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囚われ神奇譚  作者: 下山 辰季
第三部・伴侶

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20・ネズミのしわざ

 夕方に蔵の供物(くもつ)を下げに行った俺は、困り顔で事務所に引き返した。


堂ノ下(どうのした)先輩。蔵で妙なことが……。俺だけじゃどうしたら良いのか……。申し訳ないですが見ていただけませんか?」


「えっ。そりゃかまわないけどっ。何? どんな系のトラブル?」


 低く、小さく。俺は声をひそめる。


(ほこら)の中から音がするんです」




 俺が担当している信仰保存室に先輩を連れてきた。

 清潔で無機質で現代的な祠から、不規則で生々しく本能的な物音がカサコソと。


「あちゃーっ、虫でも入ったみたいだねっ。 いや、この音はもうちょい大物か? ネズミ……っぽいのがいそうだよ!」


「はい。どう対処したものかと。このままじゃマズいですよね」


 通常、供物や祈りをささげる人であっても祠の中に(まつ)られている御神体(ごしんたい)を直接見ることはない。

 蔵への出入りが許されている俺たち職員もそうだ。


 そんな神聖な依代(よりしろ)のある場所に、ネズミが入りこむというアクシデント発生。


 中にいるのは挽霧(ひきり)さんが化けたカヤネズミだ。ハツカネズミよりも小ぶりの体。

 本来のカヤネズミは人の建物に好き好んで入りはしない。体が小さい方が計画上やりやすいって理由と、俺がカヤネズミの巣が可愛いって言ったから、この変身になったんだろう。


「あ。かじる音してますね」


「ぎぇーっ!? ヤバい、ヤバいよっ! ネズちゃん、お願いだからそれはやめてー!」


 みだりに祠を開けてはならない。

 祠の中が荒らされるのを黙って見ているわけにもいかない。

 そんなジレンマ。


 この保存活動に誇りを持っていて、リスクを気にしがちな堂ノ下先輩だ。俺が少し言葉で誘導すれば、自分から判断を下してくれる。


「今ここで祠を開けたら、ネズミが蔵の中に逃げ出してもっと大変なことになりますよね。手出しできない狭い場所に逃げこんで、ほかにも被害が広がって、ワナをしかけてもすぐに捕まるとも限りませんし……」


 堂ノ下先輩が覚悟を決めた。大きく広げた左手の指で眼鏡をはさんで、スチャッとかけ直す。眼鏡キラーン。

 もったいつけたポーズだ。


「非常事態だ! 祠を外にお運びするっ!」


 ビシッと宣言した後で、先輩は祠の前で手を合わせる。


「そういうわけでお騒がせしますがっ! 僕もアイツも悪気あってのことではないので、ど、どうか(たた)ったりしないでくださいっ」


 先輩は悪い人じゃないんだろうなぁ、なんて思った。




 事務所から持ってきた大きな白い布を祠にかぶせ、蔵の外まで運び出す。夏の夕方はまだ充分な空の明るさを残している。


 蔵内部にくらべて、屋外の監視カメラの数は圧倒的に少ない。映らない場所はもう割り出してある。

 ちょうどカメラの死角になる位置に、作業しやすそうな場所を用意してある。園内整備の仕事中に草を払い、枝や石を取り除いて。


綱分(つなわき)くん、このあたりで」


 俺の思惑通り、カメラに映らない場所に白布に秘め隠された祠が仮置かれる。

 カタリコトリと物音を立てるそれは、舞台裏の事実をしっている俺の目にも異様で不気味で……すごく魅力的に見えた。


「い、今から僕が手探りで祠の戸を開けるよ」


 戸が開いた瞬間、カヤネズミが飛び出した。その勢いで御幣もいっしょに祠の外に。これも挽霧さんと打ち合わせ済みの内容だ。

 小さなネズミは布の下をサッとくぐり抜け、公園の木立へと姿を消す。


「ほ、祠の中身が……」


「事故です。俺らに(ばち)は当たりませんよ」


 夕暮れの静けさを突然掻き乱す大音響。

 堂ノ下先輩がビクッと顔をあげた。

 けたたましい警報音が、公園事務所の方から聞こえてくる。


 俺には何が起きているかわかっている。幻影の美女の姿に戻った挽霧さんが、事務所に設置された火災報知器に働きかけて誤作動させたんだ。

 これは先輩の注意をそらすためのものでもあるし、お姉さんが御幣の効果範囲の外まで退避した合図でもある。


 ここの公園管理スタッフの制服は(ねずみ)色の地味な作業着。虫よけやケガ防止のため、夏でも長袖が基本だ。

 先輩がうろたえている隙に、俺は落ちた御幣を作業着の袖にするりと入れて回収した。挽霧さんの霊力を封じた御幣を。


 そして反対側の袖から、空っぽの御幣を取り出してすり替える。

 機能停止状態だと御幣の手の形が独特すぎて、もしも誰かが御幣を確認した時に人間が意図的に関与したことがバレてしまう。俺はこっそり拳を握って御幣にかざす。休止モードを解除した。


 警報音が鳴りやむ。

 公園に設置されたスピーカーから、篠塚(しのづか)さんの声が聞こえてきた。さっきのサイレンは誤報だったというアナウンス。


「あぁ、よかった……。心臓止まりそうなタイミングだったよねっ」


 ホッとした顔で俺を見る先輩に、俺も調子を合わせる。




 その後、先輩と俺で御幣も祠も元通りにした。


「いやー、どうなることかと思ったよねーっ」


「ええ。びっくりしましたね」


 蔵の信仰保存室の一つに起きたアクシデントは監視カメラにも記録されているし、堂ノ下先輩が今回の出来事を上の立場の人へ報告書としてまとめるかもしれない。


 蔵に保存していたはずのお姉さんの霊力がなくなっていることに、鈍感な相手でもさすがに気づくだろう。日ごろの供物や祈りを深い事情をしらせていない職員に丸投げして、現場にはめったに顔を出さない蔵の所有者さまであっても。


 でも、大きな問題はない。

 俺や先輩の対応は、この事態に直面した公園スタッフとして妥当だ。小動物の侵入を許したことを責められはするかもしれないが、それくらいは受け入れよう。

 御幣から霊力が失われたのが、俺の意図とは無関係だと思わせられればそれで良い。

 これはあくまでも野生動物によってたまたま引き起こされた事故なのだから。

 ネズミのしわざ。


「おつかれさまでした。ありがとうございます」


 カーテンで仕切られた更衣室で俺は鼠色の作業着を脱いだ。

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