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囚われ神奇譚  作者: 下山 辰季
第一部・奪還
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1・蛍光の思い出

 子どものころに出会った、この世のものとは思えないキレイなお姉さんの存在が、俺の背骨の(ずい)にまで染み入っている。


 七歳の俺の居場所といったら、家のそばの路地裏だった。日が暮れた後もしばらく時間をつぶす。

 ある日、そこから見えた。楽しげなたくさんの親子連れが。街灯がともり花壇で飾られた住宅地の中の道をぞろぞろとどこかにむかっていく。

 はしゃぐ子どもたち。そのおしゃべりが騒がしくなると、大人たちが穏やかに注意する。行列は(なご)やかな落ち着きを取り戻す。


 俺も後についていくことにした。打ち捨てられた洗濯機と泥で汚れたペットボトルの転がる路地を抜け出す。


 キチッと整った新しい住宅地を進んでいくと、ちらほらと畑や空き地なんかも増えてきて、だんだんカエルや虫の声が聞こえてくる。しょぼくれた古い空家をすぎた先で、草木に囲まれた水場にたどりついた。


 このあたりには街灯もない。まわりはかなり暗い。

 でも大人も子どもも、誰も手持ちの灯りはつけなかった。

 闇の中で何かをまっている。


 夏の夜に、ふわりとした緑の光がいくつか飛んだ。

 俺じゃない誰かが無邪気な声を上げる。


「ホタルだ」


 俺じゃない誰かの父親がしみじみとつぶやく。


「こんな街中にも、まだこういう場所があったんですねえ」


 たぶん、子ども会とか自然観察会とかの集まりだったんだな。夏の夜のホタル観察。

 俺、綱分(つなわき)伊吹(いぶき)は招かれざる客だ。どこにいてもなじめない。用心深く集団から距離をとって、茂みのかげからホタルをながめる。俺はホタルだけじゃなくて、人間の動きにも注意を払う。

 そこで、まわりとは異質な人影に気づく。


 その人は、いた。

 息を呑むほどの美人だけど、どう見たってふつうじゃなかった。

 ワルモノ。ものすごくワルモノっぽいお姉さんだ。


 二つの角みたいなお団子が()われたロングヘアは、風もないのに不気味にゆらいでいる。長い前髪に隠されて、片方の目しか見えない。

 暗闇に浮かび上がる肌の青白さなんて、まるで死人だ。

 涼しげな和服の帯には野ざらしにされたドクロの柄。

 袖からちらりとのぞく手には鋭い爪が生えている。


 妖しいお姉さんは、人々を遠くから見守るように静かに立っていた。なんとなくさびしそうに。


 ほかの人たちは誰一人として、このお姉さんを気にしていない。

 俺はこの人をどこかで見かけたような気もする。視線がお姉さんに釘付けになった。視線だけじゃなく、きっと、心も。


 目が合った。

 大人っぽく物静かな人がふいにさらした、驚く顔。どこか隙のある表情が、キレイなだけじゃなくてすごく可愛いと思った。


 ホタルが舞う中、お姉さんの姿がふっと消えた。代わりに白い霧だけが残される。その霧もすぐに空気に溶けるようになくなった。


『なぜ子どもが一人で夜をうろついている』


 ささやき声は、俺のすぐ真後ろから聞こえた。耳がぞわぞわ、くすぐったい。もしも小さなヘビや青いトンボや光る魚がナイショ話をしたら、こんな感じの声なんだろうか。

 ひんやりとした手で(ほお)を軽くはさまれる。


性懲(しょうこ)りもせずフラフラと……』


 指先で俺の頬をひたひたと打つ。

 (おど)すような動きをしているけど、その長い爪は俺の肌を引き裂いたりはしなかった。


『溺れかけたのは、お前がもっと幼い……三つか四つか。次に私がお前を見かけたら……暗い水底にさらってしまうぞと……あれだけ言い聞かせたというのに』


 ぼんやりと思い出してきた。用水路に落ちたところを助けてもらった記憶がある。

 俺が溺れたのはこことは別の場所だ。とすると、お姉さんはホタル池や用水路の川といった一ヶ所の決まった水辺に居ついているわけではなく、もう少し自由に動ける存在なんだろうか。


 オバケ。妖怪。幽霊。このお姉さんをどう呼ぶべきかはわからないけど。

 迷いなく言えることが俺には一つあった。


「うん。連れてって、お姉さん」


 きっと今より良いところだ。だってお姉さんは俺の目を見て話しかけてくれた。


 返事はすぐにこない。俺の頬をおしつぶしていた手の力もゆるまっていく。

 俺は不安になった。お姉さんも俺から離れていくんじゃないかって。


『……』


 長い爪の手がそろそろと迷うように伸びてきて、ゆるい力で俺の手をつかむ。

 いつまでまってもお姉さんは俺を水の底には連れていかず、ただずっと二人でこっそりホタルを見ていた。




 七歳の綱分伊吹が十五歳になるまで、お姉さんはそばにいてくれた。水底じゃなく、人が(きず)いた町で。

 お姉さんの名前は挽霧(ひきり)。このあたり一帯の水場に関わる存在、なんて少しぼかした言い方をしていた。


 挽霧さんは俺に色んなことを教えてくれた。

 (はし)の持ち方。

 ほかの人のものを勝手にとるのはいけない。

 不機嫌になっても人を殴らず、言葉で気持ちや意見を伝えるようにする。


 それから、俺自身が学んだこともある。誰かを大切に思うこと、好きになること。


 曲がりなりにも俺がふつうの人間らしくなってきたころ、俺の大好きな挽霧さんは前触れもなく姿を消した。


 年月は容赦(ようしゃ)なく流れていく。だけど俺は、なかなかにあきらめの悪い人間だったみたいだ。

 俺は大好きな飼い主から引き離された犬みたいに方々(ほうぼう)探しまわったし、挽霧さんからもらった不思議な力も捜索(そうさく)の助けになった。

 そしてついに行方(ゆくえ)を突き止める。そこは肩の力がぬけるくらい、身近でのどかな場所だった。


常杜(とこもり)(さと)公園」


 これから俺が働く職場で、挽霧さんがいると思われる場所だ。

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