第1話 理不尽な解雇と、最悪のダンジョンでの再就職面接
「ミリア、あなたクビですぅ! 今すぐ消えてください!」
甲高い声が、鼓膜を突き刺す。
ここは大陸西部、聖法神国セレスティアの最前線基地。
断崖絶壁の上に設けられた野営地で、私は書類の束を抱えたまま立ち尽くしていた。
目の前には、純白の聖衣をまとった少女。
この国の象徴とされる「聖女」ルミナ様だ。
彼女は頬を膨らませ、ヒステリックに叫んでいる。
「聞こえなかったんですか? 解雇です! 追放です! 私の視界に入らないでって言ってるんです!」
「……解雇、ですか。理由は?」
私は冷静に問い返す。
感情的になっても無駄だ。この人は、論理よりも気分別で動く。
「理由? そんなの決まってるじゃないですか! あなたが暗いからです!」
ルミナ様はビシッと私を指さした。
「いっつもいっつも、『予算が足りない』だの『食料配給の計画を見直せ』だの、ネチネチうるさいんです! 聖女の私が祈れば、パンなんてどうにでもなるのに!」
なりません。
兵士一千人の胃袋は、祈りでは満たされない。
先週も私が近隣の村から小麦を買い付けなければ、騎士団は餓死寸前だったはずだ。
だが、それを言っても無駄だろう。
彼女の周りには、きらきらした鎧を着た親衛隊たちが侍っている。彼らは皆、ルミナ様の信奉者だ。
「その通りだ! 地味な事務女が、聖女様に意見するなど不敬だぞ!」
「さっさと失せろ!」
騎士たちが剣の柄に手をかける。
殺気。
本気だ。
私は小さく溜息をついた。
三年。
このわがままな聖女のお守り役として、三年間、身を粉にして働いてきた。
睡眠時間は一日三時間。休日はゼロ。給料は「聖女への奉仕は名誉」という理由で最低賃金。
それが、この仕打ちか。
「わかりました。解雇、受け入れます」
私は抱えていた書類の束を、近くの木箱の上に置いた。
明日の補給計画書と、負傷兵のリストだ。
「これらは引き継ぎ資料です。騎士団長にお渡しください」
「いらないですっ!」
バサッ。
ルミナ様の手が薙ぎ払う。
私が徹夜で作った書類が、風に舞って谷底へと散っていく。
「そんな紙切れより、私の笑顔の方が兵士様たちは元気になれるんですから!」
ああ。
ぷつりと、私の中で何かが切れた音がした。
怒りではない。諦めだ。
この組織は、もう駄目だ。
「……そうですか。では、失礼いたします」
私は踵を返そうとした。
荷物をまとめて、故郷へ帰ろう。
もう二度と、教会関係の仕事には就かない。田舎で畑でも耕して暮らすのだ。
だが。
「あら? 帰していいなんて言いました?」
ルミナ様の意地悪な声。
背筋が粟立つ。
「あなたは教会の機密を知りすぎてますぅ。外で変な噂を流されたら困るんですよねぇ」
合図があった。
背後から、二人の騎士に腕を掴まれる。
「なっ……!?」
「そこ、断崖絶壁ですよね? ここ、『奈落の断絶峡』って呼ばれてるのご存じですか?」
ルミナ様がにっこりと笑う。天使のように愛らしく、悪魔のように残酷な笑顔で。
「そこに落ちれば、死体も見つからないそうです。神様の元へ行けるなんて、光栄ですね?」
「正気ですか! 正規の手続きもなく、こんな私刑がまかり通ると――」
「通りますよぉ。だって私は聖女ですもん!」
体が宙に浮く。
騎士たちが、私を崖の外へと放り投げたのだ。
「あ――」
足場が消える。
視界が反転する。
遠ざかる崖の上で、ルミナ様が手を振っているのが見えた。
「バイバーイ! 来世ではもっと愛想良く生まれてくるといいですね!」
重力が私を掴む。
風切り音が轟音となって耳を塞いだ。
死ぬ。
これは、助からない。
(……いいえ)
私は奥歯を噛み締めた。
死んでたまるか。
あんな理不尽な理由で、私の人生を終わらせてたまるか!
