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七百年の終わりと新たな門出

2025/04/07 書き直しました

 ギルドマスターの部屋で、退職申請が正式に受理された。


 これで、七百年に及ぶギルド職員としてのバイト生活は幕を下ろすことになる。


「お疲れ様。約七百年のお勤めご苦労様」


 ロウが、紅茶を片手に静かに労ってくれた。


「ロウ、一応バイトは終わるけど、今度は冒険者として来るからな」


「まだなってないでしょ。来るなら登録する時に来なさい」


 相変わらずの冷静な突っ込みだった。


「しかしなあ……このままお前が俺の後釜に収まってくれれば、いいギルマスになると思うんだがな」


 グランドさんが残念そうに呟いた。


 その声には、ほんの少し本気が混ざっていた気がする。


「だから、もう諦めなさい。今、兄さんがやっと結婚しそうなんだから」


 ロウが茶化すように言い返す。


「やっとだ。あのぼんくらが、やっと付き合い始めた。だが、よりによってうちの受付に手を出すとは……しかも年の差考えろよ、千歳近いんだぞ。ほんとにいいのか、セリアは! あんなバカ息子が、そんなにいいのか?」


 怒りというより、呆れと心配が入り混じった声だった。


「でも、父さんもそうだけど……ギルマスも、もう何歳離れてるか分からないよね」


 俺がぽつりと指摘すると、グランドさんが顔をしかめる。


 その隣で、ロウが楽しそうに笑った。


「痛いとこ突かれたわね。でも、セリアは幸せそうよ」


「……なら、いいけどな」


「じゃあ、俺はこの辺で失礼します」


 俺が立ち上がろうとすると、グランドさんがぽつりと呟いた。


「しかし……あの“僕”って言ってた子どもが、なあ。まあ、まだちっこいけどよ」


 うるさいな。でも、ちゃんと身長は百三十一センチまで伸びたんだぞ。規定ギリギリだけど。


「う~ん。もう少し伸びるのが早ければよかったのにね」


「そこは……種族的に仕方ないだろ。ロウだって、やっとこさ大人の身長になったばっかりじゃないか」


「これ以上は、いらないんだけどね。プロポーションのバランス的には今が一番いいと思うの。成熟前の可憐な花って感じで」


 ロウが、自信たっぷりに微笑んで言う。


 でも、俺はちょっと引っかかっていた。


「ロウ……でも、体格が……」


「あら、言うようになったじゃない。まだ働きたいの?」


「いや……もういい。ごめん、そろそろ行くよ」


 軽く手を振って部屋を出る。


 七百年の積み重ねが、静かに俺の背中を押してくれていた。


 ギルドマスターの部屋から、自宅の庭へ。


 転移魔法で空間座標をつなげると、重力の感覚がわずかにズレ、視界がふっと歪んだ。


 気づけば、いつもの庭に立っていた。


「――まだムラがあるな。もう少し座標の固定をしっかりやれ」


 出迎えたのは、やっぱり父さんだった。


 庭の木陰に立ったまま、腕を組んでこちらを見ている。


「いや……けっこう難しいんだって」


「父さんも母さんも、それにギルマスやフレン兄さんまで――なんであんなに簡単そうに転移できるの? 一瞬で複数人とか、もう意味わかんないよ」


 思わず呆れた顔になる。


 正直、転移は時空魔法の中でも最も神経を使う。


 座標がズレたら事故だし、転移先の環境を誤認すれば最悪、命に関わる。


 魔力の調整と並行して、意識の集中も必要。余裕なんて、とてもじゃないがない。


「それは、俺がエンシェントドラゴンだからだ」


 当然のように返す父さん。


「……じゃあ、母さんやフレン兄さんは?」


「天才なんだろう。わからんが」


 あまりにも適当な返しに、思わずため息が漏れる。


 相変わらずというか、何というか……いや、そういうとこも含めて、やっぱり父さんなんだよな。


「ミケは?」


「今、準備している。――エクス。お前は、できているのか?」


 父さんが、どうせしてないんだろうと言いたげな目でこちらを見てくる。


 その視線、なんか地味にダメージがくる。


「いや、一応。収納魔法には、必要なものを詰めておいたよ」


「見せてみろ」


 ……え。なんで!? いやだよ、だって……!


