謝って!」
「…………っ」
その言葉を聞いた那智は苦しそうに顔を歪めた。そのまま何も言わずそっぽを向く。那智、と咎めるように由紀が声をかけるが反応しない。
姫宮は諦めて、由紀に気にしていないと伝えた。かわりに由紀がごめんねと謝ってくれる。由紀の優しさで心が暖かくなった。
ちらりと那智を見ると、那智も悔しそうではあるが姫宮を睨んでいた。その目がなんだか拗ねている色があったので、ふと姫宮は思い当たる。先ほど馬鹿共に囲まれていたとき、由紀は那智にすがり、那智は由紀を守ろうとしていた。つまり、そういうことなのだろう。
「そっか、那智は由紀を自分で守りたかったんだね」
「っ、ちが……!」
「あたしがあいつら追っ払っちゃったから、由紀を守りきれなかった。それが悔しかったんだね」
ぽんぽんと頭を撫でてやると那智は顔を真っ赤にして嫌がった。違うんだからな、と叫んでいるが、きっと姫宮の考えは外れていない。由紀も笑いながらいつもありがとうと口にして、ようやく那智の機嫌が治った。
それから二人が高瀬を迎えにきた理由を話してくれた。最近、高瀬がほとんど家に帰って来ないらしい。両親を事故で亡くしていたため、頼れるのは兄の高瀬だけ。その高瀬も最近仕事が忙しいようでなかなか家に帰ってこない。
朝起きるとき、学校から帰ったとき、晩御飯を食べるとき、眠るとき。いつも高瀬は側にいてくれたのだそうだ。二人が不安にならないように。けれど最近はそれが無い。
仕事だから仕方がないとわかっていても、感情がついていかない。寂しいのだ。そして二人は忙しい高瀬に一目会おうと迎えにきたのだと。
それを聞いて姫宮の眉間に皺が寄る。馬鹿社長に会ったら絶対文句を言ってやらなければ気がすまない。あのワーカーホリックめと頭の中で高笑いする馬鹿を殴りつけた。
この角を曲がればカフェに着く。そう二人に教えてやろうと口を開いた瞬間、突然闇の中から黒服を着た男たちが複数現れた。突然囲まれてしまったので、じりじりと壁際を背にし、二人を背中に隠す。
「あれぇ、逢坂?」
けれど姫宮の後ろからひょこりと頭を出した由紀が一人の黒服を指差した。誰だか聞くと、家で雇っているボディーガードだという。家から消えた二人を探しにきたのだろう。とりあえず警戒を解いた。すると黒服の後ろから最近聞き慣れた声が聞こえた。
「貴様、俺の弟たちを拐ってどうするつもりだ。目的は何だ、金か?」
お得意の靴音を高らかに響かせて高瀬が現れた。背中に隠していた双子は、嬉しそうに彼のもとへ駆けていく。両手を広げて、優しげな顔で二人を抱きしめたかと思うと、姫宮に冷たく鋭い瞳を向けた。
「……誰が、何だって?」
怒りで声が震えた。この馬鹿はさっき何て言った。姫宮が、二人を、
「高瀬グループの金が目的だったのだろう? 親が離婚し、貴様を引き取った父親は金遣いが荒く、複数の金融会社から多額の借金があるらしいな。貴様は高校に入って更正したというが、機会を伺っていただけなのではないのか? ふん、こんな真似をしなくても金ならばやる。持っていけ」
なぜ個人情報を知ってるのかと疑問に思ったが、ばさりと札束を足元に投げられて思考が止まった。握りしめた拳が震える。ぷつりと爪が手のひらに食い込んで生ぬるい液が流れたけれど、どうでもいい。
由紀が、違うのだと説明をしようとしても高瀬は聞く耳を持たない。絶対零度の瞳を細めて吐き捨てた。
「所詮、薄汚い野良猫か」
姫宮の頭は怒りで真っ白に染まった。
黒服たちを流れるように避け、渾身の力を込めて高瀬を殴る。骨と骨のぶつかる音が響いた。同時に高瀬が地面に倒れ込む。黒服たちが慌てて姫宮を取り押さえようとしたけれど、姫宮の一睨みで動きが止まった。
高瀬はまわる視界を取り払おうと頭を振って、姫宮を見上げた。姫宮は月を背に受けていて、逆光で表情がよくわからない。けれど頬に光る何かを見つけて、高瀬は目を見開いた。
「もういい」
その場にぽつりと一言だけ残し、姫宮は踵を返した。後ろから由紀と那智の止める声が響くが、姫宮は止まらない。ただ、闇に紛れて消えた。