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聖女のパワハラに耐えかねて魔王軍に転職しました。  作者: 秋月 もみじ


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第5話 ミリアがいなくなって一週間。聖女様の補給計画が崩壊を始める


「……ボス。これは何ですか?」


 午後三時。魔王城の執務室。

 私はティーカップを片手に、テーブルの上に置かれた巨大な水晶玉を覗き込んだ。


 そこには、見覚えのある荒野の風景が映し出されている。

 私が一週間前まで働いていた場所――聖法神国セレスティアの最前線基地だ。


「『遠見の水晶』だ。国境付近の様子を監視するための魔道具だな」


 向かいの席で、魔王ガルデ様が焼き菓子を齧りながら答えた。

 すっかり健康体になった彼は、ここ数日、私の淹れるお茶と「おやつ休憩」を何よりも楽しみにしている。


「敵情視察ですか。感心ですね」


「いや……君が気にしているかと思ってな。古巣の様子を」


 ガルデ様が少しバツが悪そうに視線を逸らす。

 気遣いのつもりらしい。

 確かに、私が突然いなくなって現場がどうなっているか、気にならないと言えば嘘になる。


「では、拝見します」


 私は眼鏡の位置を直し、水晶の映像に集中した。

 解像度は高い。音声もしっかり聞こえる。


 映っているのは、騎士団の食堂テントだ。

 ちょうど昼食の時間らしい。


 だが、様子がおかしい。


『……おい、これだけか?』


 映像の中で、一人の若い騎士が皿を見つめて呟いた。

 皿の上に乗っているのは、石のように硬そうな黒パンが一切れと、具のない薄いスープのみ。


『ふざけるな! 俺たちは昨日からまともに食ってないんだぞ!』

『補給はどうなってるんだ! ミリア事務官がいた頃は、肉も野菜もあったじゃないか!』


 騎士たちが騒ぎ始める。

 当然だ。

 彼らは重装備で一日中魔獣と戦っている。こんな食事ではカロリーが足りず、立っていることさえままならないはずだ。


 そこへ、テントの幕が開いて「あの人」が入ってきた。


『静かになさい! 食事中に騒ぐなんて、神への冒涜ですぅ!』


 聖女ルミナ様だ。

 相変わらず純白のドレスは汚れ一つなく、キラキラとした光のエフェクトを背負っている。

 その背後には、困り果てた顔の騎士団長ヴァルドロが控えていた。


『聖女様! 兵たちの不満は限界です。至急、王都へ追加の食料要請を……』


『必要ありません!』


 ルミナ様が金切り声を上げた。


『パンがないなら、祈ればいいじゃないですか! あなたたちの信仰心が足りないから、お腹が減るんです! 光の加護があれば、空気だけで生きていけるはずです!』


 ……出た。

 彼女の得意技、「精神論による現実逃避」だ。


 水晶越しの私は、冷めた紅茶を一口啜った。


「やっぱり、何もわかっていませんね」


「……人間というのは、空気を食って生きられるのか?」


 ガルデ様が真顔で聞いてくる。


「無理です。あれはただのブラック上司の妄言です。……見てください、騎士団長の顔を」


 映像の中のヴァルドロ団長は、怒りで顔を真っ赤にしていた。


『ふざけるな! 兵は人間だ! 霞を食って戦えるか! ……おい、補給部隊! 商人ギルドからの搬入はどうなっている!?』


 呼ばれた補給兵が、青ざめた顔で報告する。


『そ、それが……どの商会も、取引を拒否しています』


『なんだと!?』


『商人たちは口を揃えてこう言っています。「ミリア様のサインがない注文書は紙屑だ」と……』


 その言葉に、私はほう、と息を吐いた。

 

