7・追憶の跡地
囚われていた五年間で町がどれだけ変わったのか。それを確認するためつきそってほしいと挽霧さんにお願いされた。
『私一人で行動した方が秘密裏に動ける。けど……まだ少し怖いから』
遠慮がちに、そっと指をつかまれる。
包むようでも、すがるようでもあって、俺は大きくうなづくとその手を握り返した。
午前中だってのに外はすでにジリジリとした暑さ。遊歩道のわきに植えられたアジサイもくたびれ気味で茶色っぽい。
ふわりと浮かぶ挽霧さんの後ろ姿だけが涼しげだった。いつかお寺の池で見た、銀の鱗のコイが悠々と泳ぐ光景がふっとよみがえってくる。
このくねくねした道は遠くの先まで見通せない。どこか湿ったような怪しい雰囲気があって、ふとしたきっかけで別の世界に迷いこんでしまいそうな気分になる。俺が小学生のころにも、この遊歩道のチープな怪談で同級生たちが盛り上がっていたっけ。
『……いなくなっている』
挽霧さんが苦々しい声でつぶやいたのは遊歩道と生活道路がまじわる地点だった。ここにはコンクリート製のゴツいフェンスが設置されている。
『それは欄干。かつてここにあった橋の名残りだ』
「橋」
ってことは、今まで進んできた遊歩道は昔は川だった場所なんだ。
『この橋に長年居ついていた妖が消えている。どうもイヤな予感がする。伊吹、ほかの場所も確認しに……』
途中で挽霧さんがすっと口をつぐみ、曲がりくねった道の先を手でしめす。人が近づいてくる時はこうして俺に教えてくれるんだ。
見えない誰かとしゃべっているところを目撃されて不審がられたって、俺は何とも思わない。実害さえなければいい。他人が俺をどう思うかなんて、それこそお好きにどうぞ。
挽霧さんはそうじゃない。俺が人の社会から完全に外れてしまわないように気を使ってくれている。
その配慮をムダにするわけにはいかない。俺は水分補給で休憩してるふつうの歩行者っぽくふるまった。
散歩中のお婆さん二人がこちらにやってくる。
橋の跡地に近づくと、半世紀前クラスの思い出話がはじまった。
「ここキレイな散歩道になって良かったわね」
「ホントね。アタシが子どものころはとにかく臭いがひどくてさ、ドブ川の」
「夏なんかは特にね」
「コンクリでフタしてくれた時はありがたかったよ」
「暗渠になる前は、ある意味では下水道がむき出しになっていたようなものだもの。今じゃ考えられないくらい不衛生よね」
挽霧さんは小さな声で反論する。
『…… ふさがれたこの川とて、最初からヘドロと芥にまみれていたわけではないのにな』
お婆さんたちに、その言葉が届いたようすはなかったけれど。
次に俺たちがむかったのはホタルの生息地。
なつかしい道を進むにつれてだんだんと違和感がふくれ上がっていく。昔は小さな畑や竹林だった場所が、駐車場やらオシャレでコンパクトな三階建て住居やらに変わっている。
『……』
あのホタル池があった場所には、高級感のあるエントランスつきのマンションが建っていた。
立ち尽くしている俺にお姉さんが小さく声をかける。
『行こう、伊吹』
挽霧さんは少し寂しそうにしながら、目の前の現実をそのまま受け入れてもいた。
『人の町が移り変わっていくのは健全なことだ』
大人に説きふせられる子どもみたいに、俺はマンションから離れる。
すごすごと歩いていたら、ベビーカーを押す若い母親とすれ違う。赤ちゃんはすごく不機嫌で、ムグィーッとうなって泣いている。母親はタオル地のぬいぐるみであやしてはいたけど、泣く子の前には無力だった。
ささくれだった気持ちの俺は、ただただ疲れた顔をして無言で親子を見送った。
急に暑さがやわらぐ。まるで渓流の空気だ。
隣を見れば、清浄な霧がゆるやかな渦を巻いて挽霧さんの指先にあつまっていた。
『伊吹。あの乳母車にくくられているケモノの人形は、ウサギだと思う? ネコだと思う?』
あれはたしか地元の商店街のマスコットキャラだ。
俺は小声で答える。
「キツネ」
『わかった』
白い霧が手の平サイズで動物の形になっていく。キツネだ。
タオル生地のぬいぐるみをマネてみたわりには、ずいぶんと古風なタッチにリメイクされてはいたけれど……。
霧をまとった白キツネは空中を走り、俺の肩に乗ってイタズラっぽく愛嬌をふりまく。
……もしかして、これはあやされてる?
小さなキツネは俺の肩からパッと駆け出し、さっき通りすぎていったベビーカーを追いかけた。
すぐに赤ちゃんの無邪気な笑い声が聞こえてくる。お母さんは首を傾げながらもホッとしたようすで、マンションの敷地内に消えていった。
ホタル池を埋め立てた上に住んでる人間たちに、ずいぶん優しくサービスするよね。なんて、性格の悪さ丸出しの言葉が出そうになるのを俺は抑える。
器の小さいヤツだとお姉さんに思われたくない! 他人にどう思われようと気にしないけど、挽霧さんにはダサいところを見せたくない!
でも実際の俺はイヤなところもダサいところもふつうに持っている人間なので、いつだって理想的なムーブができるとは限らないわけで。
『伊吹。私たちにとってはさみしいことだが、あの住人たちには咎はない』
それはわかってる。わかってるけどさ。
思い出のある場所が作り変えられていたんだ。そんなにすぐには気持ちを切り替えられない。
人間の利益で大切な場所を潰されたのに、人間に寄りそう挽霧さんの姿が、俺はなんだかイヤだった。
イヤっていうか、悲しくなるんだ。
お姉さんは俺の気分を変えようと次の目的地を提案してくれた。
『この町には古代からゆるぎなく存続している場所もある。今度はそちらに顔を出しに行こう』
小学校の裏手の本屋のシャッターは、もう十年以上閉ざされたまま。
陽気なおじさんが名物店主のたい焼き屋は、今は24時間経営の無人ジムかなんかに変わった。
バス停のそばの、いつもガーデニングに手をかけていた家の庭先は、すっかり雑草だらけで荒れ果てている。
川も池もなくなるこの町で、いったい何ならいつまでも残るって言うんだろう。