清い世界で生きるなら
人は、死んだ瞬間の環境で、次の人生が決まるらしい。
山登りが大好きだった爺ちゃんがそう言ってた。だから屋久島の生き物は屋久島にいるまま、ずっと神聖であり続けられるんだって。
じゃあ、“前”の僕は、どんな死に方をしちゃったんだろう。
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気がついたときには学校を飛び出していて。5時間目開始のチャイムを背中で聞きながら、少しでも離れられるように、走って、走って、走っていた。
一番近い駅で、一番遠くまでいける電車に乗って、はじめてこの学校の立地に感謝した。
揺られ揺られて、ふと、5時間目はなんだったけと思う。確か、SDGsだかなんかの発表だ。僕が居なくても、滞りなく進むのだろう。それとも、僕を探して騒然としているだろうか。どっちだっていい。どうせ、僕が居なくても困る人はいないのだから。始めから発表の班にはまともに参加させてもらえてないし、先生が連絡しても、家に僕を心配する人は居ない。強いて言うなら犬のペロがいるが、もう今朝別れは告げてきた。今の僕を受け入れてくれる唯一の存在に。
どのくらいの時間が経っただろう。トンネルを抜けると、海が見えてきた。学校には携帯も、時計も持っていけないから、今の僕には時間を知るすべがない。でも、別にいい。
僕は今日、ここで死ぬから。
電車から降りると、想像以上の潮の匂いが鼻を刺した。そんなに田舎に来たわけではない。身近にこんな場所があったのかと、自分の知見の狭さを今になって感じた。だからって、広い世界に出ようとか、そういう思考になれるわけではない。目指していた崖は思ったよりも目の前だった。
僕は次の人生、もっと綺麗な世界で生きたい。例えるならそう、この碧くて美しい海みたいな。母なる海、美しい海。きっと前の僕はどぶ川みたいなところで死んじゃったんだろう。だから、こんな人生なんだ。
天然の素晴らしさを噛みしめて、一歩踏み出した。