「スキル、【詳細鑑定】――起動!」
視界に青白い光の文字が走る。
私のユニークスキル。
本来は人事評価や在庫管理に使うものだが、今は違う。
対象:『この空間』。
――検索。生存ルート。
『警告。落下速度、致死レベル』
『検索中……検索中……』
『直下、深度八百メートルに地下水脈を探知』
『水深、十五メートル。着水角度の調整により、生存確率、四・二%』
四%。
十分だ。ゼロじゃないなら、仕事の範疇だ!
私は空中で体を捻った。
風圧で眼鏡が飛びそうになるのを片手で押さえる。
スカートがばたつかせ、ジャケットが悲鳴を上げる。
見える。
暗闇の底に、微かに光る水面が。
「魔力障壁、展開! 全魔力消費!」
なけなしの魔力を身体の周りに固める。
衝撃に備えろ。
足を揃え、垂直に。
水面が迫る。
ザッ、パァァァァァァン!!
轟音。
全身をハンマーで叩かれたような衝撃。
意識が飛びかける。
冷たい水が鼻と口に流れ込む。
(生き、てる……!)
私は必死に手足をかいた。
重い。服が水を吸って鉛のようだ。
水面に顔を出し、大きく息を吸い込む。
「かはっ、げほっ……!」
そこは、巨大な地底湖だった。
天井の裂け目から、遥か上空の光が糸のように差し込んでいる。
あそこから落ちてきたのか。
震える体を引きずり、岸辺の岩場へと這い上がる。
全身打撲。魔力枯渇。
だが、五体満足だ。
「……ざまあみろ、です」
私は濡れた髪をかき上げ、眼鏡の位置を直した。
生き延びた。
それだけで、あの聖女へのささやかな勝利だ。
一息つこうとして、気配に気づく。
静かすぎる。
地下水脈の音に混じって、重苦しい空気が漂っている。
視線を上げる。
そこには、巨大な玉座のような岩があった。
そして、そこに『誰か』が座っていた。
「……ッ」
息を呑む。
人間ではない。
巨躯だ。二メートル近くあるだろうか。
燃えるような赤い髪。額からは、ねじれた黒い角が生えている。
男だ。
彫刻のように整った顔立ちをしているが、その表情は険しい。
何より、纏っている気配が異常だ。
肌が焼けるような濃密な魔力。
一睨みされただけで心臓が止まりそうな威圧感。
反射的に【鑑定】してしまう。
『対象:ガルディア・ヴォル・ダークネス』
『種族:魔人(最上位)』
『称号:魔王』
『魔力値:測定不能(ERROR)』
魔王。
人類の敵。
おとぎ話に出てくる厄災の王。
終わった。
聖女に殺されかけて生き延びたら、今度は魔王に遭遇するなんて。
私の運命力はどうなっているんだ。
男がゆっくりと目を開けた。
黄金の瞳。
縦に割れた瞳孔が、私を捉える。
「……人間、か?」
地の底から響くような低い声。
私は恐怖で動けない。
殺される。
「う、ぅぅ……ぐっ……」
男が呻いた。
殺気が膨れ上がる。
いや、違う。
男は眉間に深い皺を寄せ、腹のあたりを強く押さえてうずくまっている。
(……え?)