「スカイ様、見てやってください。いらないものが多く入っているはずです」


 その声と同時に、玄関からミケがひょこっと現れた。


 ぴくん、と彼女の狐耳が揺れる。


 音も気配も、ちゃんと拾ってたって証拠だ。


 肩まで流れる銀髪の間から伸びた耳は、昔よりも少し長くなって、繊細な毛並みが光を受けてふわりと揺れている。


 そして、彼女の背後では、尻尾が優雅に弧を描くように揺れていた。


 その動きがまるで「バレバレよ」とでも言っているみたいで――くそ、余計に悔しい。


「ミケ! いいから余計なことを言うな!」


「エクス、諦めなさい。何なら、私が全部言ってあげてもいいのよ?」


 くすっと笑ったその顔は、どこか得意げで――尻尾の動きもリズムよく弾んでいた。


 成長してから、ミケの態度がちょっと大きくなった気がする。


 いや、気のせいじゃない。明らかに“自信”が増している。


 たしかに、身長は今じゃ俺より一センチ高いし。


 髪もより丁寧に手入れされてて、光を反射するたびに透き通るような銀が流れる。


 あの狐耳と尻尾も、ふさふさで……美しさが際立ってきてる。


 でもな、それと態度が比例するのはどうかと思うんだけど!?


「エクス。見せなさい」


「……はい」


 父さんのひと言に逆らうのは、もはや無理だった。


 しぶしぶ収納魔法を展開すると、魔法陣から次々と中身が浮かび上がる。


「……おもちゃに、漫画データに、サイン色紙。しかも全部、有名冒険者のものだな」


 父さんの眉が静かに動いた。


「おもちゃとサインは預かる」


「あっ……」


 俺の、俺の七百年が――!


 積み上げてきた努力の証(?)が、あっさり没収されていく。


 ミケの尻尾がふるふると揺れていた。何がそんなに楽しいんだよ……。


「サインはデータ化しておけばよかっただろう」


 父さんの指摘はもっともだった。


 けれど――それじゃ意味がない。


「違う! 紙の色紙だから良いんだ! そこは譲れない!」


 思わず声を張る。


 あの手触り、あの筆跡、そして直筆の温もり。そこに価値があるんだ。


 すると父さんが俺の方へ一歩近づき、声を潜めて囁いた。


「……だから七百年前に言っただろ。隠し通せと」


 その瞬間、脳裏に記憶がよみがえる。


 たしかに――言われてた。ちゃんと隠せって。あの時。


「詰めが甘いな」


 父さんはそう呟くと、容赦なくサインの山を手に取り、家の中へと運び始めた。


 ――ちょっ、もうちょっと丁寧に!


「端が折れる! いや、それ日焼けするって! ああ、そんな雑に積まないでぇぇ!」


 思わず叫んだが、父さんの足取りは止まらない。


 俺の七百年の結晶が、音もなく、無造作に運ばれていく――あまりに無慈悲だった。


「余計なものじゃない! ……でも、漫画データは許されたんだからいいでしょ?」


 ミケがふぅっと息を吐きながら、やれやれと肩をすくめてみせる。


 その動きに合わせて、狐耳が軽く揺れた。自分の勝ちだとでも言いたげに。


 ……だったら、こっちだって黙っていられない!


「そう言うミケだって、ロウから美容品やケア用品、それにいろんなグッズを持っていく気だろ!」


「そうだけど? どれも“必要なもの”よ?」


 即答だ。しかも、反省ゼロ。


 さらにミケはくるりと振り返り、玄関の方へ目線を向ける。


 尻尾がゆったりと揺れながら、呼び出すように言葉を添える。


「――そうですよね? シエル様」


 その声に応えるように、母さんがゆっくりと姿を現した。


 風のように静かに、けれど確かな存在感をまとって。


「そうね。必要よ、エクスちゃん。女の子は色々必要なのよ」


 柔らかく微笑みながら、当然のように言い切る母さん。


 ミケの尻尾が嬉しそうに跳ねた。……完全に援軍を呼ばれた。


「……うぅ」


 言い返せない。女の子は必要――その理屈、正論すぎる。


「エクス。お前は少し、乙女心を勉強しなさい」


 父さんがそう言って、ひょいと肩を叩いてくる。


「……では、行こうか」


 あっさりと流されて、俺の抵抗はそこで終わった。


 結局、誰にも勝てなかった感を引きずりながら、俺たちはユグドラシルへと向かった。

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