第7話 人間からのスパイ潜入。即処刑せず、ホワイト待遇で「逆洗脳」します
慰安旅行から戻った翌日。
魔王城の執務室に、緊張した面持ちの少女が立っていた。
「失礼いたします。新しいお茶をお持ちしました……」
震える手でティーセットを運んできたのは、昨日採用したばかりの新人メイド、リズだ。
栗色の髪を三つ編みにした、地味で大人しそうな少女。年齢は十五、六歳といったところか。
彼女がカップを、魔王ガルデ様の前に置く。
カチャリ。
ソーサーが微かに音を立てた。
(……入れましたね)
私は書類に目を落としたまま、眼鏡の奥で光る文字を確認する。
スキル【詳細鑑定】起動。
『対象:アールグレイティー』
『状態:毒物混入(遅効性麻痺毒)』
『品質:下』
毒だ。
それも、人間なら三日は動けなくなる代物。
もっとも、状態異常耐性がカンストしている魔王様には、ちょっと舌が痺れるスパイス程度しか効かないけれど。
「……ミリア。この茶、香りがいつもと違うな」
ガルデ様が鼻をひくつかせた。
さすが野生の勘。
リズの肩がビクッと跳ねる。
顔面蒼白だ。今にも心臓が飛び出しそうになっている。
「ええ、ボス。それは新人ちゃんが淹れた『特別ブレンド』ですから」
私は顔色一つ変えずに答えた。
「毒消し草……じゃなくて、ハーブがたっぷり入っているそうです。疲労回復にいいとか」
「ほう。気が利くな」
ガルデ様は疑いもせず、カップを口に運ぼうとする。
「あ、あのっ!」
リズが叫んだ。
「ど、どうかしましたか?」
「い、いえ……その、熱いので、お気をつけください……!」
リズは絞り出すように言って、俯いた。
良心が痛んでいるらしい。
根っからの悪人ではない証拠だ。
ガルデ様は一口啜ると、「うん、少しピリッとするが悪くない」と微笑んだ。
「リズと言ったか。ご苦労だったな。下がって休むといい」
「は、はい……失礼します……!」
リズは逃げるように部屋を出ていった。
パタン、と扉が閉まる。
私はペンを置き、大きく息を吐いた。
「……ボス。全部飲まないでくださいよ。お腹壊しますよ」
「ん? どういうことだ?」
「それ、毒入りです」
「ぶふぉっ!?」
ガルデ様が盛大にお茶を吹き出した。
「な、なぜ早く言わない! というか、毒入りを俺に飲ませたのか!?」
「致死性の猛毒なら止めますけど、その程度ならスパイスでしょう? それに、泳がせておかないと情報が取れませんから」
私はハンカチで机を拭きながら、冷徹に説明した。
リズ。
採用面接の時点で、【詳細鑑定】により正体は割れている。
聖法神国の裏組織、教会の暗殺養成機関から送り込まれたスパイだ。
本来なら即処刑だが、私は彼女を採用した。
理由は二つ。
一つは、人間界の情報を得るため。
もう一つは――私の教育方針(ホワイト化)の実践テストだ。
「少し席を外します。……そろそろ、精神的に限界でしょうから」
私はリズが向かった給湯室へと足を向けた。
◇
給湯室の前まで来ると、中からすすり泣く声が聞こえてきた。
「うぅ……なんで……」
私はノックもせずに扉を開けた。
「お疲れ様です、リズさん」
「ひっ!?」
リズが飛び上がり、背中に隠していた小瓶を落としそうになる。
その顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「ミ、ミリア様……こ、これは……」
「毒の小瓶ですね。回収します」
私は彼女の手から瓶を取り上げ、流し台に捨てた。
そして、用意していた書類を突きつける。
「それよりも、これ。書いてください」
「……え? こ、これ……自白書、ですか……?」
リズが震える手で紙を受け取る。
そこに書かれていた文字を見て、彼女は目を丸くした。
「『有給休暇申請書』……?」
