七百年越しの準備期間
2025/04/07 書き直しました
それから、俺の――七百年にも及ぶバイトと訓練、そして機体開発のための日々が幕を開けた。
朝はギルドでの勤務から始まる。ロウさんの指示のもと、掃除に受付の補助、備品のチェック、資料の整理。そして恒例の、グランドさんの散らかし放題な部屋の片づけ。時には企画書のチェックや、冒険者支援のためのアイデア会議にまで参加させられる。
ギルド業務というより、もはやなんでも屋だったが、逆にそのおかげでギルドの全体像が見えてきた。
最初はとにかく戸惑った。慣れない作業に、複雑な資料、どこに何があるのかすら分からず右往左往していたけれど――
ロウさんの指導は、見た目や口調に反して実に的確だった。いや、構ってくるというか、軽く振り回してくるというか……その独特なテンポに巻き込まれているうちに、自然と仕事を覚えていった。
今日も、そんなやりとりのひとつが始まる。
「ロウさん、このデータ、違ってません? 予測値が二〇〇年くらいズレてる気がするんですが」
俺が端末を指差しながら問いかけると、ロウさんは眉一つ動かさず紅茶を啜りながら答えた。
「合ってるわよ。エクスの試算する年代が違ってるの。あなた、また基準紀元を間違えたでしょ?」
「……あ、ほんとだ。王暦じゃなくて統一暦で計算してた……」
思わず頭を抱えた俺に、ロウさんはふんわりと笑って追い打ちをかけてくる。
「ついでに保管庫に行って、昨日頼んだデータの並び替えしてきて。終わったら、ギルマスの部屋に行って“殴ってでも”働かせてきて頂戴」
「……いつものパターンでいいですか?」
「ええ。殴ってしまいなさい。どうせたいしたダメージにはならないんだし」
こんなやり取りが、もはや日常になっている自分が、ちょっとだけ信じられなかった。
けれど、本当の勝負は――午後からだった。
バイトでくたくたに疲れた身体に、さらに鞭を打つようにして始まる訓練。父さん、そして母さんによる、容赦ないダブルヘッダー。まさに魂と肉体、両方を鍛え上げる地獄のコースだ。
父さんとの訓練は、最初は基礎中心だったけれど、次第に技の応用へと進んでいった。道場では、型の稽古に加えて、父さんから直接の技の伝授。さらには、ミケとの連携による実戦形式の訓練まで始まり――気づけば「二人で父さんを倒す」という無謀なミッションが日常になっていた。
……まあ、勝てないけど。
それでも、挑むたびに何かを掴む手応えはあった。父さんの圧倒的な力の一端を、体で理解する感覚――それは、恐ろしさと同時に、どこか高揚感すら与えてくれた。
ある日、そんな訓練中に父さんがふいに言った。
「いいか。ドラゴンのオーラにはそれぞれ特色があるが……エンシェントドラゴンのオーラは“無”だ」
その目が鋭く細められる。
「つまりな。無であるがゆえに、すべての属性を内包できる。炎のように見せることも、雷、風、水、何でも可能だ。要は――想像力の力だ」
そう言いながら、父さんは空へと拳を突き出す。
次の瞬間、轟音も熱もないまま、空間にオーラが奔った。
光の粒が集まり、形を成す。
そして、そこに現れたのは――
「母さん。貴方は美しい」
……という、でっかい文字だった。
「こんなことも可能だ」
誇らしげに胸を張る父さん。いや、そうじゃなくて。
「……その前に。あれ、あのままでいいの?」
ついツッコんでしまった俺に、父さんは真顔で頷いた。
「いい。間違ってはない」
……うん。なんかもう、すごい。いろんな意味で。
でも、それが俺の父さん――スカイという存在なんだ。
「ミケ。お前の妖力も、理屈は似たようなもんだ」