私はもう一度、彼を【鑑定】した。
さっきは魔力値に驚いて見落としていた項目があるはずだ。
『状態異常:過度なストレス』
『状態異常:睡眠不足』
『状態異常:急性胃炎(激痛)』
「……胃?」
見間違いではない。
魔王の状態ステータスは真っ赤だった。
HPは満タンだが、精神疲労とストレス値がカンストしている。
あの苦悶の表情は、私への殺意ではない。
ただ単に、お腹が痛いのだ。
「ぐぅ……頭が、割れる……胃が、焼ける……」
魔王が脂汗を流しながら、玉座から崩れ落ちそうになる。
見ていられない。
事務官としての習性が、恐怖心より先に動いてしまった。
「あの、失礼します」
私は這うようにして近づいた。
男がぎろりと私を見る。
「……何だ、貴様。俺を……殺しに来たの、か……?」
「いいえ。あなたは今、それどころじゃないでしょう」
私は懐を探った。
防水加工されたポーチ。中身は無事だ。
常備薬のケースを取り出す。
「口を開けてください」
「は……?」
「いいから! 楽になりたいんでしょう!」
自分でも驚くほど強い口調が出た。
患者を前にすると強気になるのは、聖女のわがままに付き合わされて身についた悲しい性だ。
魔王は気圧されたように、わずかに口を開いた。
私はそこへ、強力な鎮痛作用のある薬草の粉末を放り込む。
続けて、水筒に残っていた水を飲ませた。
「飲み込んで。ゆっくり」
魔王が喉を鳴らす。
私は彼の背中に手を回し、さするようにして魔力を流した。
なけなしの残りカスだが、薬効を早める『促進』のイメージを送る。
数秒後。
魔王の呼吸が変わった。
荒い喘ぎが収まり、深く、静かなものになる。
眉間の皺が消えていく。
「……痛くない」
魔王が呟いた。
黄金の瞳が、驚きに見開かれている。
「嘘だろ……あんなに、響いていた、ノイズが……消えた……?」
どうやら効いたらしい。
あれは教会の秘薬だ。私の給料の三ヶ月分に相当する貴重品だが、惜しんでいる場合ではない。
私はへなへなと座り込んだ。
緊張の糸が切れた。
「はぁ……よかった。とりあえず、殺される前に治療費くらいは請求できそうですかね」
軽口を叩いてみる。
震える声で。
魔王が私を見た。
今度は、観察するような目だ。
「お前、人間だな。聖教の匂いがする」
「……元、です。さっきクビになって、ここへ捨てられました」
「クビ? 捨てられた?」
魔王がきょとんとする。
その顔は、先ほどの威圧感が嘘のように幼く見えた。
「お前のような……こんなに的確な処置ができる治癒師を、か?」
「治癒師じゃありません。ただの事務屋です」
「事務屋……?」
魔王は不思議そうに繰り返し、それから私の手をじっと見た。
大きな手だ。
その手が、私の手首を掴む。
熱い。
「……気に入った」
「はい?」
「俺の頭痛と胃痛を消したのは、貴様が初めてだ。四天王も、どの薬師も、手も足も出なかったのに」
魔王の瞳に、奇妙な光が宿る。
それは獲物を見つけた獣のような、あるいは、砂漠で水を見つけた遭難者のような光だった。
「契約だ、人間」
「け、契約?」
「ああ。俺の下で働け。衣食住は保証する。給金も弾む」
魔王は私の顔を覗き込み、切実な声で告げた。
「頼む。俺のそばにいてくれ。お前がいないと、またあの痛みが戻ってくる気がするんだ」
……プロポーズか。
文脈を知らなければ勘違いしそうな台詞だ。
でも、【鑑定】スキルには彼の本心が赤字で表示されている。
『切実な懇願』
『二度と痛いのは嫌だ』
『この薬草もっと欲しい』
私はため息をついた。
地上に戻っても、待っているのは聖女の追手と指名手配だ。
帰る場所なんてない。
目の前には、最強の魔王様(胃痛持ち)。
提示された条件は、衣食住保証。
選択肢なんて、最初からなかった。
「……その契約、福利厚生はしっかりしていますか?」
「フクリ……? なんだそれは」
「休暇と、残業代のことです。あと、美味しいご飯」
「約束する。俺の名にかけて」
魔王が即答した。
私は覚悟を決めて、彼の手を握り返す。
「交渉成立です。ミリア・リーゼンバーグ。今日からあなたの下で働かせていただきます、ボス」
こうして。
私は聖女様の元を解雇され、魔王軍の人事部長として再就職することになったのだった。
……まさか、この職場が人間界以上のブラック(物理)だとは、この時の私は知るよしもなかったけれど。