「はい。あなたは昨日から働き詰めです。労働基準法に基づき、半日の休暇を与えます」
「は、はぁ……?」
リズが口をパクパクさせている。
理解できないのも無理はない。教会の暗部では「死ぬまで働け」が常識だったはずだから。
「あと、これも。『雇用契約書』。正式採用の手続きです」
「え、でも、私……毒を……魔王様を殺そうと……」
「失敗しましたけどね。魔王様はピンピンしてます」
私は腕を組み、壁に寄りかかった。
「リズさん。ここの賄い(まかない)、美味しかったでしょう?」
「……っ」
彼女の瞳が揺れる。
昨日の夜、ゴブリンシェフが作ったクリームシチューを食べた時、彼女は目を輝かせて完食していた。
「寝具はふかふかでしたか? 先輩のオークたちに怒鳴られましたか?」
「……いいえ。みんな、優しくて……重い荷物を持ってくれて……『可愛い新入りだ』って、お菓子をくれて……」
リズの目から、また涙が溢れ出した。
「教会の施設では、失敗したら鞭で打たれました。ご飯も、カビたパンだけでした。……なのに、どうして魔族のここが、こんなに温かいんですか……!」
彼女はその場に崩れ落ちた。
価値観の崩壊だ。
「魔族は悪、人間は正義」と教え込まれてきた少女にとって、このホワイトな職場環境は、どんな拷問よりも効果的な「逆洗脳」になる。
私はしゃがみ込み、彼女の頭を撫でた。
「ここは実力主義です。でも、それは『弱者を切り捨てる』という意味じゃありません。『誰もが能力を発揮できる場所を作る』ということです」
私はハンカチで彼女の涙を拭う。
「リズさん。あなたの『気配を消すスキル』や『毒の知識』は、素晴らしい才能です。それを人殺しに使うより、ここの警備やお茶くみに使いませんか? 給料は教会の十倍出しますよ」
「じゅ、十倍……」
「あと、週休二日制です」
「……裏切り者として、殺されませんか?」
「私が守ります。魔王様の名にかけて」
リズが顔を上げた。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「……話します。教会のこと、聖女様の計画……全部」
陥落だ。
チョロい、とは言わないでおこう。
これは正当なヘッドハンティングだ。
◇
三十分後。
執務室に戻った私は、リズから聞き出した情報をガルデ様に報告した。
「……なるほど。聖女ルミナは、逆ギレして進軍を決めたか」
ガルデ様が険しい顔で腕を組む。
リズの情報によると、聖女ルミナは自身の失態(食料不足)を隠蔽するため、「魔王が呪いで食料を腐らせた」というデマを流布したらしい。
そして、疲弊した騎士団を無理やりまとめ上げ、魔王城への総攻撃を命じたという。
「兵力は五千。ただし、士気は最悪。食料の備蓄は二日分しかありません」
私は淡々と付け加えた。
自殺行為だ。
兵士たちを殺す気か。
「ミリア。迎え撃つか?」
ガルデ様の瞳に、王としての鋭い光が宿る。
リズが怯えて私の背中に隠れた。
「ええ。迎え撃ちましょう」
私はニヤリと笑った。
「ただし、剣も魔法も使いません。……準備しておいた『最強の兵器』を使います」
「兵器?」
「はい。ボス、土木課と調理課に総動員をかけてください。城門の前に、特設会場を作ります」
私は手帳を開き、作戦名を書いた。
――『魔王城秋の大感謝祭・炊き出し作戦』。
「腹ペコの騎士たちに、私たちの自慢のホワイト待遇を骨の髄まで味わわせてやりましょう。……剣を握る気力もなくなるくらい、トロトロにね」
ガルデ様が、呆れたように、でも頼もしそうに笑った。
「君を敵に回さなくてよかったよ。……よし、総員配置につけ! これより、最大の防衛戦を開始する!」
さあ、戦争だ。
血を一滴も流さない、食欲と尊厳をかけた戦いが始まる。