父さんがそう言うと、隣にいたミケの狐耳がぴくりと動いた。長く伸びた銀の髪が肩を越え、一本の尻尾がゆっくり揺れる。
妖力の流れに反応しているのか、彼女の輪郭にうっすらと気配が滲んでいる。
「妖力も魔力も、突き詰めれば“想い”と“意志”だ。属性に縛られるな。お前たちが描いた通りに力は動く。自由に、そして明確に――それが強さに繋がる」
言葉は静かだが、胸に響くものがあった。
父さんは腰に手を当てたまま、俺たちに視線を向ける。
「じゃあ、まずはいつもの基礎からだ」
その言葉だけで空気が変わる。張り詰めたような、静かだけれど確実に重みのある気配。
「次に技の伝授。そして最後に……俺に打ち込んでこい」
父さんの声が静かに響く。
「一歩でも俺がこの場から下がったら、お前たちの勝ち。いいな?」
その視線が、真っ直ぐに俺とミケを貫いた。
「――始めるぞ」
その一言を合図に、訓練が始まった。
最初の頃は、本気で死ぬかと思った。
全身が筋肉痛どころか、痛みの感覚すら麻痺して、どこが動いてどこが止まっているのかさえ分からなくなる。魔力の循環は乱れ、意識が飛びそうになることもあった。
けれど――年月が経つにつれ、変わっていった。
身体も、心も、意志も。
疲労は消えない。それでも、それを受け止める器が育っていった。
限界を超えてなお、立ち上がる力。それが確かに、俺の中に根付いていく。
そして、地獄の前半が終わると――午後の後半、母さんの魔法訓練が始まる。
父さんの訓練が“肉体と感覚”なら、母さんの訓練は“魔力と知識”、そして“精密さ”に特化していた。
「いい? まずはすべての基本属性を扱えるようにします。火・水・風・土・氷・雷・闇・光――それぞれの性質を理解し、自在に展開できるようになること」
母さんは淡々と、美しい声でそう告げた。
魔法陣が浮かぶたび、空気が変わる。詠唱すら必要のない高精度な術式。見惚れるほどの制御力。それが、俺の“目指すべき理想”としてそこに在った。
「その上で、自分の得意分野を見極め、伸ばしていきましょう」
魔力の通し方、発動までの間隔、属性の干渉。それらすべてが、問答無用で記録・比較されていく。見逃されることはない。
「……時空魔法は?」
ふと、俺が質問を口にすると、すぐ隣で構えていたミケが、呆れたように口を開いた。
「学校で習ったでしょ? 光と闇、両方の属性をある程度扱えるようにならないと、時空魔法は使えないの」
一本の尻尾が左右に揺れながら、すこしだけ困ったように笑っている。
「しかも、使用許可試験に合格しないと、実戦での使用は禁止……って、授業で言われたはず」
「あ、うん。言われてた……かも」
その“かも”の時点で、俺の記憶がすでに頼りないとバレていた。
案の定、次の瞬間――
「ミケちゃん、正解。もう、エクスちゃん。せっかく習ったことを忘れてしまっては意味ないわよ?」
母さんが優しく微笑みながらも、ため息をひとつ。
お願いだから、そのため息は胸にくる。
視線を横にやると、案の定ミケが自信満々に尻尾を振っていた。キラキラした目でこっちを見て――
「いっ……ちょ、痛い痛いっ、当たってる当たってる!」
そのフワフワした尻尾が俺の顔面にクリティカルヒットする。まるでわざと狙ってきたかのような角度だった。
母さんはくすっと笑いながら、気を取り直すように話を進めた。
「では、いつもの魔力循環から始めましょう」
空気が、すっと張り詰める。
「エクスちゃんは、魔力を体内に収めつつ、瞬時に全身を巡らせるように意識して。流しっぱなしじゃ駄目よ。“留めて、解き放つ”感覚を掴んで」
「はい……」
気を引き締めて返事をすると、母さんは次にミケへと視線を向ける。
