40・家内安全末永く
神社にお参りして、事件解決の報告を渚獲さまに告げる。
力を貸してくれてありがとうございました。
神殿の前で静かに念じて手を合わせたら、さわやかな潮風が吹き抜けた気がした。
常杜の郷公園では、夏休みを迎えた子どもたちの声で賑やかだ。
木陰と土のおかげで、アスファルトとコンクリートがひしめき合うほかの場所よりは多少は涼しい。クーラーのきいた室内で、民話や手遊び歌の会や草木染めのワークショップなんかもやってるしね。
「ふへへ……。聞いてくださいよぅ、綱分さぁん」
古民家カフェの堀篭さんはショッピングモールの駐車場で幽霊らしき影を見たと大喜びしていた。うんうん、良かったね。
今の塩来路寅之助の正体は牛面の従者なわけだけど、特にカフェの営業に変わったことはないらしい。寅之助になり替わった牛面は卒なく役目をこなしているようだ。
そうか。表向きはまだ健在だから、アイツは線香の一本さえ供えられずにいるってことか。
「……」
帰り道、なんとなく俺はホームセンターで四本入りの線香花火を買ってきた。
アパートのそばにある、ボール遊び禁止の看板がうるさい住宅地の中の小さな公園で線香花火に火をつけた。
寅之助の死を悲しいとか悔やむ気持ちは俺の中にはなくて、これを弔いの代わりにするから怨霊になって暴れるんじゃねぇぞという風流な脅しだ。
華やかに爆ぜる繊細な火の玉は、やがて勢いをなくしてポトリと落ちた。
星澪沙はお墓参りに行ったらしい。そのかたわらにはもちろん鞠が付き添う。
祟りのオニグルミを切ったおじいさんは、霊園内の目立たない小さなお墓で眠っている。死者の心から気がかりのタネが取り除かれたことだろう。どうか安らかに。
俺と挽霧さんの関係にも変化があった。……喜んでばかりもいられない変化が。
『すまない、伊吹。しばらく手が離せない』
「うん。……大変そうだね」
蔵から解放された怪異の一部が挽霧さんを慕ってそばから離れようとしない。
トンボやカエルといった水に関する生き物の精霊たちに、枯れかけた湧水や埋められた井戸の化身たち。そういった怪異につき従われている。
特に、挽霧さんも気にかけていた橋跡の妖はずっとまとわりついている。ほかの精霊たちが自分本来の居場所に戻っていった後も、この妖怪だけは移動しようとしない。
じっとりと湿った子犬の死体。その毛皮をツギハギしてつくったぬいぐるみを思わせる、不気味と可愛いが交差して結局不気味が勝利をおさめた見た目の妖怪だ。言葉はしゃべらず、鳴き声はもにゃもにゃと、すごく無力な感じだ。
穏やかな日々を送るうちに心も落ち着いてくるだろうなんて挽霧さんは言ってたけど。
俺は、……正直ちょっと……面白くない。
俺のことを最優先で考えてくれていたお姉さんが、もっと頼りない誰かにかかりきりになっているっていう状況の変化がすんなりと呑みこめない。
毎日べったりとくっついている橋跡の妖を挽霧さんから引き離すため、俺はこんな提案をした。
「挽霧さんはすごく忙しそうだよね。ゆっくり羽を伸ばす時間があったら嬉しい? 俺がその子の遊び相手を務めれば、お姉さんも休めるんじゃないかなって思ったんだ」
『そうだな。私も一息つければありがたい。ひっそりとした冷泉でヘビかコイにでもなってくつろぎたいと思っていたところだ』
ちょっと疲れた顔で挽霧さんが笑った。
挽霧さんがいなくなったアパートの部屋で、俺はヨタヨタうごめくホラーなぬいぐるみモンスターと二人きりだ。
今、ツギハギ毛皮の妖怪は玄関のそばで悲壮に泣いている。
「ひぇんひぇん……」
「そんな死にそうな声で泣くなよ……。挽霧さんなら夕方までには帰ってくるから、その、君……元気を出すんだ」
橋跡の妖怪には名前がない。しゃべることも、念じて言葉を伝えることもできないから。テディベアのような体型で二足歩行をするものの、速度は遅く危なっかしい。これじゃ家の中でも気が抜けない。
動物やぬいぐるみに近い見た目だけど、動きには人らしさもある。
