12・機械仕掛けの蟲腕
俺の手には場違いなまでに可愛らしいお菓子の缶。
コナラやクヌギがざわざわと葉をゆらす。かすかに斜めに傾いだアカマツにじっと見下ろされている気がする。
『……不快なゆらぎを感じる』
俺のすぐ後ろで、お姉さんが用心深く見守っているのがわかった。
「挽霧さんは離れたところにいて。俺が開封する」
『人の身に無害だとも限らない。伊吹も気をつけて』
俺の肩と首筋に繊細な指先がそっと置かれた。
番の鳥が愛しい片割れの羽をクチバシで整える時みたいな、優しい触れ方で。
挽霧さんが離れたのを確認してから、俺はカポッと箱のフタを外す。
「……」
良くないものが入ってるんじゃないかっていう、ぼんやりとした予感は的中した。
以前、お姉さんが言っていた機械的な怪しい御幣だ。
直接手で触れるのも薄気味悪くて、縦長の箱に収めたままで観察する。
棒の部分は黒っぽいプラスチック。見たところ少しザラッとしてそうな質感だ。
紙垂は灰色がかった厚みのあるビニールっぽい素材だ。電池とか、動力源になりそうな装置は見当たらない。それなのに、ビニールの内部では淡く緑色に発光している。
稲妻に似たジグザグ型は現代の一般的な御幣と似ていると言えなくもないが、明らかに異質なアレンジも加えられていた。
垂れ下がった二つの紙垂の先端。そこに四筋の切れこみが入っていて、あれはまるで……手だ。
風か何かで御幣がゆれると、おいでおいでの動きに見える。
……まて。箱に入れた状態で観察してるんだぞ。
仮に、人が感じとれないていどの空気の流れが箱に入りこんだにしたって、厚手のビニール素材をこんな風にゆらせるはずがない。
変だ。
『伊吹……っ』
警戒が極限まで高まった挽霧さんの声。
パッとふり返る。
何もない空中からずろりと這い出た。
うごめく機械じかけの長い管。数は二つ。太さは人の腕ばかり。ほのかな緑の発光。
一定間隔で設けられた管の節ごとに、大きくふくらんだかと思えば収縮してを規則的に繰り返す。
全身を伸び縮みさせて地を進むミミズを思わせる蠕動運動。
ミミズとちがって、先端は歪な人の手のようになっていた。
そんな異形の手に、お姉さんが狙われる。
挽霧さんは鋭い爪を静かにかざし、二体の敵の隙をうかがっていた。
隙なら俺が作る。
地面に落ちていた手頃な木の枝を缶と入れ替え、突進。
「ぉわっ!?」
むなしく空を切る。
勢いあまって転びそうになるのを踏みとどまった。俺の足元で泥が跳ね上る。
あの蟲みたいな腕、物理的には太刀打ちできないってことか!?
すでに挽霧さんは蔵の小部屋の御幣に力のほとんどを封じられている。
このまま俺が何もできずに、再び囚われてしまったら。
いったいどれだけ衰弱してしまうんだ……?
蔵の中で拘束されていた挽霧さんの姿を思い出して、俺の胸が怒りと悔しさでいっぱいになる。
ハッとした。
俺はパラコードの飾りを急いでほどく。
走ってむかう先は機械じみた不気味な腕じゃない。
さっき置いてきた箱だ。
中の御幣は、あの腕と連動するかのように緑の光を明滅させていた。奇妙な動きも相変わらずだ。
上手くいくかはわからない。やってみる価値はある。
俺は丈夫なパラコードを巻きつけて、怪しい御幣を徹底的に縛り上げてやった。
『……助かった。ありがとう、伊吹』
少し疲れたようすで、でもホッとした声で挽霧さんが警戒をとく。
蟲と機械が合わさったような幻影の腕は動きを停止して、やがて消え失せていった。ほんの少しの黒いカスを残して。
「お姉さんが無事で良かった」
『伊吹は優しく賢く勇気のある子だ』
あたたかい誉め言葉に、俺はほんのちょっとだけ不服そうに反発する。
「俺は子どもじゃないよ」
かすかな息遣いが挽霧さんの細いノドから聞こえた。
『ん……。そうだな、伊吹の言う通り』
怪しい御幣を縛ったまま、缶のフタを閉める。俺はポケットから紺色のエコバッグを取り出して、お菓子の缶をぽすっと入れて持ち帰ることにした。
エコバッグにしろパラコードにしろ、日ごろから備えておくといざって時に困らないな。
この御幣はもっとよく調べたいし、何かの証拠にもなりそうだ。
でも捕獲機能を停止させたとはいえ、こんな得体のしれない代物を俺と挽霧さんが平和に暮らす場所に持ちこみたくはない。
なのでひとまずは、家の近くの駅のコインロッカーに預けることにした。エコバッグごと無機質な空間に放りこんだ。
まだあの蔵に閉じこめられている神さまたちも、こういう光景の中にいるんだろうか。なんて考えが頭をよぎる。
夕日と風を浴びながらゆったりと歩く。
駅からアパートまで帰るルートは川沿いを選んでみた。
少しだけ遠回りになるけど、挽霧さんは心ゆくまで水浴びを満喫できなかっただろうから。
まぁ、ここも、人の手でカッチリと整備された町中の川でしかないんだけど。
家路にむかうであろう人々が川辺の道を歩いている。
高そうなデザインのスポーツウェアを着こんで、仲良くジョギングをしている中年のご夫婦。
一人が自転車を手で押し、仲間たちと部活のコーチのグチで盛り上がる男子中学生のグループ。
左手には重たい買い物袋。体には赤ちゃんが爆睡中の抱っこ紐。空いた右手で、歩きつかれてグズる幼児を連れるマジメそうな若い父親。
年老いて毛がスカスカで淡くなったトイプードルをお散歩カートに乗せて、休み休み立ち止まりながらゆっくり進んでいくお婆さん。
それぞれの人生がチラリと見える。
水とたわむれるように、川の上をふわりと飛ぶ挽霧さんに視線をむけた。
お姉さんが俺に気づく。目元と唇が甘くゆるむ。
悪役みたいな怖さがあって、でも内に秘めた優しさとさみしさが伝わってくる、俺の大好きなお姉さんの顔だった。
俺は孤独に見えるかもしれないけど、かけがえのない人がすぐそばにいる。
その人を今日、守ることができたんだ。