「ミケちゃんは、基礎はできてるけど、妖力が魔力に混ざり込んじゃってるわ。属性の純度がブレる原因になるから、そこはきちんと分けて。意識で切り離せるようにね」
「わかりました♪」
ミケは元気よく胸を張り、しっぽをぴょこぴょこと揺らしながら答える。まるで褒められた子どものような明るさだ。
……うん。かわいいんだけど、少しだけ悔しい。
「その後、各属性の制御に入ります。焦らず、丁寧に」
母さんの声が静かに場を締めくくる。
「では――開始」
その言葉を合図に、空気がぴんと張り詰める。
俺はゆっくりと息を吸い、魔力を体内に巡らせていく。集中、循環、保持。そして制御。
毎日繰り返してきた動作。でも、少しずつ感覚が研ぎ澄まされ、魔力の流れが“意識と同化”する感覚を掴めるようになってきた。
そうして――地道な訓練を重ねる中で、魔力の精密な制御、そして全属性の基礎を何とか習得することができた。
そして、ついに迎えた――時空魔法の使用許可試験。
……まあ、何回かは落ちた。うん、正直に言おう。三回は落ちた。しかも三回目は試験官に「練習ではできてたんだけどなあ」って言われるという、精神的にもけっこうくる展開だった。
でも、四回目でようやく――合格。
試験官からの承認データが端末に届いた瞬間、思わず息を飲んだ。胸の奥が熱くなって、手が少しだけ震えた。
やっと届いた。努力が、実った。
……ちなみにミケは一発で合格だった。
合格通知を見た瞬間、にっこり笑って「がんばったわね♪」なんて言ってきたけど、その笑顔がまぶしすぎて、ちょっとだけ……いや、けっこう悔しかった。
そして、貴重な祝日――数少ない休みの日は、決まってユグドラシルで過ごした。
コロニー型宇宙戦艦“ユグドラシル”。
俺のために設計が進められている、未完成の“もう一つの戦場”。
その内部では、定期的な身体計測が行われる。体格や筋肉密度、反応速度、魔力の流れ、神経伝達、精神負荷耐性まで……数値化できるものはすべて数値化される。
まるで、俺という存在を一から設計し直すかのように。
「ジジさん。機体、そろそろ見せてよ」
計測が終わると、俺は思い切ってそう切り出した。
ジジさんは、いつもの飄々とした笑顔で「残念だねぇ~」と呟き、眼鏡の奥をキラリと光らせる。
……あの眼鏡、ホントどういう構造なんだ。
「だーめだよぉ~、エクスくん。楽しみは、最後までとっておくもんだよぉ~」
「……七百年も?」
隣のミケがすかさず問い返す。狐耳がぴくりと立ち、尻尾も“それは聞き捨てならない”と言わんばかりに揺れた。
「そうだよぉ~。だって、まだ造ってないしねぇ~」
「……は?」
俺とミケの声が、まったく同じトーンで重なった。
「造るのはいつでもできる。でもねぇ、時間が経てば新技術もどんどん出てくるでしょ? だったら、出揃ってから、そのときの“最適解”で仕上げるのが一番いいじゃない?」
ジジさんはケラケラと笑いながら、肩をすくめるように両手をひらひらと振った。
「……いや、せめて設計図くらい……」
「それもナイショ。ワクワクは、最後の最後まで取っておくのが正しいのよぉ~」
ミケが小声で「この人、本当に技術顧問なんだよね……?」と呟く。
俺も思わず頷きたくなったが、それでも――この人の作るものは、たしかに本物だ。
ジジさんは、最後に無邪気な笑みでこう言った。
「ま、楽しみにしててねぇ~。そのぶん、じゃんじゃん稼いでおくれよぉ~。材料費も維持費も――ちょっとやそっとの額じゃ足りないからねぇ~?」
……やっぱりこの人、ただ者じゃない。
あらゆる意味で。
そうして――
濃密かつ、いや、もう“濃密”としか言えない七百年が――
ついに、終わりを迎えようとしていた。