 やっぱりそうなったか。


「どういうことだ、ミリア?」


 ガルデ様が首を傾げる。


「簡単な理屈です。教会の支払いはいつも遅延していました。だから私は、実家の名前と私個人の信用を担保にして、商人たちと『後払い契約』を結んでいたんです」


 私が土下座する勢いで頼み込み、納期を守り、時には自腹で利子を払って築き上げた信頼関係。

 それが、私の「ミリア・リーゼンバーグ」というサインだ。


「私が解雇された今、その担保はありません。商人が『金が払われないリスク』を恐れて逃げるのは、経済活動として当然の結果です」


「……なるほど。君一人の信用で、軍が回っていたわけか」


「それを『雑用』と呼んで切り捨てたのが、あの聖女様です」


 映像の中では、ルミナ様が顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいた。


『なによ、なによ! あの地味な女がいないくらいで! 商人なんて、異端審問にかければ言うことを聞きますぅ!』


『やめろ! そんなことをすれば、国の流通が死ぬぞ!』


 ヴァルドロ団長が止めるのも聞かず、ルミナ様は叫んだ。


『うるさいです! 文句を言う人は、みんな反逆者です! このスープが薄いのも、パンがカビているのも、全部あなたたちの心が汚れているせいです!』


 シーン、と。

 食堂テントが静まり返った。


 それは規律による静寂ではない。

 絶望と、決別による沈黙だ。


 カラン、と。

 一人の騎士が、剣を床に落とした。


『……やってられるか』


 誰かが呟いた。

 それが引き金だった。


『帰るぞ』

『こんなところで餓死してたまるか』

『母ちゃんに会いたい……』


 騎士たちが次々と席を立ち、テントを出ていく。

 脱走だ。

 軍隊における最悪の規律違反。だが、誰も止めない。止める気力もない。


『ま、待ちなさい! 逃げるんですか!? 神罰が下りますよ!?』


 ルミナ様がわめいているが、騎士たちは振り返りもしない。

 ヴァルドロ団長ですら、深く項垂れて動こうとしなかった。


 崩壊だ。

 たった一週間。

 私が必死に繋ぎ止めていた前線は、音を立てて崩れ去った。


「……ボス。もう消してください」


 私はカップを置いた。

 これ以上見る必要はない。


「いいのか? もっとこう、見下して笑うところじゃないのか?」


「笑えませんよ。……あそこには、私が育てた部下もいるんです」


 胸が痛まないと言えば嘘になる。

 だが、今の私にはどうすることもできない。

 私はもう、聖法神国の人間ではないのだから。


 水晶の映像がフッと消える。

 ガルデ様が心配そうに私を見つめていた。


「ミリア。……攻め込むか?」


「はい?」


「今なら、人間軍は崩壊寸前だ。俺たちが軍を動かせば、無血で制圧できる。そうすれば、君が気に病んでいる部下たちも救えるかもしれない」


 魔王らしい、けれど彼にしては珍しく積極的な提案だった。

 

 私は少し考えて、首を振った。


「いいえ。まだ早いです」


「なぜだ?」


「今攻め込めば、聖女は『魔族のせいで負けた』と言い訳をします。自分たちの無能を棚に上げて、悲劇のヒロインを気取るでしょう」


 私は眼鏡を指で押し上げ、冷徹な計算弾き出した。


「待つのです、ボス。彼らが完全に自滅し、自分たちの過ちを骨の髄まで理解するまで。……それに」


 私は手元にあるクッキーを一つ摘んだ。


「お腹を空かせた相手に一番効く武器は、剣ではありません」


「……では、何だ?」


「『匂い』ですよ」


 私はニヤリと笑ってみせた。

 私の再就職先(ホワイト企業)の福利厚生を見せつければ、勝負は戦う前についてしまう。


「ボス。明日は風向きが変わります。調理班に命じて、朝から大量のパンを焼かせましょう。あと、鍋いっぱいのシチューも」


「……君は、俺より悪魔的な戦術を使うな」


 ガルデ様が呆れたように、でも楽しそうに笑った。


 人間界の崩壊は始まったばかり。

 聖女様が自分の足元に火がついていることに気づくのは、もう少しかかるだろう。

 その時、彼女がどう動くか。


(……せいぜい、私を楽しませてくださいね。元・上司殿)


 私は残りの紅茶を飲み干し、午後の業務へと戻ることにした。

 今の私には、守るべき魔王ボスと、手のかかる魔物たちの生活があるのだから。


 ――しかし、私の予想よりも早く、事態は動くことになる。

 追い詰められた聖女が、「逆ギレ」という斜め上の行動に出るまでは。

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