2・蛍光の幽閉
大人になった俺と挽霧さんは再会を果たす。
四月からはじまった仕事にも、だんだんとなれてきた六月のころ。
「以上が綱分くんの業務内容だよっ。メモはとれたかな? 何か質問したいことはある?」
独特なノリの眼鏡男子の先輩がわざとらしく指を立てて俺にたずねる。
聞きたいことなら山ほどあるが、ここでは油断なく立ち回らなくちゃならない。
それとなく周囲に視線をめぐらせた。
一人暮らしの俺の安アパートよりも格段にハイテクで清潔なこの空間は、蔵の中だ。外観はまんま古風な蔵のくせして、内部はこれだ。
どこからともなく響いてくる電子機器の低いうなりが俺の鼓膜を不快にゆらす。
黒くツヤッとした素材の機能的で高級感のあるロッカーがならぶ。その奥には三畳ほどの小部屋がいくつか。
その小部屋の一室で、俺は仕事の説明を受けていた。
「……俺が担当する神さまというのは、ここに閉じこめられてどれくらいたつんですか?」
ほの暗い照明が灯る部屋の中。俺が世話を担当する個体――この世で一番大切なお姉さんは、ひどいありさまでそこにいた。
一切の飾り気のない質素な白い和服。
やたらとガチャガチャしたパーツのついた猿ぐつわ。素材は、金属だかプラスチックだかカーボンだかわからない。
細い手首を痛めてしまいそうなほどに巨大な手枷。何かの信号なのか、小さな表示ランプが不規則にチカチカ明滅している。
大小無数のチューブやパイプが、力ない体に虫のように群がる。緑色で半透明のチューブ内をゆっくりと液体が流れていった。
着物の長い裾からかすかに見える素足は、地につくことはない。
そんな状態で挽霧さんはゆらゆらと宙に浮かんでいた。
空気中だが、水に沈んだような浮遊感をまとっている。長い髪が広がって、着物の袖や裾も金魚のヒレみたいに優雅にひらひらと。
その目はふせられて、意識があるのかも曖昧だ。
近くに俺がいるのに特別な反応も見せない。
拘束の痛々しさと、まどろみの穏やかさが同居していた。
動きをきびしく制限されている以外は、暴力の痕跡も見当たらない。
「ちょっと待ってね、記録だと……」
堂ノ下先輩が手持ちの四角い端末の画面を指先ですっと弾く。動作の一つ一つがちょっとマンガっぽい人だ。
「五年だね」
「ありがとうございます」
挽霧さんが俺の前からいなくなった時期と一致する。
「ごめんね綱分くん、ちょっと気になったんだけど。あのさ、閉じこめるって表現はイヤかな。僕らが悪いことしてるみたいじゃないか。これはれっきとした保存活動なんだからね!」
保護ではなく、保存。
先輩は悪意もなくそう言った。
なかば無意識に、俺はまだ真新しい制服の生地を不本意そうに握っていた。鼠色をした、上下セットの作業着。ここの公園管理スタッフの制服だ。
いや、冷静になった方がいい。
堂ノ下先輩の目には、挽霧さんが見えていない可能性が高い。ほかの人たちには縛られた女性の姿ではなく、たとえば室内に移転された小さな祠だとかが見えているのかも。
俺はすなおな新人職員のフリを続ける。
「そうでしたね。これも常杜の郷公園のれっきとした役目です」
常杜の郷公園は、都市開発によって失われていく緑と古い文化を残すための施設だ。だだっ広い敷地にはかつての里山の風景が再現されている。
雑木林と竹林で聞こえるのは鳥のさえずり。
舗装されていない小道からは、土と草の香りがほんのりと立ちのぼる。
せせらぎと小さな池もあって、運が良いと小魚を狩るカワセミの姿だって見られる。
公園内の畑は希望者に貸し出され、季節の作物が伸びやかに育つ。
移築された古民家がゆったりと時をきざむ。
表むきはそういう場所になっている。
そして公にはされない常杜の郷公園のもう一つの役割が、信仰が衰退した小さな神々の保存だ。
「このまま放っておけば消えかねない小さな神々。それを保存して守るのも、僕らの大事な仕事の一環なんだよ」
失われゆく神の消滅を防ぐためには人間の力がいる。場を清めて、供物をささげ、祈念を送る人間が。
「説明はこんなところかな? もういい?」
堂ノ下先輩が俺に背をむけた。歩き方だけでも日ごろの運動不足が伝わってくる。呼吸や目線も気がぬけて、警戒心はゼロ。特別な心得があるとは思えない。
挽霧さんのいる保存室から退出する。
俺が担当するのはこの部屋だけだが、きっとほかの小部屋やロッカー内にも神さまや妖怪みたいな不思議な存在が閉じこめられているんだろう。
「はい。ありがとうございました」
挽霧さんと区切られた壁のこちら側で、俺は心にもない笑顔を浮かべた。シツケの行き届いたお利口なワンちゃん面して常杜の郷に入りこむ。
綱分伊吹は当面の間、常杜の郷公園の裏の顔を探ることになる。
従順な職員として、まわりをあざむきながら。
すべては大好きな挽霧さんを救うため。
絶え間なく続いていた機械のうなりがひときわ大きくなった。
保存室の扉の小窓から、中のようすをうかがう。
緑の光だ。挽霧さんのいる保存室の黒い壁と床に、緑の光が流れるように灯っていく。
幾何学的な模様をえがいていく色彩は、あの夜に見たホタルの発光にそっくりだった。