11・引き寄せたもの
野生生物の姿をとっているとはいえ挽霧さんが注目を浴びる状況はソワソワしてしまう。
女の人の意識をそらすべく、俺は当たり障りのない話題をふる。
「……生き物、お好きなんですか」
「そっ……そんな感じ、ですっ。はい、私、生き物を見るのが好きで」
緊張しているのが丸わかりの上ずった声の返事だった。
斜め掛けの帆布バッグの紐を不安そうな手つきで握っている。
不審者だと思われるとマズい。
これ以上は俺から話しかけるのは止めておこうと思ったところで、むこうから会話を続けてきた。
「……あのぅ、君はどうしてここに?」
「散策の途中で案内板を見かけて面白そうだなって。ただの気まぐれです」
「……お、親御さんや学校の先生に、ちゃんと居場所は伝えてきてるのかな?」
何かがチグハグだ。
「学校……? 何か誤解されてる気がするんですけど」
「え? 君、中学生くらいでしょ?」
「大人だよッ」
少し離れた木々の間から、小型猛禽類のツミの甲高い声が小バカにしたようなリズムで響いた。
「ごめんなさぃい……。私ったら失礼なことをぉ……」
「いえ、もういいですから。大丈夫ですよ。俺もつい大げさに反応しちゃってすみません」
挽霧さんはイモリの姿のまま草の陰に隠れた。せっかくの癒しの一時を騒がしくしてしまい、申し訳がない。
「仕事の関係で今日は休みで。私服の中学生が一人で森の中にいたら、ちょっと気になるのもわかります」
平日休みを含む週休二日制。平日の公園は利用者が少なめで整備作業を進めやすくて、土日祝は自然体験会などのイベントが開かれることもあり忙しい。
「あ、私のところも似たような感じですよ。平日だと基本的にどこに行っても混んでないのが良いですよね」
少し打ち解けたようすで、その人は川辺の散歩が好きなのだと教えてくれた。今日は墓参りがてら、川の源流を見に来たとのことだ。
たぶん、年齢は俺とたいして変わらないだろう。大人の一員ではあるんだけど、まだ子どもらしい未熟さも活力も残っている若い世代。
前髪がパッツンと切られたショートボブの髪もあいまって、もっと幼い印象にも見える。
すっきりとしたハーブの香りがかすかにただよってきた。香水……とは匂いの質が違う。これは虫よけだ。スプレーを入念に噴きかけたんだろうな。
「こういう場所って良いですよね。景色を見るだけでも満足なんですけど、たまに思いがけない収穫もあったりして手ごたえを感じるんです!」
「収穫というと、写真ですか?」
川辺の道で本格的なカメラを水鳥にむけている人たちをたまに見かける。
あの帆布バッグならそこそこ大きな荷物が入る。一眼レフだって収納できそうだ。
「しゃ……写真は下手でぇ……。ただ単に……見て楽しむだけ、ですっ。良いものが見れたなぁ、……っていう意味で!」
ごまかされた感じがある。
初対面の相手だ。深く追及するわけにもいかない。
それに生き物に変身中の挽霧さんから注意をそらすという目的はもう果たした。このまま会話が終わっても、それはそれで良し。
「いつの間にかいなくなっちゃいましたね。さっきのヤモリ」
「……爬虫類じゃなくて両生類の方です」
「え? あ、そっ、そう? ……なんですねっ。でも両生類って神秘的ですよね。お母さんでもあってお父さんでもあるっていう……」
確信した。
この人、生き物に興味がない。
両生類を両性類って間違って覚えちゃってるんだろう。
いったい、両生類代表のカエルがなんのためにあんなにゲコゲコうるさく鳴いてると思ってるんだ。
でもあの人、イモリになった挽霧さんをジーっと見てたのは事実なんだよな。
生き物に興味のない相手さえも、お姉さん(イモリ状態)の蠱惑的な色香に魅了された……と考えるのが現状で最も可能性が高い推測だ。
「ヤモリは縁起が良いって言いますよね。守り神だって教わりました」
てきとうに俺に話を合わせただけにしては、自分からしつこく繰り返してくるのが妙だ。
知ったかぶりをする必要なんてどこにもない。
それなのに、不自然なほどによくしゃべる。
この心理に、少しだけ共感できた。
堂ノ下先輩や篠塚さんといったほかの公園スタッフと話す時、俺もこういう気持ちになる時がたまにある。
常杜の郷公園に潜りこんで秘密を探っているという自覚がそうさせる。
自分にやましいことはないのだとアピールしようとして、つい言葉を重ねてしまう。
……俺はこんなにボロを出してないと思いたい。
この人はウソをついて、ここに来た本当の目的を偽ろうとしている。
「それじゃ俺はそろそろ失礼しますね」
泉全体にも聞こえるような大きな声で、ここから立ち去るってことを伝えた。挽霧さんにもわかるように。
霊園まで戻り、自動販売機でペットボトルの麦茶を一本買った。東屋の日陰でゆっくりと飲む。
『伊吹。先ほどの娘は……』
うん、怪しいよね。
幽玄とした和服姿の女性に戻った挽霧さんと視線を合わせて、俺はうなづく。
水滴をポタポタしたたらせ、ぬるくなりかけたお茶を一息に飲み干す。
東屋内の木製のベンチから立ち上がる。
空っぽの容器を回収ボックスにカコッとすべりこませて、俺はもう一度湧水の泉を目指した。
泉にあの人の気配はしない。
俺はさっきの雑談中に座っていた岩のそばからパラコード編みの飾りを拾い上げた。小さいホイッスルつきで、防災グッズとして持ち歩いてる。
もしもう一度ここで鉢合わせても、忘れ物に気づいて戻ってきたのだとごまかせるように、わざと置き去りにしたものだ。
俺と挽霧さんで周囲を探った。
普段あまり人がたくさん立ち入らない場所だ。人が移動したルートは、色んなヒントから導き出すことができる。
ぬかるんだ地面の足跡。
靴底についた泥が別の場所に運ばれる。
踏まれて折れた草。
木々の間にはられたクモの巣の有無。
木の枝に絡めとられて打ち捨てられた巣の残骸。
朽ちかけた木のウロの中。その裂け目に、泉にそぐわない異質なものがひそやかに押しこまれていた。
絵本チックな動物たちのお茶会がかかれたファンシーでメルヘンな縦長の缶。クッキーとかが入っていそうな缶だ。まだ新しくてサビ一つない。
指を引っかけてウロからぐいっと引っぱり出す。
中に何かが入っている音がした。
缶の中身を確認する前に、俺は自分の持つささやかな異能について思い出していた。
俺にはほんの少しだけ不思議な力があって。
それは水辺で縁を引き寄せる。