未来の冒険者へ
2025/04/01 書き直しました
「僕……将来、冒険者になりたいんです。でも、ドラシエル兄さんからは言われたんです。『名前を捨てるか、王族として公言して自由をなくすか』って……」
言い終えたあと、自分の声がわずかに震えていたことに気づいた。
ケンさんはその言葉に眉をひそめると、ぽつりと呟いた。
「……あいつ、バカだな」
あまりにあっさりした断言に、俺は思わず顔を上げた。
「え?」
「だって、もうセンカって実例がいるじゃないか。君の姉さんだろ?」
その言葉に、胸の奥が不意にざわめいた。
――そうだ。
姉さん、センカ・キャリー。俺の誇りで、憧れで、ずっと背中を追い続けてきた人。王族でありながら、クランを率いて、ギルドで最前線を駆けている。なのに、なぜ俺はあのとき兄さんの言葉をそのまま信じてしまったのか。
「……ほんとだ。姉さん、やってるじゃないか……俺、どうしてあの時、気づかなかったんだろ……」
思わず自分の言葉に、情けなさがにじんだ。
するとケンさんは、今度は少し困ったような笑みを浮かべた。
「それにな……君たち、王族にしては、ちょっとおかしいんだよ。普通の学校に通って、友達と遊んで、まるで普通の家庭みたいに生きてきただろ?」
「……うん」
「俺もそうだった。昔はドラの奴もうちに遊びに来てたし、スカイ様やシエル様だって、普段着のまま市場を歩いて買い物してたよ。……あれがもう日常の一部になってたから、誰もいちいち驚いたりしなかったな」
ケンさんの言葉はさらりとしていたけれど、その一言で、俺の記憶が不意に揺さぶられた。
父さんと母さんと並んで歩いた街の並木道。地元の茶屋で一緒に饅頭を買った時のこと。賑わう屋台の中を抜けながら、こっそり手を繋がれて恥ずかしくなったこと。祭りの日、紙灯籠を一緒に見上げたこと。……それら全部が、何気ない日常の一部だった。
「そういえば……王族扱い、されたことなんて……なかったな」
自然と漏れたその呟きは、意外なほど軽く響いていた。まるで心にかかっていた霧が、ふっと晴れたみたいに。
「そうさ。構えてるのは、ドラの奴だけだよ。いや、彼なりに正義感とか責任感とかあるんだろうけど……少なくとも、それを君にまで押し付けるのは違う」
ケンさんは苦笑しながらも、きっぱりと言った。
「そうね。私も何度か見たことあるもの。シエル様が普通にカフェで奥様会に参加していたり、フレン様が街で子どもたちに読み聞かせしていたり。スカイ様も……たまにすごい姿勢で野菜を吟味してるのを見たことがあるわ」
思わず笑いそうになるのをこらえた。
それに――
「カイトさんね。あのエルフィール総合企業の社長さん。あの人とも、私たち結構顔を合わせるの。冒険者として依頼を受ける時に。偉ぶらない普通の人」
「……やっぱり、みんな自由だな」
「つまり、気にするなってことだよ。君が君らしくいたいなら、それが一番自然だってこと。ドラの言うことも、一理はある。けど、今さらだ。……無視しとけ」
ケンさんのその一言が、胸の奥に静かに染み込んだ。
確かに、兄さんは正しい。立場を重く捉えて、それを全うしようとしている。でも、それがすべてじゃない。家族の誰もがそうやって生きてるわけじゃない。
俺は――俺として、ここに立っている。
それで、いいんだ。
「さあ、そろそろ行こうか。あっちだ」
ケンさんがホールの奥を指さし、軽く歩き出す。エマさんも自然な足取りでその隣に並ぶ。
俺はほんの一瞬だけ、後ろを振り返った。
ホールの中央で凛々しく立つ父さんの銅像。けれど、俺の記憶にある父さんは、甚平姿でお茶を啜っていたあの人だ。
どちらも嘘じゃない。どちらも、本当の父さん。
その姿に背を向けて、俺は二人のあとを追った。
ギルドの中心部から少し進んだ先。受付カウンターが見えてきた。壁に沿って設置された長いカウンターは、情報端末が並び、職員が冒険者たちと次々にやり取りをしていた。
活気のあるその空間に、俺も緊張を覚えつつ一歩前に出る――が。
……見えない。
カウンターが高すぎて、受付の中の人と目が合わない。
「すいません……台、あります?」
思わず、カウンター越しに声をかける。が、返事の前に別の声がした。
「持ち上げてやるよ」
ふいにケンさんが後ろから俺の脇に手を差し込み、軽々と持ち上げる。
「ちょ、ちょっと待って、それは恥ず――」
言い終えるより先に、視界がふわりと上がり、気づけばカウンターの上に目線が届いていた。
「……助かりました……」
苦笑いで礼を言うと、受付の女性職員が少し驚いたように目を丸くし、それから柔らかく笑った。
「書類の提出かな? じゃあこちらへ。あ、台も出しておきますね」
すぐに足元からせり出すように、小さな踏み台が現れる。俺はすぐに降りたが、ケンさんとエマさんの視線があたたかくて、なんだか余計に恥ずかしかった。
「慣れろ。そのうち逆に、この高さに慣れてくるからさ」
「……ありがたいけど、そういう問題でもない気がします……」
それでも、どこか自然に笑えていた。
ぼやきながらも、自然と口元がゆるんでいた。変に気を遣われるより、こうして冗談めかして接してくれるほうが、ずっと気が楽だった。
ケンさんが手を添えて、俺をそっと台の上に乗せてくれる。その仕草も、どこか慣れていた。
「後は大丈夫だな。しっかりな」
肩を軽く叩いて、ケンさんは俺の背中を預けるように言ってくれた。
その言葉に、俺は小さくうなずく。
「またね。未来の冒険者」
エマさんの声は、やさしくて、柔らかくて。けれどその中に、確かな“期待”が込められている気がした。
彼女の瞳はまっすぐで、そこに俺という存在がしっかり映っていた。
――未来の、冒険者。
その言葉が、胸の奥で小さく、けれど確かに灯った気がする。
「ありがとうございました」
俺は姿勢を正し、ほんの少しだけ、胸を張ってふたりに礼を言った。
二人はそれぞれ軽く手を振ると、冒険者たちの流れの中へ自然に紛れていった。
カウンターの向こうでは、ギルド職員が端末を操作しながら、俺に微笑みを向けていた。




