その瞳に映るものは
藤村シシン講座第4回課題で書いた作品です。
pixivにも投稿しています。
「テーマ」
テルモスのアポロン神殿。そこにどんな神を見たか?
西暦xxxx年。
私はテルモスのアポロン神殿前に立っていた。
ここを訪れるのは長年の夢だった。
私の、そして…。
2020年代…日本では令和と呼ばれた時代。
その頃に特殊な樹脂が開発された。
これは非常に薄く透明で、傷がついても元に戻る自己修復機能まで備えている。
国連は、この技術を世界遺産の保存に使用することを決めた。
世界遺産を初めとして、著名な建造物や遺跡は次々と樹脂でコーティングされた。
おそらく、今後地球全体で最終戦争が起こって街が瓦礫になったとしても、遺跡群はそのままの形で立ち続けるだろう。
遺跡を擁する国々は、この施策によって遺跡を修復する必要がなくなり、それにかけていた予算を研究のために活用できるようになった。
そして発展したのがVRとの融合である。
VR技術も2020年代以降急速に発展した。
形や色だけではなく温度や触感までリアルに再現できる。
遺跡の保存技術や進んだ研究成果と組み合わせることで、崩れた遺跡に重ねて往時の姿を再現できるようになったのだ。
以前は遺跡見学といえば張り巡らされたロープの外側から眺めるだけだった。
今は遺跡の内部に入り、手で触れて楽しむことができる。
古代ギリシャ人の気持ちになって体験することができるのだ。文献や彫刻などの資料では寄り添えない古代人の気持ちを追体験する。これによって様々な視点からの古代解釈が盛んに議論され、研究の裾野は広がり、古代をテーマにした多くの文学や絵画、エンターテインメントなどが新たに生まれた。
技術の進歩が古代に対する理解や興味の世界を大きく拡げたといっていいだろう。
「さて…と」
私はスマートグラスのスイッチを入れた。
サイズが少し大きいので、手で押さえなければならない。
小さな起動音とともに、礎石だけが残っていた神殿跡に、次の瞬間壮大な神殿が出現していた。
「おお…すごいね」
スマートグラスを少しずらすと石だけの荒地。グラスを直すと古代ギリシャ。
その差が面白くて、何度も繰り返した。
ひとしきり時代のギャップを堪能してから、もう一度スマートグラスを深くかけ直す。
目の前にそびえるテルモスのアポロン神殿。
紀元前7世紀頃のものとみられるごく初期の神殿で、メトープが彫刻ではなくテラコッタでできているところが変わっている。
テラコッタは鮮やかな色で彩られ、欠けていた部分も修復されている。
「ケリドン」
その部分を注視すると、目の前に解説文が浮かんでくる。
つい、と目の前を幻影の鳥が通り過ぎていった。美しい鳴き声も聞こえる。
ケリドンというのは鳥になった女性の名前だ。
姉の夫に強姦され、告発できないように舌を切られ、更には奴隷の身に落とされて姉に仕えることを強要された。
ケリドンは智慧を絞って姉に窮状を訴え、姉妹は協力して男に復讐を果たし、その後鳥に変わった、と言う話である。
ケリドンから逆方向に目を向けると、そこにはギョロッとした瞳に舌を大きく出した女怪、ゴルゴンがいる。
舌を切られたケリドンの隣に舌をむき出しにしたゴルゴンを飾るとはなんとも悪趣味な気がするが、古代人はこれを見て思うところがあったのであろう。
ゴルゴンの横にはギリシャ神話の名だたる怪物や魔女が並ぶ。
何故神殿にそんな恐ろしいものが飾られているのか。
お前を無条件に受け入れはしない。
ここは神域。軽々しく足を踏み入れる場所ではない。
相応の覚悟を持って扉をくぐれと、そう無言で語りかけているかのようだ。
ゴルゴンの目を見た者は石となる。
それは恐怖ではあるが救いでもある。
見たくもない恐ろしい現実を見なくても良いのだから。
しかし、ケリドンの姉は真実を見せつけられた。
石になることも出来ない参拝者は目を逸らさずに直視するしかない。
ーーーー現実を。
「…」
大きく息を吐いて、私は足を踏み出した。
幻影の扉が音を立てて開く。
覚悟はできたか。
さあ、偉大なる神の顕現に備えよ、と。
中は薄暗い。
神殿に窓はなく、遠くに仄かな灯りが見えるだけ。
そこにこの神殿の本尊、アポロン像が安置されているはずだ。
闇のなかで唯一光る存在。
一歩また一歩と私は神に近づいてゆく。
最奥までたどり着いて、私は神と相対した。
「ああ…」
口からこぼれ落ちるのは感嘆の吐息のみ。
古代人もそうだったのか。
神はそこにいた。
博物館で見るような、典型的なダイダロス様式。
大きさは成人男性と変わらぬくらいで直立した体、うっすらと口角を上げたアルカイックスマイル。
ここまで脅しをかけておきながら、呆気ないほどに…「普通」だった。
だが、そうなのだ。
これが、これこそが神の姿なのだ。
神は人に手を差し伸べない。その必要はない。
神は人に向かって歩み寄りはしない。側に来て欲しいなどとは不敬である。
人に微笑んでいるわけではない。ただ「在る」だけだ。
どうだ、恐ろしいか、などと問う必要もない。
神は人の事など何とも思っていないのだから。
そんな当たり前の事を当たり前に自覚させられる。
それがこの神殿。
私はスマートグラスをそっと外した。
仄暗い神殿は消え去り、太陽の光の下、何も残らない神殿の石組みだけがそこにある。
真実を見る覚悟はあるか、とケリドンは問い掛けた。
私は小さく頷く。
これが真実。これが現実。
神はもうここにはいない。
けれどあの瞬間、確かに私はアポロン神と相対した。
何も語らない、何も強制しない真の神と。
涙が一筋、頬を伝う。
「ああ、これでやっと…」
ようやく現実を受け入れて前へ進むことが出来る。
私は、形見のスマートグラスをそっとケースにしまった。




