4・ささやかな借りものの異能
切り払われた雑草たちの恨みがましい臭気がただよう。
午前中の一仕事を終えた俺は木陰で息をつく。ナイロンコードの草刈り機の音がまだ耳に残る。
落ちていた小枝をひろい、ゴムスパイクの安全地下足袋についた泥をこそぎとった。斜面での作業はしっかり踏んばれるこれに限る。
野外の肉体労働はキツイといえばキツイが、俺の性にあっていた。
子ども時代は家にいるよりも外ですごす方がずっと気が楽だった。日焼けした肌に小柄な体格は大人になっても変わらなくて、いったいどこの野生の小僧だ、という見た目をしている。
俺を生き物にたとえるならあんな感じなのかな。
公園の道をおじいさんと散歩中の犬がいく。焼きおにぎりみたいな毛色の、立ち耳とくるんと巻いた尻尾の雑種犬。
黒い鼻面は幸せいっぱい。犬の爪や首輪やリードが一体になって、チャッキチャッキとリズミカルな音をかなでる。
そうだよな、わかるぞ。
大切な人といっしょにすごせる時間が一番幸せなんだ。
犬と飼い主の背中を見送ってから、道具を片づけに倉庫へとむかう。
午後の清掃巡回。ステンレス製の火バサミを手に、常杜の郷公園を一めぐりする。
園内のふつうのエリアには監視カメラは少ない。たまに街灯や時計とあわせて設置されているていどで、一般的な防犯目的といった印象だ。
カフェとしても営業している古民家園は、かつての農家や商人の住まいを移築したエリアだ。とおりかかるとコーヒーやみたらしのタレの良い香りがしてくる。
俺は足を踏み入れたことはなくて、実際にどんなメニューがあるのかよくしらない。庶民むけのチェーン店以外は入るのに勇気がいる。
古民家園のあたりはカフェのスタッフが店周辺をキレイにしてくれているためか、いつもゴミは少ない。
雑木林ぞいの道をとおって、次のエリアへと移動する。
畑が見えてきた。ここは貸し農園になっていて、休日には農作業を楽しむ親子連れでにぎわう。
とはいえ平日の午後は静かだ。収穫をまつタマネギや成長中のトウモロコシの間をいきかうのは、絵本チックなモンキチョウや鮮烈な赤を見せつけるショウジョウトンボだけ。
小さなせせらぎの流れる坂道を登っていく。
近づく俺の気配に、道を横切っていたシマヘビがせわしげに細い体をくねらせ小川に逃げこんだ。シマヘビって警戒心が強いのか、いつもすぐ逃げられる。アオダイショウなんかは人がそばにいても、わりとのほほんとしてる気がするのに。
ヘビの動きってキレイで妖しい。ちょっと挽霧さんに近い雰囲気がある。昔、質問したことがあるけどヘビの化身とかってわけじゃないらしい。そうだろうなって思う。特定の生きものというより、もっと……水にかんする要素を幅広く宿してる。
この日は小川にポケットティッシュ丸ごととエナドリの空き缶が捨ててあった。仕事なので俺は表情を変えずに淡々と後始末。
乱して荒らす側と、整えて戻す側。
俺は後者になれて幸運だった。挽霧さんと出会えなければ、きっと俺も整った場を荒らすヤツになっていただろうから。
茂みやベンチのかげに目を光らせながら進んでいくと、水車小屋の音が聞こえてきた。
高い位置の樋から流れ落ちる水の勢いを利用した上かけ水車が、のどかな風情で回っている。樋の水は電動ポンプでくみ上げたもので、水車の動力は石臼にはつながってない。
昔の景色を断片的に再現するための装置がそこにあった。
水車の仕組みを説明する立て札の文字は色あせて読みにくい。そのまわりに散らばっていた食べ残しありの弁当容器と折られた割り箸を回収する。
水辺では時々奇妙なことが起きる。俺のちょっとだけ不思議な力。いや、俺自身の力じゃなくて、お姉さんからわけ与えてもらってるだけだ。
この力が消えなかったおかげで、俺は常杜の郷公園にたどりつけたし、お姉さんが自分の意志で姿を消したんじゃないって確信できた。
俺が困りごとを抱えて水辺にいると、何かの導きのような遭遇がある。それは人だったり、動物だったり、ものだったりとさまざまだ。
ああ、でも伝説の刀だとか便利能力持ちのお助け妖精なんかは期待できない。あくまでも現実的な範疇だ。
……こういう地味の極みな能力こそが、じつは最強格だったとか、あまり評価されてない異能力を主人公が知恵で活用してく、なんてのはよくマンガで読んだ展開だけど、俺の場合はどうなんだろうな。正直、強さとか性能とか興味がない。
お姉さんがくれた力だ。俺は心の中で深く頭を下げて、大切にお借りするだけの話。
水辺にいる俺のもとには、ささやかな縁がやってくる。
流れつき、浮かび上がり、すみわたるように。
「アタシこの公園でタマムシつかまえたことあるーっ」
「はー! オレなんか赤いバッタ見たことあるしー」
「……お兄さん……お仕事中にすみません……。ボクは、竹ヤブのところでキヌガサタケの子実体を見たことがあります。特徴的な白い菌網も観察できました」
「へー。みんなすごいね」
だからこの、水車小屋の近くで鉢合わせた虫捕り小学生三人組も、きっと水が俺に届けてくれた縁……なのだろう。俺に話しかけてくる。
キヌガサタケの子はけっこうマニア感があるな。
「あ、蚊!」
いうが早いか、子どもの一人が友だちの腕を引っぱたく。遠慮なしでバチンと一撃。
「やったっ、殺した! あー、もう血ィ吸われてたし!」
「わかったから見せてこないでよ」
蚊を叩き潰した子は、俺にも誇らしげに手の平を突き出してきた。
血のシミ。黒い糸クズみたいになった蚊。
「ヒトスジシマカだね。吸血中に叩き潰しちゃったし、これは痒くなりそう……。虫刺されの薬、持ってるよ。使う? あ、その前に水道で洗いにいこっか」
子どもたちは騒ぎながら水道を目指し、俺と別れた。
見せられた手の平の赤い血が、やけに印象に残っている。
挽霧さんを眠りから呼び起こす方法を俺はすでにしっていた。
でもそれは一種の禁じ手みたいなもので、俺は無意識のうちに手段から除外して考えてたんだ。