この妖怪を人間の成長度合いに当てはめるとしたら、幼稚園児よりももっと年下の……赤ちゃんみたいなもんだろう。実際の乳幼児にくらべたらオムツやミルクの世話もなく、育てる苦労も段違いなんだろうけど。
「やあ! こんにちは!」
裏声で人形を動かす。
家にあるタオルを折ったり結んだりして形作った即席のオモチャだ。作り方は公園で開催されている子どもたちのお話会で覚えた。
きょとんとした目で無言でじっと見つめられる時間に耐え切れず、俺はタオルくんをそそくさと手から外した。
「……なんでもありませんでした。ごめんなさい」
俺らしくもないことをしちゃった。
小さい子と遊ぶとか可愛がるって、いまいち正しい感覚がつかめない。俺のまわりにいる、多分善良なんだと思われる普通の人々のふるまいを参考にして、それっぽいマネをしてるだけだもんな。
挽霧さんが、俺にたくさんの愛を送ってくれた。
こんなに深い絆を結んだ相手はほかにいないけど、俺を気にかけてくれた人たちは大勢いる。
小学校の裏手で本屋を営んでいたご夫婦は、子どもが喜びそうなフリーペーパーを俺のために取っておいてくれた。
腹をすかしてる俺を見かねて、試食だとか失敗作だとかの建前でたい焼きをわけてくれたお店のおじさんは今ごろどうしてるのかな。
通学路の途中にあるバス停近くの家の人は庭の手入れをよくしてて、登下校の時にお互いに見る顔として認識していた。運動会だろうと音楽祭だろうと保護者の姿はなく一人で帰る俺の事情をうすうす察してたんだと思う。車に気ぃつけてな、だとか、道草しねぇで帰んだぞ、とか短い言葉をかけてくれるようになった。
雑音をふくんだ古いドアチャイムが鳴った。荷物の配達だ。
日本各地の名水セット。水を買うなんてリッチな消費活動は本来俺には無縁だが、挽霧さんに色んな美味しい水を味わってもらいたくて。
受け取ったダンボールを冷蔵庫の隣に置いてから気づいた。
「あれ? どこいったの?」
不気味なツギハギぬいぐるみがいない。
俺が目を放した隙に挽霧さんを追いかけて外にいったのだろうか? それはないと思いたいんだが……。
焦りながら家中を探す。
いなくなった妖の名前を呼ぼうとして、はたと止まる。困ったな。呼ぼうにも名前がない。
「……」
くたくた。ヨレヨレ。じめじめ。ボロボロ。
イメージから仮の愛称をつけようとしたんだけど、思い浮かぶ言葉のどれも悪口みたいになっちゃうな。
「どこにいったー? ……もこもこー?」
あんまりもこもこって感じではないけど、一応毛におおわれてるんだし、さっき思いついた名前で呼ぶよりは本人(?)もイヤじゃないだろう。
「ひゅあ」
天井から逆さまの頭がぬるりと出てくる。
「おお。そこにいたの」
そうだった。妖怪なんだ。その気になれば床も壁も関係なくすり抜けられるんだね。
「あれ? 君、なんか……」
ホラーな亡骸感が減っている気がする。
どれだけ拭いても水気をおびていたぐしゅぐしゅの毛皮が、なんかこう……ふわっとなった。
「大丈夫? お肌乾燥しちゃった? 水風呂で遊ぶ? さっき届いた天然水を飲んでみたい?」
どういうことなんだ、これは……。
挽霧さんにはゆっくり休んでもらいたいけど、早く帰ってきてほしい!
『不安がるような変化ではない。伊吹がつけた名を自分のものとして受け入れたのだろう』
ふわもこの体になった妖を膝の上に乗せてなでながら、挽霧さんが心配顔の俺を安心させる。
『……温かく扱われれば魂は和やかになる。邪険にされれば魂は荒む。そういうものだ』
俺の言動で、無垢で幼い存在に良い影響が起きたってことなのかな。それってなんだか、すごく……。
「誇らしい気持ちだよ」
それと同時に。
「俺はこれからもそうやってふるまえるのかなって、怖くなるよ」
『伊吹なら大丈夫だ』
長い爪の手が迷いなく伸びてきて、優しいけれどしっかりとした力で俺と固く手をつなぐ。
お姉さんは満ち足りた表情を浮かべて、俺はなんだか俺の命が丸ごと肯定されている安心感に包まれて、ただずっと二人であどけないもこもこの寝顔を見ていた。




