32・尻尾をつかむ
詳しいことは後日に、という星澪沙の言葉に俺もうなずく。この後もまだ仕事があるし。
全員で夕暮れの異郷から現実世界へと戻った。
「最悪。どうしてくれんの、これ」
鞠のオシャレな服は泥に汚れて俺も作業着が水びたし。星澪沙は多少マシで、この青空の下ならすぐに乾くだろう。挽霧さんだけが涼しげに整った夏着物姿で優雅だった。大好き。
「ヒールの高い靴で公園に来た鞠さんが転んじゃって、巻きぞえを喰う形で俺も池に落ちた。近くにいた星澪沙さんにも水しぶきがかかる。……っていうことでしたよね。俺たちの身に起きたのは」
「は? 私の落ち度にしないでくれる? っていうかアンタたちが……」
ぐっしょりと濡れたウェーブヘアを不機嫌そうになでつけながら、鞠がジロリと俺をにらむ。
すかさず星澪沙が間に入る。
「そ……、そういうことだからねっ。鞠ちゃん」
「本当、最悪」
鞠は忌々しげに吐き捨てたものの、この場ではそれ以上俺に噛みついてはこなかった。
それから数日後に堤我家を訪れる。今度は事務所ではなく、かといって母屋でもなく、大きなガレージの裏手にあるプレハブハウスへ。
母屋や庭の雰囲気を壊さないように落ち着いた藍色の外壁だ。ドアや窓の材質やデザイン的にもそれなりにお金がかかっている印象だ。
窓のそばでは、目隠しと日除けを兼ねた水色の朝顔が伸びやかに育つ。
後付けと思しきワイヤレスのドアチャイムに俺が触れる前に、丁寧にドアが開いた。
星澪沙だ。鞠の姿も見える。
「す、すみません。狭いところですがどうぞこちらへ」
室内は肌寒いくらい冷房が効いていた。出入口の手前側にローテーブルやクッションが置かれたスペース、その奥には……何あれ。ロボットアニメのオペレーターの席みたいなことになってるぞ。
まず椅子がすごい。背もたれに枕みたいなクッションがついてて、見た目はソファを思わせる。肘置きや足置きも重厚で安定感がありそうだ。
で、もしかしてあれって全部パソコンのモニターなの? 大型のデスクトップパソコンとそのモニターが三面。サブ機か何からしいもう一つのパソコン本体とノートパソコンも見える。
さらにいくつかの小型のパソコン本体があるのかと思ったけど、二つは据え置き型のゲーム機でもう一つはミニサイズの冷蔵庫だった。
「離れで来客用のコップが用意しづらくて……。飲みものはペットボトルそのままでも良いですか? すみません……。緑茶かルイボスティーかジャスミンティー、あとシトラス風味の無糖炭酸水もありますよ」
ほとんどが俺がよく行くスーパーでは見かけない、高そうな商品だった。なんか緊張するな。結局は俺もしってる、CMをたくさん流してる大手飲料メーカーの緑茶を選んだ。
「水神さまは何か飲まれますか?」
星澪沙の問いに、俺の背後から挽霧さんが姿をさらす。
『伊吹と同じものを』
蔵に囚われている怪異を連れ出すことに鞠が猛烈に反発した理由は、三つの旧家がそれによって利益を得ているからだった。
何もしらない公園職員やボランティアに祈らせて、年に数度の天赦日に神霊たちの力を回収するのだという。
常杜の郷公園の恐怖体験としてネットに投稿されていた怪談は、この時に蔵から各家の古民家へと連れていかれる神霊たちを目撃したのだろう。
『……』
「霊力を吸われた神霊たちはどうなるのですか? ……ウソやごまかしは一切なしですよ」
剣呑な空気に鞠がピリッと片眉を吊り上げる。
星澪沙は神妙な面持ちでわずかにうつむいた。
「最初の一年は……加減が見極めきれずに怪異をかなり消耗させてしまうこともありましたが、このところはそういった事故もなく、また蔵で眠りにつかせています」
「再利用可能なエネルギーってわけ!」
不謹慎な発言を得意げに口にした鞠に、ほかの三人の視線がいっせいに突き刺さる。不服そうな顔をして鞠はふいっと顔をそむけた。
吸い上げた力で、各々の家の守り神の霊威を強めていた。
稲門昏も塩来路も堤我も。
「福を呼ぶ物件と人気のグラン・ルナールやオニグルミの木の跡地に建ったレンタル倉庫、それから大学そばの商店街。これらの場所に、稲門昏家が関わってますよね」
ふてくされた態度で鞠がうなずく。
強化された守り神の加護で現実にも大きな影響を与えて、家の富をますます増やしてたのか。
「だから止めるわけにはいかない、と? は、ずいぶんと虫の良い話だ。そのイカレたシステムがはじまったのは、たかだかここ五年ほどですよね? 止めたところで、この立派なお宅が即座に没落するわけでもないでしょうに」
「……私個人の考えになりますが……。人に危害を加える怪異を除いて、蔵の封印を解くのに異論はありません。ただ、困った事情もあって……その……」
腕組みしてそれを聞く鞠は面白くなさそうだ。でも、反対意見をぶつけたりはしてこなかった。
「できない理由があるんですね?」
鞠が素っ気なく口をはさんだ。
「星澪沙は塩来路に霊力回収ノルマを課せられてる」
祟りの木に憑り殺された老人の事件がきっかけで、小学生のころから星澪沙は怪異を封じる方法はないかと研究と開発をはじめた。
裕福な家庭で自由に使えるお小遣いも多い方ではあったが、それでも十代の子どもが手にできる金額はたかがしれている。きちんとした使い道をプレゼンして説得できれば、ハイスペックのパソコンや勉強に集中できる離れを用意してくれる両親だったが、この怪奇的な発明に必要な不気味でうさん臭い品々はさすがにホイホイとは買ってくれない。
「鞠ちゃんがいつも私を支えてくれて、研究費用で行き詰った時も私の助けになるんじゃないかって塩来路寅之助さんに話をつなげてくれたんです」
塩来路の家紋は牛なのに名前はトラなんだ。干支が寅年だったのかな。丑年だったら面白かったのに。
「ここまで悪どいヤツだってわかってれば、絶対そんなことしなかった」
「それなら、塩来路家が提供した研究費用を返済できれば丸く収まるってことですね?」
「いえ、それが……寅之助さんは、お金は返さなくていいからとにかく霊力の回収に専念してほしい、の一点張りで……。交渉の余地もないんです」
神霊たちの霊力が目当てなのか。それは厄介だな……。
塩来路寅之助。ソイツの考えを改めさせれば、蔵に閉じこめられた無害な怪異たちは自由を取り戻す。
挽霧さんが心配している、橋の跡地の子どもの妖だって。




